• ベストアンサー

暴力は必要悪なんでしょうか?

大相撲 尊富士 大の里と云う平幕で日本勢の活躍で久々に盛り上がったのですが、元横綱白鵬の宮城野部屋の北青鵬の暴行事件等の問題等 不祥事も多く、その影響で人気も低迷していたと思います。 1 唯、稽古の厳しさは別として、相撲界の常識は暴力は当たり前であり、それを外部が口を挟むな的な感覚で通っていた処があるのでしょうか? 肯定する気はないですし、絶対に許されないが、 関取が付き人を唯関取の機嫌が悪いだけで殴ったと云う様な事が昭和や平成時代にあった事も聞いております。 2(全てがそうだと決めつけているわけではない事を断っておきます)大学時代スポーツ推薦で入学したX氏は 「なんかしらないけれども暴れてみたい気持ちがあった」 「中学高校と怖い顧問や先輩が居てくれた御蔭で暴走せずに済んだ」 と云う様な事を云っていたと思います。 3 暴力ある程度の罰則は多少仕方無いにしても、 「意味もなく殴る」事は言語道断ですが、その様な気持ちを理解して欲しいと云うのが上述の人達なんでしょうか?  勝つ為に厳しい練習をしたのは変わりませんが、 別に暴れてみたい気が無い人はそれで良いが、暴れてみたい気持ちが強い人が居る、そこを理解して欲しいと云うのが 「暴力で序列を決める→苛めや暴力を行うが枠に囲い込めるので纏まる」と云う事なんでしょうか? 4 野球も相撲も他の分野でも叱咤激励や練習の厳しさは別として、 「なんかしらないけれども暴れてみたい」という人がおり、その様な人が技術的に優れていると問題を起こしているように思えます。 故に、暴力は必要悪なんでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10470/32925)
回答No.4

貴殿のお名前にある1975はおそらく1975年生まれを指していて、よく昭和の体育会系の暴力的指導の質問をされていますから、今でも「体育会系=暴力」と捉えられていると思います。 確かに今でもたまに運動部での体罰などが話題になることがありますが、今は「全国ニュースになる」時代です。もし質問者さんが1975年生まれの方ならご存知のはずですが、今体罰でニュースになるやつは、昔はニュースにさえならない「日常の出来事」でした。今はあの日常的な暴力をうっかりやるとニュースになってしまうほど「やってはいけないこと」になったんですよ。 ただ相撲部屋に関しては、昔から「どうにも始末に負えない不良少年」がやってくる場でもありました。私の昔の知り合いでも相撲を廃業した人でそういう人がいました。中学生のときは手が付けられない暴れん坊で、担任の教師から「お前は中学を出たら相撲部屋に入るか、ヤクザになって鉄砲玉になるかのどちらかだ」といわれて相撲部屋を紹介されて入門したそうです。 当時の彼はケンカ番長で、暴れてカネになるならこんなオイシイ話はないと思い、本人曰く「全員ブチのめすつもり」で入門したものの、先輩たちはとんでもなく強く、そこでブチのめすつもりがブチのめされてようやく「従うこと」を覚えたそうです(本人談)。 格闘技の世界って、そういうところがあるんですよ。今でも「地下格闘技」と呼ばれるやつは、ただのチンピラの集まりだったりしますよね。 けれど礼儀作法を知らない地下格闘技は別にして、相撲だろうがボクシングだろうがキックボクシングだろうが、ちゃんとした格闘技の世界は基本的には礼儀作法はとてつもなくうるさいです。私もキックボクシングを習っていたことがありますが、インストラクターの皆さんは練習を始まる前と終わった後の挨拶などの礼儀作法には大変厳しかったです。やっていることが暴力的であるからこそ、礼節をわきまえないといけないということです。 ただ中には飛び抜けて強い子なんかもいますから、そうなると調子にのるのが収まらないってこともあるでしょうね。 けれど宮城野部屋のことに関しては、宮城野親方の振る舞いはあまりに悪すぎたというのはありますね。モンゴル人の価値観は「強い男は何をやっても許される」というものらしいので、その辺りの影響もあるのかなと思います。とはいえ人格者として人望も厚い大島親方(元旭天鵬)と揉めるのはいただけないですよ。

hinomine1975
質問者

お礼

ご回答いただきありがとうございます。 モンゴル人の「強いから何をやっても許される」と云う感覚が一連の不祥事を起こしていると思います。文化の違いは難しいと思います。

