• 締切済み

神様の声を聴きたい

畑 茂夫(@Flareon)の回答

回答No.13

「ローマの白い羽」物語第三章 さまよう者の心に癒しの灯がともるとすれば、それは時の流れに気が付くことだろう。 今はただ、なのもかもが失われていることに気が付くだけでも、君たちは生きていて、そして時は流れる。 実在するする男子プリキュア。 キュアミカエルだ。 ユダヤの人イエスはユダヤ人の人間確立のために働き、奴隷に反逆をおこさせる滅んだ国の王として処刑された。 このローマの横暴はローマ周辺の古代社会に大きな動揺をおこす事件だった。 イエスの志を胸に秘めた者たちは、奴隷解放のためにローマ領内に散っていった。 時が流れ、新約聖書成立期には、原始キリスト教は10宗派、二宗派は苦渋を農奴達と分かち合い、奇跡のために当時もイエスの志のために身のすべてをささげつくしていた。八宗派は「野党八衆」となりローマの横暴に横暴で答えることを口実に略奪を繰り返す山賊だ。 ローマは信仰心を逆手に略奪を正当化する古代の亡霊に困惑し、キリスト教公認を餌に暴力組織の懐柔を図る。 その契約書が新約聖書だ。 穏健派と束ねることで治安対策とした。 イエスの意思はこの使徒の末裔の取引で絶える。 そして裏切り者の宗教になった。 東洋で言う仏陀に相当する強力な伝道師がただ一人が行った過去の波乱を教訓に、帝国を脅かす古代王への恐怖から、新約以降のキリスト教徒は勅命を執行する。 「イエスに似た者を見たならば根絶しろ」 今回は哲学ネタ文芸作品です。 読書感想文をお願いします。 本来は突っ込んだ哲学の研究も可能でしょうけど、おっかなくて皆さんはこの拷問にひるんでしまうと思いますので、無理しないでください。 ーーーーー はいはい、同一質問をいったん削除して再掲載です。 日本人でも普通に怖いこの精神爆弾には誰も立ち向かえなかった模様です。 困難というのは逃げることを考え出すと、常に逃げて生きることになる。 「死の影」であれ「悪魔の予感」であれ、戦いを挑む勇猛さでぶつからないと克服できません。 踏み越えたその先に新たなる英知を見つけるといいでしょう。 私は長らく日本人にとって滅亡伝説であるキリスト教は深刻な疫病であるとワクチン開発について思案してきました。 このテキストが解毒のためのワクチンの中核だと思って質問しています。 西洋人は外国を踏査してその国の宗教や風俗を博物学的に研究していますが、そもそもキリスト教に同一手法を当てはめると今回のテキストのようになります。

関連するQ&A

  • アルケーの神がものを言ったとか。奇蹟ではないか?

     ▲ (アルケーの御言葉) ~~~~~~~~   アルケーの神は申された。  ここにいるあなたがた皆にゆーておきます。  もしここに死人の体に触れその死人を生き返らせたなどとゆー男がいたなら、その男はいかさま師であると思うが良い。  ・・・(中略)・・・  ここにいるあなたがた皆にゆーておきます。  この世界に奇跡など起こすことは出来ません。  何故なら万物の根源、宇宙の法則、アルケーがそのよーに定めたからである。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~     このように  ▲ アルケーの神は申された。  ▲ アルケーがそのよーに定めた  ☆ これらは もしその声が聞こえたとしたら・また定めたという行為が分かったとしたら それは奇蹟ではないだろうか?  神がコトバをしゃべったとか 何かを定めたとか その声を聞いたとか その行為を見たとか これらは 明らかに奇蹟ではないか。  奇蹟ではないと どうやって証明するのだろうか?  つまり 声を聞いた人間などはひとりもいないのだから。

  • 神の声が聞こえて来たんですけどそんな事有りますか?

    昨日熱が出て、寝ていたら、神の声が聞こえて来たんですけど、そんな事有りますか?神の与えた試練を良く乗り越えたご褒美をやる能力を少しだけ上げてやろう。と言われたんですけど、本当ですかね。人間は試練を乗り越えて強くなるみたいですね。現にガンを克服してますから今ハッキリと筒井指導員を叱りつけている。自分が、見えるんですが、良い人のフリをして卑劣なやつが世の中に多いですね。退治した方が良いかも知れませんね。被害届出させて頂きます。

  • 大きい声は自分の耳にも大きく聞こえるのか

    20代男です。質問は以下の内容です。ご回答よろしくお願いします。 大きい声を出すと、自分の耳にも大きな声が聞こえるものなんですか? というものなんですが、実は声が体の内側に響いているときは、外に はあまり響いていないということを聞いたことがあります。実感とし ても、自分は大きい声を出しているつもりなのに、周りの人にはあま り大きな声で聞こえていないという経験がありました。そのときは確 か、自分の耳には大きく聞こえていたはずです。 大きい声が、自分の耳にも大きく聞こえるとすると、あまりにも大声 を出すと、自分でもうるさいと思ったりしますか? また大きい声は、自分の耳にも大きく聞こえるということを基準に発 声練習を試みて、正しい発声に辿り着く見込みはあるのでしょうか? もうひとつ、自分の耳には大きな声で聞こえていないが、周囲には よく響いているということはあるのでしょうか? 質問の答え以外にも、思い当たることや、正しい発声に関するアド バイス等があったら併せてご回答いただけると助かります。 よろしくお願いします。

