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「自分が他人より優越感を抱いてない限り、他人の幸せ
「自分が他人より優越感を抱いてない限り、他人の幸せを願えない」 って言葉、合ってますか?そう思いますか?
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「優越感」というものは、いわば「ナルシズム」…自己愛が強いということですよね?。 自己愛が強過ぎる人(強くても良いのですが、過度の人)は、他人の幸せは願えません。 ですので、ハズレです。 他人の幸せを願うという行為は、たとえ無利益、無報酬であっても可能です。 それは「幸せを願うという行為そのものが、自らに幸福感をもたらす」からです。 それをエゴイズムと言って片付けてしまうのは容易ですが、幸福を感じるということは、極めて「内省的」なものですから、自分の中だけで自己完結が可能です。 他人に悪影響を与えることがありません。 「無償の愛」と言いますが、無償とは「償うべきものが無い」わけで、いわば「罪無き愛」です。 これはいわば、自己愛というものとは対極の愛情といえます。 …むろん、これはあくまでも「自分が願う」という意味のうちだけのことです。 神様に愛情を捧げすぎて、家族が不幸になったら意味無いですしね(汗)。 人間色々難しい(汗)。
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- sakura-333
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対抗心の強い人が言いそうな言葉ですが、他人が幸せになった途端に優越感を抱けなくなる可能性がありますけど・・ 自力で相手を超えるのではなく潰す事を考えるタイプなら、不幸を願うようになりそうです。
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- t-i-g-g-e-r
- ベストアンサー率21% (9/41)
合ってると思います。 親族は別として。 やはり自分より幸福の要素を持っている人の幸せを、心からは願えません。 理性では分かっていても、嫉妬やうらやみがあることは否めません。 ただそれがねたみになるかどうかは自分のこころがけ次第で、ねたみからは何の進歩も生み出せないと思います。自分の劣等感を素直に認めて受け入れる。 嫉妬やうらやみという感情は、理屈抜きで自分の心が負けを認めていることだということを理解し、それを克服するための努力の原動力にすればいいんです。 僕はそう努めています。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- pct10968
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優越感ではないと思いますよ。 他人の幸せを願うのは、祈りに近い感覚ですね。 娘や孫たちが幸せでありますようにと願うのは、私の優越感だと思いますか?
お礼
ご回答ありがとうございます。
- sanponiwa
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他人に優越感を抱くような人は、他人の幸せを願えるはずはありません。 むしろ他人の不幸を喜ぶタイプかと。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- pigunosuke
- ベストアンサー率19% (1063/5529)
人を幸せにするならば、まず自分自身が幸せになることだ というのが私の理念です 自分が幸せならば、人に優越感なんて感じる必要は無いものですよ
お礼
ご回答ありがとうございます。
- kaiyukan
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越えてる必要はないかな 自分なりに満たされてれば、私はいけます
お礼
ご回答ありがとうございます。
- ka28mi
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40過ぎの女です。 「合ってない」と思いますね。自分より、圧倒的に凄い人でも、幸せな人でも、より幸せであって欲しい と思いますよ。 「他人の幸せ」を願ったり喜んだりできるのは、自分の価値観を持っていて、自分で自分を認めていられる、物質的な事や仕事上の事など比較するべき部分は客観的に比較しつつも「自分は自分」という自尊感情を持てていればこそ、じゃないかと思います。 「優越感」なんて持っているようじゃ、むしろ他人の幸せは願えないし、喜べないと思いますよ。 だって、「優越感」なんてものは、自分の価値を他人よりも優れているということだけで判断している人が持つものです。他人が幸せだったら、自分が他人より優れていると思えなくなってしまうでしょう? 「優越感」と「劣等感」は背中合わせです。 若い頃は持っているのもいいと思います。持っていればこそ、そういった感情も理解できます。 でも年齢を重ねたら、卒業して欲しい感情ですね。どちらかといえば、未成熟な人間が持つ感情です。
お礼
ご回答ありがとうございます。
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