Powered by GRATICA

その他の回答 (3)

  • okvaio
  • ベストアンサー率26% (1774/6787)
回答No.3

必要悪とは違うと思います。 自分が育った環境が普通だと思う「認識の違い」かもしれません。 つまり、まだまだ、スポーツ界全体がそういった認識をもっている と思います。 特に相撲のような格闘技については、常識化しているのかも しれません。 まあ、今は、「おだてて育てる」時代だと思います。

hinomine1975
質問者

お礼

ご回答いただきありがとうございます。 相撲界では通っても、社会的品性にかけると非難されることが伺われましたが、未だモンゴル勢は理解に乏しいのではと思います。

Powered by GRATICA
  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1119/8878)
回答No.2

モンゴル出身の力士が問題を起こすことが多いように思います。どこか日本出身の力士とは違う共通点があるのかなと思います。

hinomine1975
質問者

お礼

ご回答いただきありがとうございます。 モンゴル人と日本人の文化の違いで「強ければよい」という感覚を勘違いしたのが一連の不祥事かと思います。

Powered by GRATICA
  • tetsumyi
  • ベストアンサー率26% (1855/7082)
回答No.1

暴力は必要じゃないけど暴力と思ってないのでしょう。 横綱白鵬は立会いの張り挿しを一つの技としてやってましたから、引っ叩くのは突然叩かれることに慣れさせるつもりだったのかもしれません。 横綱としては何とも見苦しい相撲だと思ってました。

hinomine1975
質問者

お礼

ご回答いただきありがとうございます。 確かに白鵬の立ち合いは見苦しいと批判されておりました。 品格の問題があると思います。

Powered by GRATICA

関連するQ&A

  • 暴力的な人間を活かす事も必要悪?

    1980年代に小学中学時代を送りました。 当時、暴力的な同級生が居り、その様なタイプの人間が居る スポーツ少年団や 部活動は 特に理由も無いが、暴力三昧の感じでした。 彼等は 1 序列を造る為に喧嘩をする 2 それで上下を決める という感じでした。 1 良く、運動部の体罰の問題が云われておりますが、当時の彼等の様な気質ならば、顧問(彼等と似た様なタイプだった)や先輩に服従し、弱い処にぶつけるが、 顧問という存在があるので纏まるという事や この競技に打ち込む事で暴れてみたい エネルギーをこの方向に持っていけるという事で、彼等にとってはその様な 組織が良かったのだと思います。 (現在60-70才位で野球選手や力士に成った人もその様な事を言っていたと 思います。) 2 唯、この顧問や部員は非道をしていないが 練習とは別に喧嘩や暴力嫌いと いう人を「根性がない」と嫌い、退部する折にも暴力を振るったりしておりました。 結局暴力好きな人間を活かす道があり、その為には暴力嫌いの人は我慢して犠牲に成らないといけないという事なのでしょうか? (1980年頃に国士館大学で特に非道はしていないが、寮やクラスで誰が強いとか  という事で殴り合いの喧嘩が続く日々に、馴染めず退学し、別の大学に入り直した  人が居りました(私もその人の気質に近いのですが)  3 小学中学時代 暴力的な同級生やこの部活の顧問は 特に非道をしていないが  喧嘩 暴力嫌い 以上でも以下でも無い人間を(私もその様な気質でした) 根性がないと云われたので これには矛盾を感じたのです。  この顧問は いじめや暴力があっても 暴力的な人間の方が「この人と思うと」  なんでも受け入れる、そして「限界を有する精神を持つ」事を第一に置いており、  その感覚に叶う者は暴力的なものが多いので好きという事なのでしょうか?)   ご回答お願いいたします。

  • 暴力が抑えられない人には暴力的世界しかない?

