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人間の暴力的な気質について
- 人間は本来暴力的な気質を持っているのか?
- 過去の芸能界やスポーツ界においては暴力が日常化していたのか?
- 現代の社会ではマスコミや世間の期待によってスターたちは無茶振りされ、暴力的な行動が求められていたのか?
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スポーツ部の暴力的気質というのは、何も日本に限った話ではありません。 アメリカでもアメリカンフットボールでは日本の体育会系にあるような新入生いじめというのは割とどこでも昔からあり、時々告発する事例も出ますが意外にあのアメリカ人も「お前もアメフトをやりたいっていう男ならそのくらい耐える根性を見せろ」と思っているみたいです。 日本では昔の軍隊のいじめも有名でしたが、軍隊のいじめは世界中どこの軍隊でもあって、英語ではこれを「チキンシット」といいます。なぜ鶏の糞なのかの語源は分からないそうです。 例えばアメリカ海軍では、士官候補生は初めて航海任務についたとき、士官候補生たちが集められて「生ゴミ早食い競争」をやるのが昔からの決まりとなっています。これは拒否することも可能ですが、拒否すると海軍にいる間中ずっと「アイツは通過儀礼をやらなかった腰抜けだ」といわれ続けることになります。つまり出世はできなくなります。アメリカ陸軍の空挺部隊では、エリートの証である空挺部隊の記章を授与されたらそれを胸の筋肉に直接ピンを通すのが通過儀礼となっています。 思えばあのバンジージャンプも、ニューギニアだったかあっちのほうでの成人になるための通過儀礼です。あれをやらないとあの社会では大人として認められないわけです。 だからたぶん、軍隊やスポーツ部のようにオスばっかりが集まる集団になるとその手の野蛮な習慣が生まれる土壌を我々人類はそもそも持っているのではないかなと思います。 かくいう私も、新入社員のときに軍隊のような新人研修でしごかれました。それを経験するとどうなるかというと、まず同期同士の結びつきはものすごく強くなります。「あのキツい訓練を、みんなで乗り切った」という連帯感が生まれます。 またその組織に対しても「この組織に所属する人たちはみな同じ経験をしている」という連帯感が生まれます。私はその会社の社風がどうしても合わなくて退職したのですが、退職後に別の仕事で仕事関係の他社の人がその会社の先輩にあたったことがあり、それが分かってからはもうその人とは突然ツーカーになったってことがありました。 芸能界だとプロレスだの、あるいは相撲界もそうなんですが、ああいう業界では本当に粗暴で手が付けられないような子がまともな社会では受け入れてもらえなくて流れてくるっていうのがよくあるんですね。私の昔の知り合いでも相撲を廃業した子ってのがいましたが、そもそも彼が相撲界に入ったのも、体が人一倍大きくてケンカ番長で手が付けられなかったからです。学校の先生から「お前は相撲取りになるかヤクザになるしかない」といわれたそうで。その子の暴力沙汰にほとほと手を焼いた学校の先生が人づてに相撲界の人に頼み、まあなんというか、戸塚ヨットスクールに押し込むみたいな感じで相撲部屋に押し込んだのです。どうせ高校に行ってもそこで大暴れして迷惑をかけるだけですからね。 そういう若い子ってのは「強ければそれでいいんだ。力さえあればいいんだ」とか「力だけが必要だと頑なに信じて、従うとは負けることと言い聞かした」なんていう子たちなので、もうとにかく力で抑えつけて「世の中にはもっと強い人がいくらでもいる」っていうのを教えないといけないっていうのはあるのです。 恐怖心がいかに人を支配するのに効果的なのかっていうのは、北朝鮮やブラック企業が存続していることをみればよく分かると思いますよ。チンピラなんかも「ぶっ殺すぞコノヤロー」とかいってお金をむしり取るわけですが、警察に駆け込めば相手が逮捕されるのに「逆上されて殺されたらどうしよう」とか思ってみんなお金を払っちゃうわけですよね。 昔「インテリは土方に勝てない」っていわれたものでしたが、結局はそういうものだと思いますよ。私だって安倍首相に逆らうことはあったとしても、プーチン大統領閣下には絶対逆らいませんもの・笑。
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- HutsuunoHito
- ベストアンサー率15% (221/1452)
所詮、人間なんてそんなもんです 教育水準が低ければ低いほどそういう傾向にあります スポーツなどの村社会は悪習が代々受け継がれるのでより多いと思います 先日亡くなった星野監督だって、鉄拳制裁は日常茶飯事だったらしいですから いくら震災後に良い事をしたからといって、本質はどうなのかと思ってしまいますね 相撲協会の件だって、暴力以外の事の方が焦点になってますし、国民もアホみたいに流されて貴乃花親方の態度を批判してますからね・・・ 相撲協会って気持ち悪い宗教集団みたいで嫌悪感しかないですね 個人的にはどうでもいいですが・・・・・
- nijjin
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生きるためには暴力的でなければなりません。 現在ではかなり薄らいではいますが文明と呼べるものが無い時代は狩猟などで生活していました。 つまり、動物を殺して食べていた時代です。 可哀そうだからと殺さなければ飢え死にします。 鹿などを捕まえようとして反撃されても怖いからと何もしなければボコボコにされ大けがを負います。 また、安住できる以前は猛獣などに襲われれば戦う必要もあります。 先祖はそんな時代を生きてきたわけですからその記憶(暴力行為)がDNAに組み込まれているのでしょう。 理性よりもそれが強い人は暴力的でありそうでない人は暴力的ではないのかもしれません。 実際には、暴力(力)によって優劣が生まれるのは人間だけではありません。 人類誕生以前からなので 力(暴力)の強いものが群れのリーダーになるというのはライオンなどたくさんの動物で見れます。 人間はそれがありながら理性・知性も加わるのでややこしいのでしょう。 そうでなければ凶悪事件やDVなんかも起きないでしょうね。
- E-1077
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「人間とは」と語るならば力道山や極道の話、清原和博などの話を持出すのはおかしいと思います。大多数の人々は粛々と日々の生活を送っているのですから。 ただ、種として動物的な本能のような「暴力的」な部分はあると思います。保身だったり家族や所有物を守るための物です。女性の産後のガルガル期など聞いた事はありませんか? 部活などの体罰や相撲界のかわいがりなど、スポーツ界の精神論的な暴力は特別だと思われます。推奨は出来ません。 子どもを躾るための体に痛みを覚えさせるのは時としては必要だと思います。 アニメ初代ガンダムでアムロがブライトさんに殴られた時「親父にもぶたれたことないのに!」と叫んで「だからお前はダメなんだ!」と言い返される。ああいうやつです。 基本的に私も暴力は嫌です。 人間ならば理性で解決したら良いのにと思います。