なぜ早めに戦争をやめなかったか

このQ&Aのポイント
  • 昔の日本人にとっては戦争の勝ち負けよりも「国体」が一番大事なことだったんですね。
  • 国家の権威が失われると革命が起きる可能性があり、それを恐れた支配層は戦争を続けざるを得ませんでした。
  • 当時の日本の支配層は共産革命を恐れており、戦争を早めに終わらせることで国内の不安定化を回避しようとしました。
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なぜ早めに戦争をやめなかったか

昔の日本人にとっては戦争の勝ち負けよりも「国体」が一番大事なことだったんですね。第二次世界大戦末期日本が負けたと国民に知らせたりしたらそのとたんに国家の権威は雲散霧消して国民は国家のいうことを聞かなくなる、だけでなく「革命」が起きるかもしれない、と当時の支配層はおそれたのでしょうか。現実にソビエト連邦は第一次世界大戦をきっかけに成立しているわけですから。弱い「国家」の実態が国民に知れ渡ったらあっという間に革命が起きる、と考えたのでしょうか。だからこそ国民を疲弊させ革命を起こす気力さえなくすまで戦いを続けざるをえなかった、そんなところでしょうか。近衛上奏文にも共産革命のことが書かれているらしいです。いったい当時の日本の支配層はそれほど「革命」をおそれていたのでしょうか。なんかどう転んでもその当時日本に共産党政権が成立するなんて非現実的に思えてならないのですが当時の人は本気でそれを恐れていたのでしょうか。だから戦争を早目にやめられなかった、ということなのですか。

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  • oska2
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回答No.3

>昔の日本人にとっては戦争の勝ち負けよりも「国体」が一番大事なことだったんですね。 その通りですね。 日本全国で無差別爆弾攻撃が行われていても、広島・長崎に原爆が投下されても「国体維持=天皇維持」が政府・軍部の目標でした。 ※国民が何人死んでも、国体維持が優先! ですから、ポツダム宣言受諾でも「国体の維持を連合国が保障する確約」を出すまでは「一切受諾はしない。日本人一人になっても、最後まで戦う」と連合国に通知していますよね。 実際、海軍が既に戦争能力が内にも関わらず「もう、戦う船は無いのか?」という昭和天皇の鶴の一声で「戦艦大和による沖縄特攻」が決まりました。 国民が何人死んでも、国体維持!なんですね。 実は、日本の共産党主義者による革命は恐れてはいません。 米軍を中心とする連合国は、既に「共産主義・社会主義国家の脅威」を認識していました。 無条件降伏後の連合国分割統治案では「北海道はソ連・四国は中国が支配する」事になっていましたが、実際は米軍単独となりました。 じゃ、何故「ポツダム宣言を受諾したのか?」ですよね。 国体維持に拘った政府・軍部は、最後に次の文言を連合国から得たのです。 「天皇制を維持するか否かは、日本国民自らが決める事だ」 つまり、国体維持=天皇制維持は連合国は関与しない。 要は、(当時の)過半数以上が天皇制に反対しなければ国体維持は可能な訳です。 これなら、確実に国体維持=天皇制維持が出来ると考えたのでポツダム宣言を受諾しました。 この考え方は、日本国憲法にも記載がありますよね。 「天皇の地位は、国民の総意が必要」 「憲法改正には、三分の二の賛成が必要」 結果として、国体維持=天皇制維持は可能になったのです。 まぁ、戦後今まで「一度も国民の総意を確認した事」はありませんが・・・。 以上、アメリカ公文書館からの資料を基にした回答です。

katakana1956
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。天皇制を残すことは連合国が認めていた。そうだったんですか。当方はポツダム宣言受諾のそこまでの詳しい経緯までは知りませんでした。なるほどです。いや恐らく連合国というよりアメリカ合衆国政府の考えでしょうね。ソ連なら、スターリンなら決してそんなことは考えないでしょう。アメリカ合衆国は戦後世界のありかたを見据えて日本占領・統治計画を立て、最終的に強力な同盟国に仕立て上げたのですね。

その他の回答 (4)