    「恐怖と権威主義は纏めるのに効果的である」という質問でもさせて 戴きました。 https://okwave.jp/qa/q9872138.html 暴力は絶対にいけないし、未成年でもその様な事をする者は隔離や 逮捕させるという法律を設けてはという事が提案されております。 唯、「暴力団的な組織に入る事」で心が安定するという人も極少数派 乍ら居り、その様な人達を活かす道もあるという事で、その様な人が 上位(例えば相撲部屋ならば関取 野球選手の主力メンバー)に成るとその様に成るのかとも思えます。(この様な云い方をすれば悪いし、 この人達の素行の悪さを肯定する訳ではありませんが、相撲の朝青龍氏 野球の清原和博氏の行動等見るとそうかもしれません) 時には根性論や止む得ない場合の体罰や法的な罰則を超えて、 絶対に許されないし正しくはないが、暴力が抑えられず、暴れてみたい気持ちがある人の気持ちを理解してくれるのが、「暴力団的組織」なのでしょうか?  私は子どもの時もそう暴れてみたい気はありませんでしたが、 「強さ」でこの人には叶わないと組織に入り、そこで暴走が抑えられるという人物も居り、犠牲者は出るがそれが大阪桜宮高校のバスケットボール部や日本大学アメフト部の問題で、あのやり方ではじめて枠組みに入る人も居るという事で、その様な人達にはあのような環境で しかやっていけないという事なのでしょうか? (1980年頃にヒットした漫画『じゃりン子チエ』のテツという人物 も、その様な感覚でテツが居るので柄の悪い地域は守られ、 一般の人(唯食い 軽い暴力それでもテツにすれば手加減しているつもり)へ裏社会の人は手を出さない、テツの暴走を恩師花井拳骨 母竹本菊によって抑えられるという構図であの様な感覚でコントロールされていく人も居るという事なのかもしれません)

  • 暴力が抑えられない人にとって必要悪なる組織も必要?

    暴力が抑えられない人にとって必要悪なる組織も必要? 反社会的な暴走族や暴力団はそうですし、 それを辛うじて止めているのが、昔の芸能界や野球選手 プロレス ボクシング 相撲部屋などもそうだったと思います。 暴力は犯罪で、いじめもいけないのは最もなのですが、 中に抑えられない人種がおり、そのようなタイプが 抑えられるのがその様な組織なのでしょうか? 「体罰はいけない」のですが、この様なタイプは 1 殴り、この人は叶わないと思わせる(占める 焼きを入れる) 2 暴れる精神を野球等に打ち込む事で闘争心があるので   その様な気質の者が使える(今はメジャーな競技も増え  大リーグへの挑戦する選手もいるのでそういえないが、  昔は球技なら野球 格闘技ならボクシングかプロレスか相撲  に限られていたのでそういう感じだったと思います) 3 家でも暴力に慣れているので、この様なタイプの方が使える と云う事なのでしょうか? 「体罰はいけない」「未成年の暴行なども法律で逮捕させるべき」 真っ当な意見ですが、彼らにとっては「暴力による統制」が居心地がよく、それで感情がコントロールされているのでしょうか? 大阪桜宮高校のバスケットボール部の小村氏や島根開星高校野球部の野々村直通氏等はその様な生徒の立場に立ってその思いを発揮させてやりたいと云う事なのでしょうか? 唯、1980年頃私の学校の運動部の顧問は 普通の生徒で仮入部で辞退する生徒に体罰 ついていけない生徒の退部も認めず体罰(結局辞めたが) 残った生徒は血の気の多い暴力的なタイプが多く、 優秀な成績を残してましたが、不良生徒の為に 一般生徒が犠牲にならないといけないのでしょうか? 又、当時は今ほど体罰が問題になりませんでしたし、 罰則や悪い事をすれば仕方ない位に思っておりましたが、 この顧問をする教師は「気合を入れる」「強くする」為に 体罰が必要であると考えており、普通の真面目な生徒で 「唯日常的に殴られるのは嫌」と云う生徒にも 「あいつは根性がない」といい大人しい生徒や特に非道せず 唯暴力的な組織に順応できない生徒にも自分の思いを押し付け ておりました。(戸塚ヨットスクールの校長と似た様な感じでした) 流石に当時でもこれは問題になり、この教師は退部を認めるようになりましたが、不良生徒を生かす道、その様な生徒を統制する為にはこの様な感覚になるのでしょうか? ご回答お願いいたします。

