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神様の声を聴きたい
畑 茂夫(@Flareon)の回答
- 畑 茂夫(@Flareon)
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追憶「ローマの白い羽」物語第一章。 常に話しかける声は、なにを語っているのだろう。 常に見える景色は、どこの景色なのだろう。 瞑目とした夢の中で、惨劇が精霊を揺さぶる。 実在する男子プリキュア。 キュアアイリスだ。 キリストなる聖霊のことは誰も知らない。 人の心にキリストが宿ると、その人は猛烈な殺人衝動に狂う。 キリストの確信が深まるほどに衝動は強まる。 そして心に宿ったキリストなる聖霊は、キリストと名指しされ、それを受け入れるとなすすべもなく即死するんだ。 抵抗すると悪魔に堕落してしまう。 聖霊が無垢なる赤子のままでいるためには死ぬしかないんだ。 だから、キリストなる聖霊は2000年間ヨーロッパを支え続けてきたのに、その姿を誰も知らない。 「ローマの白い羽」は聖霊の宿りを祝福して問う。 キリストか否かと。 「我々は、信じるためには疑う必要があるので、全てに対して疑いを持つのですよ。」 問いかけに、キリストであると認めると歓喜して殺す。 認めないと、憎悪して殺す。 旧神の産み落とした神の赤子「キリストなる聖霊」はこうして、実験室の試験官ベイビーのような仮定の存在で、赤子の肉を殺して喰らうと、その者は神そのもの力を手に入れる。 人が神になるのだ。 したがって「ローマの白い羽」が狩った赤子は支配者に供物としてささげられる。 そして聖霊の宿りを受けたものは、魂が奪われ、生き様が屍そのものになるのだ。 この人間牧場で飼いならされるのがキリスト教徒である。 さて、連作シリーズの文学形式哲学命題の最初のスタート位置です。 無関係な日本人でも怖くて仕方ないでしょうが、度胸試しで研究にご参加ください。 読書感想文で結構ですよ。 特にキリスト教徒の皆さん。 ここで逃げ出すというのがどういうことか耐えられますかね。 向き合って、踏み越えていくことをお勧めします。 私のいつもの手口です。
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