  • mudpuppet
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回答No.5

国家が強権を持つ国にとっては国体が一番大事なことなんて当たり前のことですよ。 本土のちっぽけな領土すら占領されることを嫌がるし 負けそうになっても他国の介入を期待して戦争を継続するし テロや内乱を警戒して内務機関が強化されたりします。 こんなことは言うまでも無く当たり前のことなので、 わざわざ学校では教えたりしないのですね。 もし中央政府の統治が及ばなかったり地方分権的な思想が強い封建国家だったりしたら最後まで戦い続けるなんてことは起きません。 負けそうになったらあっという間に反乱が起きて中央政府が落ち延びていきますから。 ちなみにこれは清朝末期や幕末で実際に起きたことです。 そういうわけで質問者さんのお考えは悪意のある後付の考えだとご理解ください。 アメリカにとってもイギリスにとっても中国にとっても、 戦争の勝ち負け以上に国体はもっとも大事なことです。 国体という用語によって指す内容が異なるだけ。 イギリスなんて戦争に負けたことがないから国体の変更が起きず 今では世界一遅れた政治形態の国となってしまっています。 統治者である女王は現人神ですし、最高裁判所の判事は生まれつきの特権階級である貴族が最近まで勤めてますよ。 で、共産主義革命の脅威は現実的に存在していました。 例えばお隣の中国は日本との戦争中に共産党が大地主の財産を強奪しながら勢力を伸ばしています。 であれば日本国内でこのような活動が行われても何も不思議はないと見るのが当然でしょう。 戦後になっても日本に新ソ連感情が生まれることへの対策として、 四島一括返還主義が標榜されることになります。 (ソ連は二島を返還して講和条約を結ぶことを提案していたが日本側で拒否) これによって日ソの親交は無くなりました。 それに日本共産党の党是は今でも武力革命であり公安の監視を受けていることはご存知ですよね? ところで日本が戦争を早めに辞められなかった理由に回答していなかったですね。 戦前では人権という考えは日本で普及していませんでした。 終戦をぎりぎりまで延ばしたのは天皇の地位の保証を得るためだというのはその通りだと思います。 国民の生命財産を護持することよりも大事な使命を政府は持っていたということです。

katakana1956
質問者

お礼

国民の生命財産より天皇が大事。そうですね、当時としてはそれがあたりまえだったんでしょう、支配層とっても一般国民にとっても。国民にとって守るべき生命財産は確かにあったが最終的に天皇がいちばん大事。それだから日本という国が成り立っていた。革命については、支配層は世界の情勢と歴史を知っていたわけですから、それが戦争以前から起こりうる最悪の事態として普段から対策をしていた、それは当然戦争中も継続された。なるほどそう言われてみれば当然そうですね。革命は「ひょっとしたら」のことではなかったのですね。ご回答ありがとうございました。

  • kuni-chan
  • ベストアンサー率22% (674/3053)
回答No.4

 日本の戦略は短期的に勝利を重ねて有利な条件で停戦するだったはずです。  国力を考えれば長期戦は無理というのは戦う前からわかっていた事です。  ズルズル行ってしまったのはギャンブル中毒と似ています。ここで一発大逆転できればこれまでの負けを取り返せる。  革命を恐れていたのではないと思います。

katakana1956
質問者

お礼

なるほどギャンブル中毒の心理。当方はギャンブルはしませんがその心理は理解できます。長期戦が不可能であることは最初からわかっていたのですね。kuni-chanさんは当時の政府や軍関係者の「心理」をよく説明されていると思います。やはりあの戦争は最初からすべきではなかったのです。ご回答ありがとうございました。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10479/32954)
回答No.2