  • 大相撲。朝稽古見学。白鵬が見たい!!

    相撲の朝稽古についての質問です。 九州場所中の朝稽古を観に行こうと思っています。場所前の稽古は何度か見学に行ったのですが、場所中は初めてです。できたら宮城野部屋の白鵬を見たいと思っています。 そこでなのですが、場所中は出稽古などせす、自分の部屋で稽古するものなのでしょうか??横綱を見たい場合、その部屋の稽古時間中に行けば必然的に横綱を見れるものなのでしょうか? それとも稽古をしない場合もあるのでしょうか?? 武蔵川部屋の見学に行った時は若手の力士が「場所中は朝5時半~9時くらいが稽古時間」と言っていました。 その時間帯に宮城野部屋に行けば白鵬も出てくるのでしょうか?? よかったらいろいろ教えて下さい。 また、福岡の宮城野部屋の練習場所を知っている方いましたら加えて教えて下さい。というのも部屋の場所(宿舎)は知っているのですが、その付近に土俵などの練習場所がないのです!一体どこで練習しているのやら??知っていたらお願いします・・。

  • 人間とは本来暴力的気質?

    私は完全に体罰は否定しません。 唯、人によって「暴力日常」と云う組織があります 又、それで序列を作っていくと云う事も。 人間は何処か自分のしてきた事を 肯定したくなると思います。 昭和30年代~40年代位の芸能界やスポーツ界はその様な人間関係で成立していたのでしょうか? 例えば、清原和博氏が覚醒剤で逮捕されましたが、今から5.60年前ならば、 その黒幕に暴力団が居り、その様な事実があっても、正しくは無いが、もみ消してもらっていたと 云う事なのでしょうか? 又、俳優タレントスポーツ選手でも「今はマスコミもお茶の間に入っていくので世間的なものが求められる」と云う事を云われておりますが、 この時代のスターと云われた人達は無茶振りを行い、それを「男らしい」とか云われていたと思います。(例 力道山が付き人を鍛えるといい海に突き落とす(アントニオ猪木が何かで言っていたと思います) 若山富三郎が新人が挨拶に来ると、 ここは厳しい 俺は怖い事を示す為に意味もなく殴る等) 私にはこの様な実例は不可解な行動ですが、 元来人間は暴力的なものであり、 今法律が厳しくなったので抑えられているものであり、 そうでないと暴力的な生き方をする者(勿論才能が秀でる事はありますが) が勝ちと云う事なのでしょうか? 又、清原和博氏等にとっては今の社会は生きにくく、昔ならば暴力や犯罪を犯しても、バックの黒幕に庇ってもらい、自分の暴力性を存分に発揮できた良い時代だと 云う事になるのでしょうか? 私自身は暴力喧嘩嫌いです、罰則としての体罰ならば解りますが、 上述の人たちは元々暴力好きであり、その暴力性が今法律等で厳しくなった それを憂いていると云う事なのでしょうか?今の大相撲の問題もその様な処があると 思います。ご回答お願いいたします

  • 暴力的な人を受け入れてくれる組織も必要?

