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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:新ゴーマニズム宣言を読んで)

日本の自然破壊とナショナリズムの喪失

chicago911の回答

回答No.3

現物読んでいないんで、本当は書いては不味いんではないかとは、思いますが。 >日本は本書でも書いてあるように鉱物資源に乏しい国であり、四季が美しく自然だけは豊かであった。  これは古代から真実でしょう。しかし、「よって八百万の神が誕生した」 の結論への、論証多分ないと思います。氏の話が胡散臭く感じるようになってきた最大の原因が、この論証の欠如ですから。 従って、「しかし、日本の近代化に伴い自然は破壊され、八百万の神の尊厳は薄れ、よく言われている無宗教な日本人が生まれた」 の部分にも無理があります。 >本書でも 「敬虔な気持ちになったことがない人間は恐ろしい」 と書いているのがこれに当たると思う。  これは正しいですよ。しかし、「敬虔な気持ち」 = 「特定の宗教」 ではありません。各個人が、自分なりの宗教と言うか、この 「敬虔な気持ち」 を有していれば、「特定の宗教」 の信者になる必要はありません。 >あの意見がどーこーでなく、みなさんはこれからの日本がどうすれば他国の犬でなく、独立した 「日本」 を造れるとお思いですか?  が本題でしょう。答えは簡単です。「個の確立」 と言えるでしょう。簡単に言えば、「自分のやることには自分で責任を取る」 と言う言うことです。日本にはこの感覚が欠如しているのです。このためには何が必要かといえば、  一貫した価値観、すなわち判断基準  その判断基準を、ある程度 (感情面、特に食物の好み等は証明不能なので) 客観的に説明できること  互いの価値観を、他者に迷惑を及ぼさない限りにおいて、互いに尊重すること の三点が必要 (十分ではありません) が必要です。ここへ論理性言い換えれば科学性を如何に持ち込めるか、が十分条件になるでしょう。 現在の日本を見ていると、余りにも 「個」 が尊重されていません。「らしく」 を強調され、また、組織に頼って生きています。現在中高年の失業が大きな問題になっていますが、はっきり言えば、組織の中においてのみ通用する能力しか持ち得なかった者が、その組織から排除されたときに、行き場を失うのです。これを如実に物語る言葉は昔からあります、「手に職があれば困らない」。組織に寄りかからない、一般に通じる能力があれば、今でもそれ程就職難ではありません。 政治体制にしても同じことで、何も考えず、単なる惰性、極端な場合は 「人に頼まれた」、「金を貰った」、「利益が得られそう」 で、投票する輩、何も考えず棄権する輩、が多い結果が、現在の日本の政治体制を招いているのです。 もっと日常的に言えば、何の科学的根拠もない健康法を持て囃す輩、それに便乗して儲けようとする輩 (この中には視聴率が稼げると、無責任な説を垂れ流す TV 等も含まれます)。 誰もそれが及ぼす結果を考えようとしないし、当然責任を取ろうともしません。単に 「昔からこうだから」、「みんながそうするから」 こう言った無責任な状態の原因は、「個」 を認めず 「ムラの掟」 を優先している現社会体制に最大の原因があります。 自分の価値観を確立し、その価値観によって自分で判断する、その価値観は互いに尊重する 「個の確立」 がなされれば、なんとでもなります。

noname#43310
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 戦争関係の史実的問題は置いといて、日本人とういう人類学的見地からの小林よしのりの見方に私は共感したことを付け加えます。 でも八百万の神が怪しいと言われては困ったなぁ。 日本って独自の文化と言い張れる物があまり無いですよね。 どちらかというと、ユーラシア大陸からの文化の影響を昇華させたっていうか、地図上でも分かるように日本は文化の流れの最終地点でしたからね。 このことから、ももともと「個」の概念が希薄なのかな。なんて今考えました。 chicago911さんの仰る通り、「敬虔な気持ち」は宗教に頼らなければ得ることができないと固定観念を持つのはよくないです。 では「個の確立」の為にどうすればいいのか。 個人でそれぞれ確固たる「個」を持つ為に手に職を持つ努力をするのでしょうか? 誰かが「個確立運動」を始めればいいのか? 手に職がない人は「個」を持つに値しないのか? 人間何かの影響がないと考えって変わりませんからね。就職難がそれを手伝ってくれるのかな。 時代は高度経済成長が落ち着き、時の流れるに任せて仕事をしてきた人たちが今お荷物になって、その風潮が腐った政治・テレビ等に現れてますよね。 そんな人たちが居なくなって、手に職がないと就職できない中、就職を勝ち得た今の若者が大人になれば果たして時代は好転するのか・・ chicago911さんのご意見は賛成とも反対とも言えます。

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