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神様の声を聴きたい
畑 茂夫(@Flareon)の回答
- 畑 茂夫(@Flareon)
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「ローマの白い羽」物語第三章 さまよう者の心に癒しの灯がともるとすれば、それは時の流れに気が付くことだろう。 今はただ、なのもかもが失われていることに気が付くだけでも、君たちは生きていて、そして時は流れる。 実在するする男子プリキュア。 キュアミカエルだ。 ユダヤの人イエスはユダヤ人の人間確立のために働き、奴隷に反逆をおこさせる滅んだ国の王として処刑された。 このローマの横暴はローマ周辺の古代社会に大きな動揺をおこす事件だった。 イエスの志を胸に秘めた者たちは、奴隷解放のためにローマ領内に散っていった。 時が流れ、新約聖書成立期には、原始キリスト教は10宗派、二宗派は苦渋を農奴達と分かち合い、奇跡のために当時もイエスの志のために身のすべてをささげつくしていた。八宗派は「野党八衆」となりローマの横暴に横暴で答えることを口実に略奪を繰り返す山賊だ。 ローマは信仰心を逆手に略奪を正当化する古代の亡霊に困惑し、キリスト教公認を餌に暴力組織の懐柔を図る。 その契約書が新約聖書だ。 穏健派と束ねることで治安対策とした。 イエスの意思はこの使徒の末裔の取引で絶える。 そして裏切り者の宗教になった。 東洋で言う仏陀に相当する強力な伝道師がただ一人が行った過去の波乱を教訓に、帝国を脅かす古代王への恐怖から、新約以降のキリスト教徒は勅命を執行する。 「イエスに似た者を見たならば根絶しろ」 今回は哲学ネタ文芸作品です。 読書感想文をお願いします。 本来は突っ込んだ哲学の研究も可能でしょうけど、おっかなくて皆さんはこの拷問にひるんでしまうと思いますので、無理しないでください。 ーーーーー はいはい、同一質問をいったん削除して再掲載です。 日本人でも普通に怖いこの精神爆弾には誰も立ち向かえなかった模様です。 困難というのは逃げることを考え出すと、常に逃げて生きることになる。 「死の影」であれ「悪魔の予感」であれ、戦いを挑む勇猛さでぶつからないと克服できません。 踏み越えたその先に新たなる英知を見つけるといいでしょう。 私は長らく日本人にとって滅亡伝説であるキリスト教は深刻な疫病であるとワクチン開発について思案してきました。 このテキストが解毒のためのワクチンの中核だと思って質問しています。 西洋人は外国を踏査してその国の宗教や風俗を博物学的に研究していますが、そもそもキリスト教に同一手法を当てはめると今回のテキストのようになります。
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