    「暴力がスキンシップの人も居る」 https://okwave.jp/qa/q10091715.html と云う処でも質問させていただきましたが、 公立の小中学校ではその地域に居るだけで様々な人が入ってきます。 絶対正しくは無いし、良い事だと思いませんが、極一部の人は 「暴力を行使し自分の立ち位置を確認する」と云う人が同級生でも 居りました。 良く運動部の体罰が問題に成っておりますが、此方が悪い事をした場合を除き、私の小中学時代も極一部の人は 「苛々しているから暴力」 「その暴力に耐えれた者だけが根性がある」 と云う様な処で組織が暴力的に成っていく処があります。 (運動部の理念(当時でも顧問や部長はその様な事を否定していたが) とは別に暴力的な人が居るとそうなる処があります) ① 前述のY君はじめ数人の人間は、 「この人には叶わないと 思わないと基本的な事も聞かない」 「その代わり腕力で叶わないと云う事を聞く」 と云う感じでした。 これは、両親はじめ、周りの環境が大きいのでしょうか? ② 罰則の体罰とは別にして、彼等の思いが発揮できる組織が 暴力を行使し、感情がコントロールできる組織に成るのでしょうか? 叱咤激励とは別に、野球部等にはこの様な部員が居り、 非行防止よりも野球部と云う枠に囲い込む事でその暴力性を 正当化(私は正しいとは思わないし、当時でもおかしいと思ったが、鍛えてやっている)出来ている処があると云う事に成るのでしょうか? ③ 無意味な体罰(罰則の体罰は別として)やいじめは絶対にいけない し、現在態度教育等でタイムを伸ばしたアスリートも居られ、必ずしも スパルタ教育が正しい事だとは思わないし、昔の叱咤激励するレベルを超えて、前述のY君の様なタイプが運動部でレベルが高いと、 どうしてもY君が周りに無意味な暴力やいじめを行っても「鍛えてやっている」と正当化されていき、Y君の様なタイプの気持ちを何処か受け入れているのが、「暴力で序列を造る世界」になるのでしょうか? ④ 何処かの野球部や柔道部の顧問が 「この人は怖いと思わせやきを入れ従わせる→そこで信頼関係が生まれる」と云っておりましたが、この様なタイプも居り、彼等にとっては この様な感覚で感情がコントロールされている様です。 Y君は野球の勝ち負けよりも、暴力で圧倒し服従させる、そうすれば通ると思っている節がありました。 もしかして、正しくはないが彼等の様な心理の者を活かす道として、 「強いから従う、暴力で圧倒」と云う組織があるのでしょうか? このあたりの事をご回答いただければと思います。

  • 暴れてみたい人の受け皿は必要悪

    ①一概には云えませんが、数年前から 桑田真澄氏 古田敦也氏 落合博満氏等が 「野球の意識改革」「暴力の根絶」を説いております。 (落合氏は絶対暴力や理不尽な要求はしない代わりに 愛甲猛氏に厳しい練習を課した事等からもその事が伺われます) ② プロ野球選手になるには実力が伴わないといけません。 昔の根性論とかそれに伴うしごき等は受け容れても 相容れない人 噛み合わない処があり矛盾を生み出しているのでは 無いかと思います。 唯、相容れない人噛み合わないと思ったのは 「何か知らないけれども暴れてみたい人」が居り、 その様な人が学校や職場にいると不可解なものに映ったのです。 ③ 現在では発達障害と判断されるのですが、 昔はその様な人にとっては 「暴れてみたい→周りに喧嘩を売る→立ち位置を確認する」と いうものだったのでしょうか? そして彼等には居心地の良い感じだったのでしょうか? 仕事は実力がものを云い、秩序を守り、暴力振えば昔でも傷害罪に 成りますが、とび職や漁師でも(あってはならないが) 「暴れる」人が40年程前には居たと思います。 ④ 発達障害でそれを抑える様に現在では対応されてますが、 その気質を良き事として持って行きたいのが、故星野仙一氏 長嶋茂雄氏 清原和博氏や先述の愛甲猛氏なんでしょうか? (褒められないし許されないが、「意味もなく暴れてみたい気持ちや 周りに喧嘩を売りそれで認められたいと云う気質を認めて欲しい的な) 前に例を出した私の同級生や先輩で野球部所属のM・Y君やR・Y君も 勿論実力はそこまでなくプロには成れませんでしたし、 成人しても暴力で逮捕された事も有ります。 小中学時代暴力を振るった時に担任の先生に云った言い分が この様な事でしたので。 (学校も職場も労働条件よりも彼等の様なタイプが居るとブラック化 している様に思えますが、彼等はあれで感情がコントロールされているようですので)