  • 声帯/発音/声

    こんにちは。質問をさせていただきます。 私は今、声について勉強しています。 1、耳から入った音(相手が自分に話しかけた言葉など)は、どのようにして理解するのですか? 2、声の“可愛さ”“かっこよさ”というものは、どのようにして判断するのですか? ※できるだけ詳しくお願いします。 複数の質問すみません。 1つでも答えることができるものがあったら、御回答お願いします。 ご協力お願いします。

  • まだ神を求めるか否か

    この先、科学が発達すれば間違いなく人間の形態がかわるでしょう。 遺伝子操作で不労不死あるいは人口のからだ、または精神だけを記憶媒体に収めるなど、 そうしてあらゆる事情が操作できる社会が来ても、人はまだ神を求めると思いますか

  • セネカの言う神とはどんな神のことでしょうか?教えて下さい

    セネカの道徳論集を今読んでいますが、よく神という言葉が出てきます。「賢者は不死であること以外は神と同等である」というような言葉も出てきます。  キリスト教ではなかったと思われるので、キリスト教の言う神ではないと思います。  だとすればローマ神話の神々のことを指すのでしょうか? 教えて下さい。ストア派で言う、宇宙の意志のようなもの、ロゴスのことなのでしょうか。そうであったとしたら、私はロゴスについてはよく知りませんので、それについても教えて下さるようどうぞよろしくお願い致します。

  • 神を信じますか?

    私の妻についてです 結婚前から体がだるい・頭痛、頭痛までいかなくても頭が重たいという状態が続いていました。心療内科に通い始めそこでの診断結果が抑鬱神経症でした。そこで処方されたのがPZC,レキソタン,デパスです。そこに通ってもう4年くらい経ち薬の量も少なくなり、だいぶよくなってきたのですが最後の最後抜けきれないといった状態です。結婚したのは1年半前くらいですが、できるだけ家事を減らしなるべく休んでもらっているのですが昨年末から少し様子が変なのです。体が早く治るようにとお守りをつけはじめたら神様と心で話ができるというのです。お守りをつけ最初はなんともなかったのですがしばらくしてからだそうです。 お正月私の実家に行かない方がいいとか実の弟夫婦と逢わない方がいいとか。妻も心の中で話をするのが怖くなったらしくそのお守りは近くの厄よけのお寺で処分しました。その時に神様が今まで私についてきてくれてありがとうって言ってくれたそうです。ここで終わればまだ良いのですがまた神様がいろいろと話をするようです。 私自身まったく神を否定する気持ちはありません。 初詣にお参り行くことは誰だってすることですし、 困った時の神頼みなんてこともありますから。 しかし最近の妻を見ているとすぐに神様がどうのこうのと口走ります。 本人の気づかない自分の内面で思っていることを"神"の名を使って表現しているような気がして しかたないのですが・・・ 最近積極的に薬を減らす努力をしていたみたいなのですがその反動で幻覚でもみているのでしょうか? こういった例についてご存じの方いませんか? またどうしたらいいのでしょうか

  • 声を大きくするには?

    声が小さいと言われます。自分ではそんなに小さな声で話しているつもりはなく、大きな声で話すよう心掛けているのですが、人と話していても時々聞き取れないらしく「えっ?」っと言われます。 特に歌ったり演説したりするのではなくて日常生活中の声を人に不快にならない程度のボリュームにするにはどうしたらいいのでしょうか? 自分の声が人にどのくらいの音で聞こえているのか分からないのでなかなか難しいです。 耳の悪い人は声が大きくなると言いますが、自分はその逆なんでしょうか?割と神経質で音には敏感です。ラジオやテレビも耳を澄ませば聞こえる程度で聞くのが調度良いのでテレビも他の人と見ているとうるさくて仕方ありません・・・。 なにかアドバイスがあれば教えてください。

  • 神様の存在について

    ふと疑問に思ったことがあるので質問させてください。 神様の存在についてです。 私は特に信仰している宗教はありませんが、ギリシャ正教会に属する方との交流が過去にあり、そこから沸いた疑問になります。 私は無宗教といえど、物心ついたころから神様という言葉を耳にし、ああ、もしかしたらいるのかもしれないなと思いながら育ち、今に至ります。 ただ、そういう認識に至るまでには言語習得であったり、教育であったり、何かのきっかけや、条件があったように感じられます。またそれらは神様を認識するにあたり必要不可欠なのではと思うようになりました。 そこで、です。 例えば特殊な環境で育った赤ん坊がいたとします。両親どころか、まったく人の手で育てられておらず、言葉も話せません。(例えなのでこういう環境で人間が生き延びることができるかは、問題にしません) そういった特殊な人間も、いずれは神様の存在について意識が芽生えるのでしょうか。ぼんやりとした概念のようなものが頭に浮かぶのでしょうか。 神様というのは、全知全能で普遍的だと聞いたことがあります。 ですが、もしその存在を私たちがある一定の条件のもとでしか認識できないのであれば、これは全知全能で普遍的といえるのでしょうか。 考えれば考えるほど、神様の存在は限定的に思えてしまいます。 神様の存在と、こちらからの認識や観測を結びつけてしまうのは、そもそも間違いでしょうか。

  • 自分の声が頭に響く

    3年前からたまにだけど自分の声やゴーと言う音が頭に響いたり耳が痛かったりするけどまあたいした事じゃないから放っておいたらいつか治ると思っていたらつい最近芸能人も似た症状いたからびっくりまさか病気だとは知りませんでした。医者に行こうか考えてます。