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囲い込み運動って、15世紀末から始まってる?
囲い込み運動ってよくよく調べてみると、15世紀末から始まってるんですね!? 歴史教科書だと囲い込み運動が、資本主義の勃興に繋がった…みたいに書かれていませんか?資本主義が始まるのは19世紀が始まる前後ですよね? 囲い込み運動が始まってから、資本主義が興るまで…このタイムラグは何なんでしょうか?
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補足を拝見しました。 >「資本の蓄積」がキーになるんじゃないですかね?世界史でよく語られる覇権交代、あれは資本の蓄積とセットになってるんじゃないですかね? ざっと スペイン→オランダ→イギリス と進みますが、スペインの頃は銀の蓄積が進んでスペイン圏の経済が発展し、メディチ家等が1番活躍したのもたぶんこの頃じゃないですかね? オランダなんか金融の最たるものですよね。私も詳しくないですが、アムステルダム等でこの頃、銀行業、金融のテクニックはかなり発展したんじゃないでしょうか? そして覇権がイギリスに移り変る頃…有名な、ロスチャイルドがワーテルローの戦いで大儲け、の事件が起きます。 ⇒あ、「資本の蓄積」、参りました! 完全に失念していました。失念というより、当たり前すぎて意識に上って来なかったのかも知れません。確かに、あらゆる事件やその動機が「資本の元=お金」と関わりますね。中世末期以降の大きな出来事を通観するに、個々の事例ごとにその関連を思わさずにはおかない観があります。新大陸、十字軍、海賊の私掠の国家的推奨…。まず、コロンブスは、「黄金の国ジパングを目指した」ことが船出の主要動機とされます。スペインの王は、ラテンアメリカから巻き上げた金銀財宝の多くを十字軍の費用に充てたと言われます。(→イギリス・フランスはほくそ笑んでいたかも知れません! 掠奪船の船長ドレーク(1543-1596)は、大西洋狭しとばかり、航海船を襲って海賊行為を働き、時のエリザベス朝から表彰されたことが知られています。etc., etc. >以上が16世紀〜19世紀初頭に重なってると思います。 表の政治史の裏では経済(金融)が着々と発展していた、ただしそれにももちろん時間がかかるし、ステップを踏む必要があった。それが囲い込みが始まってから資本主義が始まるまでの、タイムラグに繋がってるんじゃないですかね? ⇒ともに広大な領土を擁した両国、スペインとイギリスですが、大きな違いがありました。スペインは植民地から無制限に掠奪する一方、イギリスは植民地と交易するという経済活動で利益の導入を図った。17-19世紀の東インド会社経営、茶・アヘン・綿などの三角貿易。ことほどさように、イギリスはグローバルな経済活動に勤しんだ様子が彷彿されます。かつて、「日の没するときはない」と言われたほどの大帝国スペインが完膚なきまでに敗れ去ったのに対し、同じ大帝国イギリスが繁栄したのは、このような植民地政策の違いが一因となったといってもあながち間違いではないでしょう。 さて、くだんの問題、2つの囲い込み運動の間の、3世紀にわたる「タイムラグ」の要因は何か。rameznaamさんご指摘の、「覇権交代は資本の蓄積とセットになってるのではないか」というお説は大いに説得力があると思います。しかし、僭越ながら、それだけで十分かと言えば、必ずしもそうとは言えず、少なくとも、前便で不肖私の触れた国力の準備・常備や各層の意識的変化などの条件も加味して考えるとよいのではないかと考える次第です。(蛇足:これからは、イギリスのみならず我々も、「驕れる者久しからず」を地で行ったスペインを他山の石として、持続可能な経済社会を生きていきたいものです。)
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- Nakay702
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以下のとおりお答えします。 >囲い込み運動ってよくよく調べてみると、15世紀末から始まってるんですね!? 歴史教科書だと囲い込み運動が、資本主義の勃興に繋がった…みたいに書かれていませんか?資本主義が始まるのは19世紀が始まる前後ですよね? 囲い込み運動が始まってから、資本主義が興るまで…このタイムラグは何なんでしょうか? ⇒この2つの囲い込み運動の間にあるタイムラグは、「両囲い込みの間に本質的な差異があったこと、資本主義や国際競争の意識が成熟するのに時間がかかった」ことを語っていると思います。 (2つの囲い込み運動の間の差異) ・第1次囲い込みは、富裕層などによる牧羊地確保のための個人的所業であった。ゆえにそれは非合法で、農地から締め出された農民らによる農民一揆の勃発を誘発した。しかも、時は中世封建社会から脱して近代世界成立へ移行する前夜で、絶対王朝の成立・宗教改革と宗教戦争・市民革命・新航路開拓や植民帝国の建設などの出来事が続発sるなど、とにかく全体的に多忙であった。加えて、庶民の国家意識は未発達だった。 ・第2次囲い込みは、議会主導で食糧生産地確保のための合法的な農業革命であった。並みいる帝国列強との競争力が求められたので、貴族層や富裕層と市民層や農民層との対立は比較的に緩和されて、国力のための団結が幾分前進した。大規模生産のため、労働者の需要が高まり、農業従事者の多くが賃労働者化した。産業革命につながった。結果的にイギリスの国際的競争力が強まった。 以上のような、2つの囲い込み運動の間の差異や、それらの間に起こった出来事を羅列し、整理してみると、「タイムラグ」がなぜ存在したかが理解できます。すなわち、まず、出来事の多く(農民一揆・宗教改革など)が資本主義の促進にとってマイナスの要素として働いたことが読み取れるからです。また、たとえ資本主義に対してプラスに作用したように見えるもの(絶対王朝の成立・海外植民地の獲得など)でも、本来なら資本主義の推進に与かって力となったはずのエネルギーがそれに転用され、国力を削いだことは間違いないと考えられます。さらに、当初(第1次囲い込みのころ)は、王権・貴族・市民のいずれの層も大なり小なり個人的なことに腐心するだけで、公的なあるいはイギリスという国家のことを配慮する心が芽生えるのは、スペイン・フランス・ドイツ・プロシアなどの列強との競争や、アメリカ・インドなど植民地や設立会社をめぐる係争のために、国力の集結が求められることが現実問題になってからのことでした。そして、ようやく、このことが第2次囲い込みへと進む潜在力となりました。ということで、第1次囲い込みと第2次囲い込みの間の異同、その間に起こった諸々の出来事、それをめぐる駆け引きや思惑、その全体的経緯を総括して考慮すれば、2つの囲い込み運動の間に長い期間が必要とされたことが納得できたものと思います。以上、ご回答まで。 以下は補足です。 検索文献によって上記の説明を補強し、自論の不足を補わせていただきます。 その筋の文献(Wiki、他)は、2つの囲い込み運動について次のように語っています。 ・第一次囲い込み 牧羊目的。毛織物工業の繁栄のため、需要の増大した羊毛をより効率的に生産するために導入された。個人主導であり、農民の職を奪ったため、大きな批判を受けた。トマス・モアはそのような状況に対して「羊が人間を喰い殺している」と批判した。 ・第二次囲い込み 耕作目的。議会による立法を通じて行われた。農業革命の一環として、ノーフォーク農法に代表される高度集約農業の導入のために行われた。第二次囲い込みでは囲い込み後も農業労働力を必要とされたため、全ての農民が土地を追われたということは無く、一応は合法的手段により行われたこともあり、第一次囲い込みの様な強い批判を受けることはなかったとも考えられる。ただ、ある程度の農業従事者が賃労働者化したことは確かである。 (まとめ) 第一次囲い込み:目的→牧羊地の確保/合法性→非合法/影響→農民は都市へ流出。 第二次囲い込み:目的→食糧耕作地の確保/合法性→合法/影響→労働者の需要増加。
補足
ありがとうございます! ただ…自分で質問しといてナンですが、 「囲い込みだけで資本主義が起きるわけ無いだろ?短絡的なお前はアホか?」なんて怒られるかな〜なんて、むしろ思ってましたけどね…(汗) たぶん、「資本の蓄積」がキーになるんじゃないですかね? 世界史でよく語られる覇権交代、あれは資本の蓄積とセットになってるんじゃないですかね? ざっと スペイン→オランダ→イギリス と進みますが、スペインの頃は銀の蓄積が進んでスペイン圏の経済が発展し、メディチ家等が1番活躍したのもたぶんこの頃じゃないですかね? オランダなんか金融の最たるものですよね。私も詳しくないですが、アムステルダム等でこの頃、銀行業、金融のテクニックはかなり発展したんじゃないでしょうか? そして覇権がイギリスに移り変る頃…有名な、ロスチャイルドがワーテルローの戦いで大儲け、の事件が起きます。 以上が16世紀〜19世紀初頭に重なってると思います。 表の政治史の裏では経済(金融)が着々と発展していた、ただしそれにももちろん時間がかかるし、ステップを踏む必要があった。それが囲い込みが始まってから資本主義が始まるまでの、タイムラグに繋がってるんじゃないですかね?