  • 相撲の力士について

    相撲の力士について疑問点があります。 いくつか教えてください。 1.力士は十両以上になると「関取」となり、付き人がつき、部屋でも個室が与えられるのが一般的と聞きました。 一度関取になった力士が、成績不振等で幕下に陥落するケースはたまにあるかと思うのですが、こういう時は付き人はなくなり、さらには部屋での個室もなくなってしまうのでしょうか?それとも一度関取になった人は特別待遇なのでしょうか? 2.力士は自分の取り組みが終わると、すぐに風呂場へ行き汗を流すようですが、東西で風呂場は一緒なのでしょうか?一緒だとすると対戦した相手同士が風呂場で顔を合わせて、喧嘩とかになるような気がするのですが。。 3.幕下以下の力士は基本的には部屋で個室がないと聞きます。大部屋での生活ということでプライベートな空間が全くないと思います。まだ若い健康的な男子であれば、性処理なども絶対したくなると思います。でもそれをする場所、時間がないのではと心配してしまいますが、トイレとかで事をなすのでしょうか?(それしか考えられませんが。。)

  • 暴力は人によっては必要悪的なもの?

    1980年頃の体育教師は不良生徒と気質が似ていたhttps://okwave.jp/qa/q10141419.html と云う処でも質問させて戴きました。 家庭環境も大きいと思うのですが、 暴力でこの人には叶わないと思わないと基本的な事も聞かないと 云う同級生が居りました。 彼は小学校の時から女の先生が「宿題の催促をした」とか 「遅刻や私語を注意した」事に腹を立てて暴れ、 所謂怖い教師や怖い先輩が「最近たるんどる」「気合いを入れる」と 殴られても、この人には叶わないので云う事を聞くと云うものでした。 1 公立の小中学校はその地域に居るだけで   様々な子が集まって来ます。   「殴らなくても聞く子」と上述の彼の様なタイプが同じ環境に   身を置く事に成ります。彼を学校と云う枠に入れる為に、   1980年頃は「殴らなくても良い子」は所謂体育教師の言動も   我慢すべきだったのでしょうか? 2 この怖い先輩や怖い体育教師の言動で   彼を暴れさせないと云うのは良かったのですが、   この怖い体育教師の中で「殴らなくても聞く生徒」を   「彼は彼」と認めている教師はそれで良かったのですが、   その教師の一人は「殴らなくても聞く子」を「根性がない」とか   「認めない」的な事を露骨に行う教師が居りました。   その教師は自分が体育大学の寮での人間関係を全生徒に強制し、   それに付いていけない子は「根性がなく」   付いていける子で「自分が怖いから従い」「他では失礼な事を   する子」が可愛いと云う感じでした。   3 私もさぼったり 怠惰な処もありましたし、     強制や合宿や研修での根性論も時には     必要かとも思えたのですが、私の小中学時代の結論は     「普通の教師も怖い教師もここまでは聞ける、が怖い教師も     「気合いを入れる」と殴られる事は理不尽で従えない」    と思ったのです。その様な事から体罰が問題に成ったのだと    思いますが、上述の彼の様なタイプを枠組みに入れる為には    ああするしかなかったのでしょうか?     4 野球や相撲で暴力の不祥事があります。    絶対に可笑しいし、理不尽で許されないが、    「何か知らないけれども暴れてみたい」と云う気質の者が    居ります(上述の彼もそうでした)    稽古の厳しさとは別に、野球や相撲でもその様な人が居る    そうです。    (学校の運動部等でも同様)    彼等の思いを発揮させてやりたいと云うのが、保守的な    運動部の人間関係を肯定する処に成るのでしょうか? 5  彼から私は「以上でも以下でもない感覚が甘えている」    と云う理由で因縁を付けられた事があります。    彼の家は父から「喧嘩で負けると殴られ家に入れて貰えない」    「兄弟で食事を喧嘩して取らせ、     勝てば食べられ負ければ与えられない」    と云う事をされたそうです。    彼を従わせるのは暴力でこの人に叶わないと思わせないと    云う事を聞かないと云うもので、この様な感覚が次世代に    連鎖していきます。    故に結局暴力で制するしかないのでしょうか?

