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人の好き嫌い
30代前半の男です。私は人の好き嫌いが激しく、嫌いな人に対して顔や態度などに出してしまうことがあります。やはり大人ならどんな人に対しても平等に接するべきでしょうか?
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- yakky37
- ベストアンサー率31% (5/16)
そのままで良いんじゃないでしょうか。 いずれそのままでは、済まない機会は、幾度となくやって来ます。 自営業の方ならまだ避けられますが、お勤めでしたら、やり過ごすことも仕事の内です。 これから学ぶ時間は、充分あります。
- citytombi
- ベストアンサー率19% (1721/8628)
慇懃無礼という諺がありますね。 「表面上は礼儀正しいけど、内心では相手を見下していること」という意味合いです。 また面従腹背・・「うわべだけは従うふりをしているが、内心では従わない・反対すること」という諺もあります。 なので、社会人ならば露骨に顔や態度に表さずに、こういう諺で振る舞えばいいのでは? 露骨に出していたら、やがて周りから人が離れていくよ。
- makori
- ベストアンサー率35% (403/1146)
嫌いな人でも表面上の社交辞令として平等に接するのが大人だと思います。 他人がいる中で露骨な態度は、周りが気を使って神経すり減らすので大人の対応とは言えません。
- I_novel
- ベストアンサー率50% (1/2)
「嫌いな人」というものは誰しもいるもので、その対象との適切な距離感を確保したり、なるべく意識しないようにして回避したりしてうまいこと付き合ってゆく人が殆どです。 しかし年齢に関係なく、どんな人間に対しても平等に接することができるならば、そういった人たちにはない魅力や人間性を手に入れることができるのではないでしょうか。 「人を選ばない優しさ」とは、真心を手に入れることと同等であると私は考えています。「優しさ」には、相手に対する見返りを求めたり、自己犠牲を伴ったりしてしまう要素をはらんでしまう恐れもあり、優しさを平等に与えることのできない多くの人はこれに陥りがちです。しかしながら、平等に接することができれば、そういった要素を全て取り除いた、真心の優しさで人と向き合うことができるようになります。そういった人は言うまでもなく周りから好かれてゆく人であり、自身にとっても人間関係がうまくいくため良いことだらけです。 ただ、逆を返せば、そこまでを求めていないのであれば、無理に人に対して平等に接することもないのではないかと思われます。そんなことをわざわざしなくたってうまいこと生きている人はいくらでもいます。 余談ですが、仏教では「慈愛の心」という教えがあるそうです。以前仏教に帰依する在家の方に私も同じような話を伺ったことがあるのですが、その人の見解としては、「人は皆生まれてくる場所を選べないのだから、あなたが嫌う人間が、あなただったかもしれないし、あなたがその嫌いな人間だったかもしれない。そういった運命は選べないのだから、人は生まれ、生きる責任を全うしている時点で愛されるべきなのです。」と仰られてました。 私なりの解釈も入りますが、これを分かりやすいように解説いたします。 まず、人は皆、人生をくじ引きで引いた人間として生きています。その人がどんな人間になるかは、育ってきた環境で形成され、社会やモラル、はたまた個人からの様々なものさしで評価されてゆきます。それはスキルや能力であったり、性格(優しさ、面白さ)であったり、人間性であったりと本当に様々です。 つまり何が言いたいのかというと、人に対する、好き嫌い、優劣といった「評価」とは、全て社会やモラルや個人が勝手に取り決めたものであり、人生くじを引いて運命のレールにただ乗っているだけの人々にそのものさしで評価するのは余りにも不条理なのではないか。ということです。 だからこそ、この運命に導かれる人々は皆"同士"として愛されるべきであると考えることもできます。 なかなかこのような心で人を見るのは難しいですが、嫌いな人は、あくまで「自分とは性格的な相性が悪いんだな」と線引きをして、蔑んだり、見下したりしないだけでも人に対する見方が大きく変化するのではないでしょうか。
- go-yachan3
- ベストアンサー率40% (64/160)
大人なので 嫌いな人とは関わらない で良いと思います。 学生は嫌いな人とクラスが一緒… なんてことも有りますが 大人は嫌いな人と一緒に居ないといけない理由は無いので 私も嫌いな人には露骨に態度に出します。