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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「八百万の神」の本来の意味は)

「八百万の神」とは?

このQ&Aのポイント
  • 「八百万の神」とは、古代の日本において神々が数多く存在したことを表現しています。
  • 「八百万の神」という表現は古代の日本の人々が神々に囲まれて暮らしていた世界観を象徴しています。
  • 「八百万の神」は神様だらけの日本を意味し、古代の日本の宗教観や信仰の範囲の広さを示しています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2309/5140)
回答No.3

>古代ではいろんな神様がいたるところにいらっしゃるめでたい国というような意味で使われていた可能性はありませんか。 「八百万の神」は、八百万柱の神様がいるという意味ではありません。 ※柱=神様の単位。 「八=たくさん」を意味します。 「江戸は八百八町、大坂は八百八橋」と、昔から言いますよね。 が、実際に八百八の町。八百八の橋は存在しません。 江戸は大都会!大阪は水の都!を意味します。 >昔の日本人は神々に囲まれて神々とともに生活していた、そんな世界観・宗教観を持っていたのではないでしょうか。 その通りですね。 日本人は、古代から「自然=神様」と考えていました。 山には、山の神様。 川には、川の神様。 石には、石の神様。 水には、水の神様。 火には、火の神様。 雨には、雨の神様。 風には、風の神様。 至る所に、名もなき神様が居るのですね。 ※要は、必要以上に自然を破壊するな!という教えです。(自然環境保護) ※要は、必要以上に火を使うな!という教えです。(戦闘行為を戒め) また、日本独特の思想で「付喪神(つくもがみ)」が存在します。 物(食器・炊事道具・鞄・櫛・農機具など様々な道具)は、100年経つと魂が宿って「付喪神」になります。 要は、物は大事に使いなさい!という教えです。 まぁ、農耕民族の日本人は「自然を相手に、自然と調和しながら生活をしていた」のですね。^^; 余談ですが・・・。 富士山の神様は、「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」です。 皆さんがご存知の「かぐや姫」です。^^;

katakana1956
質問者

お礼

『「八百万の神」は、八百万柱の神様がいるという意味ではありません。・・・』当方の勘違いを正していただきありがとうございました。いっぽう古代の日本人は神々に囲まれて暮らしていたことを再確認できたのでうれしかったです。そういうふうにまわりの世界をとらえると今でも神様がそこいらへんにいらっしゃるようで不思議な雰囲気になります。ご回答ありがとうございました

その他の回答 (5)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11125/34629)
回答No.6

皆さん指摘していますが「やおよろず(八百万)」とは数を意味していません。 古語では「やお(八百)」が「とっても沢山」の意味になります。なぜやおが沢山の意味になるかは分からんですが、そういう意味です。 そして「よろず(万)」は「あらゆること。万事」という意味になります。 ですから「やおよろずの神」とは「あらゆるところに、とっても沢山の神様がいる」という意味なのです。 日本語に元々文字はありませんから、その「やおよろず」に文字を当てると「八百万」となり、これが奇しくも数字と一致してしまったということなのです。

katakana1956
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。「八百万」とは数ではない。今回のみなさんのご回答でよく理解できました。ありがとうございました。古代の我々の祖先は神々の住まう土地で長い間暮らしていたのです。自然の恵みに感謝しながら。現代の環境問題以前にこれからも日本の自然と歴史を大切にしたいですね。

  • ayzm
  • ベストアンサー率17% (188/1102)
回答No.5

皆さんは八百万の神を「はぴゃくまん」と読んでいませんか、正式には「やおよろずのかみ」と読みます。 それは数ではなく、いっぱいとか沢山と意味で使います。 日本語には目で見れば数字ですが、読み方・解釈が違うのが多々あります、調べてみても面白いです。

katakana1956
質問者

お礼

日本語は面白いですね。奥が深いというとなんか学問的な印象も持ってしまいますが、面白いと表現しても腹立てる人はいないでしょう。そのことばの起源をよく知らなかった人が他人に教えられてなるほどと納得する、それでいいのだと思います。これからもこのOkwaveの回答者の方々、よろしくお願い申し上げます。ご回答ありがとうございました。

  • gongorogon
  • ベストアンサー率16% (706/4250)
回答No.4

日本には色んな物に(すべての物?)に神様が宿っているのではありませんでしたっけ? トイレの神様は、歌にもなるくらいですから。 そういえば親せきのトイレには、呪文のような札が貼ってあります。

katakana1956
質問者

お礼

今はあまりそんな風には考えませんが、古代社会は確かにそうだったんでしょうね。とはいえ日本人はそういう世界のとらえ方がいまだに続いているとも言えます。だからトイレの神様という歌も作られたんでしょう。「物を大切に」「食べ物を粗末にするな」といったような日本人共通の「教え」もその影響なのかも。ご回答ありがとうございました

  • 69015802
  • ベストアンサー率29% (384/1303)
回答No.2

宗教は嫌いですが、有史以前のすべての物や現象に対し感謝と畏敬の念を込めての言葉だと思います。 有史以降は神道仏教だけでなくありとあらゆる宗教が支配や金集めの手段として使われてきています。

katakana1956
質問者

お礼

同感です。当方も神様を金儲けの手段とする人は嫌いです。昔からそういう人はいました。現代の一部の新興宗教の教祖に限りません。古代の日本社会にはそもそも「お金」がなかった。お金無しで社会が成り立っていたのです。なんとも清らかに社会です。神々と共にわれわれのご先祖は暮らしていたのです。お金はやはり現代社会では必要なものとはいえその古代の神々と共に暮らしていた清浄な雰囲気にはあこがれます。ご回答ありがとうございました。

回答No.1

八百万とは 800 万の事ではなく、御質問者さんが指摘されるように「沢山の、数え切れないほどの」という意味です。 国家「君が代」にも「千代に八千代に」という文言がありますが、これを 1 千年 8 千年などと訳すのは古典も日本語もまともに知らない人だけでして、「代」は「年」ではありませんし「八千」は 8 千ではありません。 ……「年」と言いたければ「千年、八千年 (ちとせ、やちとせ)」」とか「千歳、八千歳 (ちとせ、やちとせ)」と言いますので「千代に八千代に」は「年」ではありません。 他にも「八百屋」は 8 百とは何の関係も無く、野菜を「沢山揃えた」店ですよね。 日本の神様は神道の神様だけではなく、基本的に亡くなった方は善人悪人を問わず、神様仏様になります……だから平将門も神様として祀られています。 有名人は神社の主神になったりしますが、基本的に亡くなられた方は皆、神様仏様です。 George Washington (米大統領)、John Campbell (英国人船長)、Robert Koch (独人細菌学者) 等の外国人も神様として祀られていますし、琉球の阿摩美久神、アイヌのカムイ神達等も八百万の神に含まれます。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A5%9E%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

katakana1956
質問者

お礼

日本語は奥が深いです。それは日本の歴史の奥が深いからですね。古代から続くこの国の自然と歴史をなにより大切にしたいです。ご回答ありがとうございました。

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