  • 暴力でしか従わない(無限スパイラル)人

    教育はある程度強制であり、幼少時はその様な事で善悪の感覚を身に付け覚えていくものだと思います。 昔(昭和50年代)幼稚園や小学校等で罰則として体罰の様なものがあったり、それで特にクレーム付けられる事無く来た大らかな時代でしたが、その部分を差し引いても、 極稀に「腕力でこの人に叶わないと基本的な事も聞かない」 「理論で正論を云っても馬鹿にする」と云う様な同級生が居りました。 彼等の家庭環境は父親はじめ周りの大人が子に対してだけでなく、 周りにも「恫喝や威圧で周りを怖れさせる→子にも思いやりや公共道徳よりも負けるないわしてこいと云う躾→負ければ父親から体罰」と 云う感じで、その姿勢が子に伝播している様に思えました。  体罰はいけないと云うのは当然の事ですが、 彼等を枠組みにいれるのは「強権さ(体罰 暴力を含む)で服従させる→云う事を聞かせる(そうしないと基本的な事も聞かない)」と云う無限のスパイラルに陥っている様な気がします。 罰則の体罰や練習の厳しさや根性論的な研修を差し引いても、彼等は「常に誰かを攻撃していないといけない様な感じで→そうないと「舐められたら負け」と云って居りました」 ① 運動部の体罰(完全に否定しませんし、時と場合にもよりますが)練習とは別に寮や下宿等で昭和時代に同室の者から意味もなく 殴られた某大学のエピソードがありましたが、彼等の気質もその様なものなのでしょうか?(多分その加害者もその分野でプロには成っていないのでそれ程実力は伴っていないと思うが)実力よりその様な気質の者の拠り所として理解して欲しいと云う事なんでしょうか? ② もう10年前に成りますが、大阪の桜宮高校で体罰による自殺があり、誠に遺憾でしたが、加害者の教師を庇った生徒が居り、私も理解に苦しみましたが、「なんか知らないけれども暴れてみたい→ 叶わない人によって枠組みに入る人」はあの様な体制で感情がコントロールされているのでしょうか? 野球選手や相撲の力士も練習の厳しさとは別に「暴れてみたい気持ちを理解して欲しい(正しくはないが)」と云う人があの様な体制を好んでおり、それで感情がコントロールできるのでしょうか? ③ 私の私見ですが、暴力を用いなくても生きていけるそれは結構だが、出来ない人が居る、その様な気持ちを理解して欲しいと云う事が 所謂理不尽な体育会系の暴力等なんでしょうか? この辺りの事をご回答戴ければと思います。