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天守を模した塔をもつ第一国立銀行の初代本店。

この建物は、Wiki」「第一銀行」で見つけたのですが、明治6年に開業した第一国立銀行の初代本店です。 天守(塔)最上階は、どんな目的で造られて、実際、何に使われていたのですか。 もともと、銀行として建築されたものではないようですが、工事中に第一国立銀行が買い受けたそうです。 どうでもいいような質問ばかりですみませんが、よろしくお願いいたします。

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  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (674/1410)
回答No.2

>天守(塔)最上階は、どんな目的で造られて、実際、何に使われていたのですか。  第一国立銀行の初代本店が建設されたあたりは、もともとは江戸幕府の水軍を管理した御船手頭向井将監(しょうげん)忠勝の屋敷が有った所で江戸の水運の集積と管理を行う地でした。  (船荷を格納する倉庫が軒を連ねる地でもあった。)    ⇒今は、埋め立てでその趣も無くなりましたが…。  建設を行った三井組(元越後屋で後の三井財閥)は、海外との為替業務を想定した銀行の設立を構想しておりましたので、海外からの顧客が船舶で訪れる際の目印および、日本が海外の建築様式を習得した上で独自の建築様式を持っている事を示す為にあの様な様式と成っています。  (写真には海運橋[左下]が写っています) >もともと、銀行として建築されたものではないようですが、工事中に第一国立銀行が買い受けたそうです。  一応、当初から銀行として建築されていますよ。  最初は現在の日本銀行の様な通貨発行権を有する中央銀行(英国方式)を想定していました。  ただこれは、当時の大蔵卿の伊藤博文の反対で頓挫します。  建物自体は、三井組の為替決済銀行として建築されるものの、完成後に国立銀行条例の施行に伴い設立を準備していた、第一国立銀行に譲渡されます。  (なので、建築当初では「三井組ハウス」と呼ばれており、錦絵等も存在する。)  三井組としては、為替決済銀行自体は必要としていましたので東京・駿河町(現、日本橋室町)に為替バンク三井組として建築を行っています。  (現、三井住友銀行)  なお、第一国立銀行(現、日本橋兜町)と為替バンク三井組(現、日本橋室町)および、築地に建築された日本初の本格的洋風ホテル「築地ホテル館」は、同じ二代清水喜助が手掛けており、三大擬洋風建築とされています。    https://www.shimz.co.jp/topics/construction/item15/content01/  二代清水喜助は、江戸末期に横浜で外国人(ブリジェンスやウィットフィールド)より建築様式を学んでおり、当時の外国居留地の建物[所謂、商館様式]が彼の洋式建築の基礎に成っているのかもしれません。    なお、後年に建てられたものですが、横浜には横浜三塔と言うキングの塔(神奈川県庁本庁舎)・クイーンの塔(横浜税関)・ジャックの塔(横浜市開港記念会館)を持つ建物が有り、横浜港に入港してくる船の目印になっていました。  高い塔は、平屋等が多かった日本建築[天守閣や五重塔以外ではあまり高い建物は作らない]とは異なる分かりやすい相違点だったらから採用されたのかもしれません。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 とてもよく分かりました。 「三井組ハウス」をヒントで検索すると、三井広報委員会のサイトがヒットして、確かに錦絵があり、5層の洋館の頂上部に展望台である「物見」が据えられ、世間の注目を集めた、と書いてありました。

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その他の回答 (1)

  • oska2
  • ベストアンサー率45% (2195/4859)
回答No.1

>天守(塔)最上階は、どんな目的で造られて、実際、何に使われていたのですか。 和洋折衷の、シンボルタワー的な意味合いの様です。 清水組(清水建設)二代目が、外国人技術者の力を借りないで建てた純国産です。 >銀行として建築されたものではないようですが、工事中に第一国立銀行が買い受けたそうです。 元々は、築地ホテルとして建築予定でした。 が、新政府の鶴の一声で第一国立銀行(第一銀行⇒第一勧業銀行⇒みずほ銀行)に変身! 余談ですが、初代頭取は渋沢栄一。 今でも、「三金会」として多くの上場グループ企業の親睦会が存在します。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 「三金会」「築地ホテル」についての情報も興味を持ちました。 質問すると、思いもよらぬ話が聞けて、楽しみです。

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