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○○の神様
日本では、何かの道を極めた人を、○○の神様と表現する事があります 例えば、ゲームの神様、釣りの神様、サッカーの神様などなど 色々な道に神様がいるので、神様は何人もいることになりまが、神様が何人もいることに対しては違和感を覚えません これは、八百万の神の考え方があるから、何人も神様がいても違和感を覚えないのでしょうか? キリスト教など、一神教の影響が強い国では、「○○の神様」という表現はしないのでしょうか?
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空手家の大山倍達がスペインで闘牛を倒したとき、「ゴッドハンド」と呼ばれたとする話は有名ですが、本当は「ミラクルハンド」だったようです。キリスト教においては、人に対し「ゴッド」を使うことはないでしょうね。
- michael-m
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“神”という言葉、中国での本来の意味は「人智の及ばぬ、あるいは人智を超えた能力を持った存在」という意味です。 GOD、特にキリスト教に代表される世界を作った存在、支配者という存在は“神”ではなく「創造主」あるいは「主」と呼ぶべき存在です。だからカトリックの祈祷文(私はカトリックなので他のキリスト教系の書はわかりません)でも主に主とか創造主という言葉を使っています。 そういう事を踏まえると、“神”という言葉を多用している現代の風潮は本来の意味に戻っていると考えても善いかもしれませんね。 ちなみに“神”の本来の考え方からすると、天使や悪魔も奇跡を起こした聖人も“神”と呼ぶ事が出来ます。 つまりキリスト教ですら多神教と定義する事になります。 一方、神道の研究者の中には別天神(ことあまつかみ)五柱である天之御中主神から天之常立神を「創造主の働きを表したもの」だとする人も居ます。(外にも様々な説があります) アマテラスだけに“神”を用い、他の神々に対し“命”や“尊”と限定されれば、これもまた一神教と読んで差し支えない事になります。 つまり今まで言われている「一神教」「多神教」という考え方が間違っているということになります。 私は英語圏に住んだ事が無いので実際の使いまわしに関しては無知ですが・・ 建前では“神”は一人、天使や悪魔に対しては有耶無耶、でありながら天使や聖人、マリアに対しても祈るという、特にカトリックにはプロテスタントなどから批判があるのも確かです。 それでも彼らは基本的に「神」とは呼ばないそうです。 また見えない力に対し「hand of god」という表現をするという人も居ますが、この場合、創造主を指す「God]ではなく小文字の「god」とするのです。 英語圏では「○○の神」等という場合には「ミラクル」を使うのが通例ではないでしょうか・・と思います。
- hekiyu
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日本は神道で八百万神々の国ですから。 そして神道では、海でも山でも、人間でも 畏敬されるべきもの、優れた人、なんでも 神様になります。トイレの神様だっています。 そして神道ですが、これは神道の信者である という意識がなくても、先祖を敬い自然を 友とする信条があるだけで、信者と認定されて しまう、まことにいい加減な宗教なのです。 これが原因で、俺は、日本人は無宗教だと誤解して 居る人が多いのです。 文部科学省は、日本での神道信者数を1億1千万人 としています。仏教は9千万です。 つまり、神道では仏様まで八百万神々の一人に 過ぎません。キリストも同じです。 これに対しキリスト教における神は、全知全能の絶対神 です。少しぐらい優れた人だからといって神などと いうことは有りません。 そもそもゴッドを神と翻訳したことが、間違いなのです。 誤訳です。 キリスト教の神と日本の神とは全く別物です。
- well_being
- ベストアンサー率71% (10/14)
>これは、八百万の神の考え方があるから、何人も神様がいても違和感を覚えないのでしょうか? まことにそうだと思います。 全てのものにそれぞれ神が宿るという観念は、ものを大事にしようという道徳心にもつながるとともに、常日頃から神と生活を共にしているということから神的存在への「親近感」を生みます。 よって、何かに長けている人を神格化するのはその人に対する尊敬のあらわれであるとともに、親しみや慕う気持ちを表すものなので違和感が生まれないのだと思います。 ギリシャ神話でも多くの神が登場しますが、全能の神であるゼウスはあっちこっちで浮気をしますね。笑 そこには神が「触れてはならない絶対的な存在」というより、人間味に溢れる親しみやすさが描かれていると思います。 一方、キリスト教では「神」はそれこそ絶対的な存在ですから、人を神格化することは神への冒涜にもつながりかねません。イスラム教にいたっては、神の子である、キリスト教でいうところのジーザスであるムハンマドを絵にすることすら禁じられるほどの厳戒ぶりです。 >キリスト教など、一神教の影響が強い国では、「○○の神様」という表現はしないのでしょうか? 「神」が唯一のもの、しかも確立された存在なので、「神」以外を「神」と呼ぶ観念がないのでしょうね。 ウィキにおいて神道を説明する文でもやはり、「宿る神」はGodではなくspiritsとされていますね。 ということからも・・・ 他の言語文化ではわかりませんが、少なからず英語文化では「神」とはなかなか人には使いません。 1つ目は先にものぼっていますが、kingが日本の「~の神」に値するところだと思います。 例ではKing of Pops がマイケルジャクソンだったり、King of Rock n Roll がエルビスプレスリーだったり。エルビスに限ってはThe Kingだけで彼を表します。 2つ目にはFather of ~ とか Mother of ~ をつけてその分野の祖として表されることがあげられます。 例ではFather of Jazz がルイ・アームストロング、Father of American Revolution がサム・アダムスなど。the pioneer of なども使われるんじゃないかな。 あるいはニックネームをつけることで、日本の「神」に値する絶対的知名度や影響力を与える存在を表すのもありかと思われます。 例では、バスケットのマイケルジョーダンが"Air"など。 逆に、有名人の名前が人の形容をするようになった流れもあります。 例えば、「アインシュタイン」と言えば、イコール「天才」を表すようになったなど。 以上のように「神」は一神教では独立した、そして守られた言葉であり、その分野において極めた人の表現にはそれぞれ王様、祖、開拓者、などの違う言葉が当てられるみたいです。神と人間を同じラインに置くのを嫌ってのことだと思われます。
- Mumin-mama
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~に精通している人、そのことについてのトップランナーのことをよく、「Mr.~」と呼びますよ。 長嶋 茂雄=ミスタージャイアンツ と、言った感じです。 ドイツで「サッカーの神様」みたいな感じで、 ベッケンバウアーは「カイザー」(皇帝)と呼ばれています。
- zhuwu
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海外では、 「神の子」「〇〇(聖人)の生まれ変わり」「(新しい聖人として)聖なる〇〇」 などと呼ばれていますね。他にもあるかもしれませんが、神様と呼ばれることはないです。神様の御遣いや、キリストの弟子たちなどの聖人に因んで例えられるようです。 余談ですが、日本ではサッカーの神様と呼ばれるジーコ元日本代表監督ですが、ブラジルでは白いペレとか呼ばれていて、決して神様などとは呼ばれていません。ブラジリアンから神様のようにたたえられている本家のペレも、サッカーの王様と呼ばれています。
あくまで、私の考えですが… 今の日本は全体的に見て宗教的観念なんてほぼ無いに等しいから、「神様」が沢山いることなんて何とも思わないのではないでしょうか? 一神教だろうが多神教だろうが、信仰心の深い人は、また深い国では、そうそう軽々しく人間に対して「神」という名は使わないと思います。 「八百万の神の考え方」を持ってる日本人なんて現代では珍しいですから、それが由来するということはないのでは、と私は思います。