- nagata2017
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囲い込みが始まった当初は 細かく所有権が入り混じった農地や共有地をまとめて買い上げて 柵で囲い込み ヒツジの牧場に転換したことから 文字通り囲い込みと呼ばれたもので資本主義とは無関係です。 その後に 資本主義が生まれたのは ユダヤ教徒の一人が 教義として利息を取ることを禁止されていたことを「そうだ異教徒から利息を取っても教義に反しない行為だ」と閃いたことから始まったのです。 ユダヤ キリスト イスラム それぞれは元は同じ根から始まっているので 教義も似通っているところがあり 利息を取ることを禁じるところも同じでした。そこでユダヤはイスラムから利息を公然と取るようになったのです。 そして現代の資本主義に通じるような状態に発達したのは 産業革命からです。 中でも 高炉の発明とその事業化です。 高炉は一度火を入れると止められないのです。火を止めることは廃炉を意味するのです。そこから年中無休という働き方が生まれたのです。 年中無休を英語で言うと「we are open seven days a week.」 一週間で7日オープンしている・・・安息日のタブーをやぶってしまったのです。キリスト教の力が弱くなってきたことを表しています。
- pkweb
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こんにちは 囲い込み運動が始まってから、資本主義が興るまでのタイムラグは、以下の要因によって説明できます。 囲い込み運動の進行に時間がかかったこと 囲い込み運動は、15世紀末に始まり、19世紀にかけて徐々に進行しました。この間には、農民の抵抗や、法律の制定など、さまざまな障害がありました。そのため、囲い込み運動が完了するまでに、数百年もの時間がかかりました。 資本主義の発展に時間がかかったこと 資本主義は、囲い込み運動によって生み出された大規模農場で、商品作物の生産が本格的に行われるようになったことで、発展を遂げました。しかし、商品作物の生産が本格的に行われるようになるまでに、農業技術の向上や、市場の発展など、さまざまな要因が必要でした。 囲い込み運動と資本主義の関係が複雑であること 囲い込み運動は、資本主義の発展に必要な条件の一つではありますが、それだけで資本主義が興ったわけではありません。囲い込み運動によって生み出された大規模農場は、資本主義の発展に貢献しましたが、一方で、農民の没落や、社会の格差の拡大など、さまざまな問題を引き起こしました。 具体的には、囲い込み運動によって、以下のような変化が起こりました。 農地の集中化 小規模な農地が統合され、大規模な農場が形成されました。 農業の効率化 大規模な農場では、機械化や科学技術の導入などにより、農業の効率化が進みました。 商品作物の生産 大規模な農場では、市場に出回るための商品作物の生産が本格的に行われるようになりました。 これらの変化は、資本主義の発展に必要な条件を整え、資本主義の勃興に貢献しました。 しかし、囲い込み運動は、資本主義の発展に必要な条件の一つではありますが、それだけで資本主義が興ったわけではありません。囲い込み運動によって生み出された大規模農場は、資本主義の発展に貢献しましたが、一方で、農民の没落や、社会の格差の拡大など、さまざまな問題を引き起こしました。 そのため、囲い込み運動と資本主義の関係は、複雑であると言えるのではないでしょうか。
お礼