太平洋戦争で早く終戦を決断できなかったのは、「東京オリンピック中止を決断できなかった」のと全く同じです。 やる?いややっぱやめたほうがいいんでない?いやでもやめるってなったら国民(オリンピックの場合はIOC)に説明つかないじゃんかよ。国民からもすごく叩かれるじゃん。なんとかならないの?もうちょっと何か有利な条件を引き出せない? なんてダラダラやってるうちに二進も三進もいかない状況になってしまったのです。 それで戦況が悪化していくうちに、まず海軍が戦果を隠蔽・捏造するようになったのです。「記録を改竄」てやつです。海軍の情報隠蔽の相手には陸軍も含まれていました。1944年に台湾沖航空戦というのが行われて、海軍(大本営)は大戦果をあげたと発表して、陸軍もそれを信じてフィリピンで大反撃を命じたのです。実際は米軍に一太刀も浴びせることができなかった一方的な完敗でした。 そして陸軍は米軍が大損害を受けたと信じて反撃してもちろん大失敗しました。実はこのときにフィリピン方面軍の参謀だった堀少佐が「海軍の戦果報告が怪しい」と喝破していたのですが、その情報は握りつぶされました。堀少佐はあまりに正確に米軍の侵攻を予測するので「マッカーサー参謀」というあだ名がついた人でした。 東京大空襲が起きてもう日本の敗北が決定的となっても、政府は「どうやって戦争を終えるか」の青写真が全く描けませんでした。あまりに打つ手がないのでソ連の仲介をアテにして後にそのソ連に攻め込まれてしまったのはご存知の通りです。これからこっちに攻めてくる準備を密かにしている相手に和平の仲介を期待していたくらいですから、どんだけ国際情勢に疎いのかという話ですね。え?私はガースーさんの話なんてしていないですよ。 そうやってみんなが「どうしよう」「どうしよう」とマゴマゴしているところに大激怒したのが昭和天皇です。昭和天皇はそもそも日米開戦には反対で、しつこくしつこく「大丈夫だな?」と念押ししていて、それを東条英機らが「大丈夫ッス」というからやむなく開戦を認めたという経緯がありました。 それなのに国がボコボコにされて国民がボロボロになっていく様を目の当たりにしてとうとう大激怒して「終戦の詔勅を出す!」となってあの放送になったのです。終戦の詔勅は天皇の逆クーデターに近いものがありました。特に昭和天皇を大きく動かしたのは広島と長崎の原爆の報告でした。天皇は学者でもあったので、原爆がどのようなものかはおぼろげながら分かっていたようです。「そんなものをボコボコ落とされたら、日本国民が絶滅する!そんなことになったらご先祖様(歴代の天皇)に申し訳が立たんわ!」となったのです。 こないだ、NHKの番組でものすごく興味深いことをやっていました。「戦争中のエンターテインメント」でね。実は意外にも1942年などのまだ戦況が逼迫していないときの日本では「明るく(明るい)」という表現が一番よく使われていたそうです。「今戦争で大変だけど、明るく乗り切ろう」という感じです。まさかあんなに泥沼になるとは思っていなかったのでしょう。エンターテインメントに対する規制もそれほどではありませんでした。 しかし戦況が逼迫してくると、エンターテインメントは軍によって規制されるようになります。けれどなぜそんなに規制されたのかというと、「良識ある」人々の中から「戦争でこんなにみんな大変な思いをしているのに、遊んだりしてうつつを抜かしている連中がいるのは誠にけしからんことではないか」という声があがってきたのです。つまり軍の規制は軍「だけ」の思惑ではなく、むしろ「国民の声を反映した結果」だったのです。 そして政治家は、国民に対して「精神力で耐えろ」と命じたのです。話は前後しますが、東条英機首相の国民への演説で「物には限界がありますが、之、精神力には限界がないのであります」と「米英の物資には精神力で勝負だ」と訴えた映像を見たことがあります。 「ここが勝負の二週間」「国民の皆さまには今一度気を引き締めていただきたい」「気の緩みは禁物」「不要不急の外出はしないで(といわれ続けて1年半)」 東条英機と現代の政治家の違いが私には分かりません。そして「国家に協力しないやつは非国民だ」という世論。 私はここでずっと「日本の敗戦への道と新型コロナウイルス対策は全く同じ道をトレースしている」といってますが、それはそういうことなのです。 でも私、最近ちょっと意見を変えているんです。「同じ道をトレースといったら、日本軍に失礼だ。当時の日本軍は今の政府ほど間抜けじゃない」ってね。 現場の人たちがひたすらに消耗する中で、トップの人たちは誰一人責任をとらないっていうのも全く共通ですね。 私たちは未来の人たちから「なぜあんなグダグダの東京オリンピックになったんですか?なぜもっと早く、中止やあと1年の再延期などを決めることができなかったんですか?」と問われることになるでしょう。 私たちに当時の人々を批評する資格はありません。全くありません。むしろもっと愚かしい行動をしています。少なくとも皇軍の軍人たちは、自分たちの懐に国家のお金を入れるなんてことはしなかった。

katakana1956
質問者

お礼

eroero4649さんは文章がお上手です。確かに当時の軍の最高幹部は平凡すぎる頭の持ち主だったのです。いろいろな本にもそのことが書かれています。精神論ではどうにもならないのが近代の戦争なのに。最高の「近代」教育を受けていながら「なにより精神が大事」なんてよく言えたものです。だから負けたのも「精神」のせいだと。ただし「少なくとも皇軍の軍人たちは、自分たちの懐に国家のお金を入れるなんてことはしなかった。」そうでしょうね。それだからなんとか日本もこれまで生き延びてきたのです。しかしこれからはどうか。こそこそ小銭を貯めこむのが得意なやつらが「賢い人」と称賛される世の中になっていないか。この間経産省の若い官僚が2人詐欺で捕まっています。なんか先行き暗いです。

  • kzr260v2
  • ベストアンサー率48% (788/1619)
回答No.1

戦前や戦中に「革命が怖い」を中心に政治が動いていたようには見えませんです。 日本の政治家は、政治家自身が大病を患ったとき、事実を伝えるお医者さんと「論争や交渉」を始める人が多いです。はためからすると「事実」がどのようなものだとしても、論争や交渉で自分の都合よく変更できると思い込んでいるように見えます。 最近見つかった資料では、日本政府が米国との太平洋戦争前にシミュレーションをさせたところ、ほぼ史実と同様な経緯で敗戦の結果が示されたのですが、「負けるとは限らない」としてシミュレーションの事実を当時隠蔽しました。 https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidosatoru/20180815-00093143 江戸幕府が海外からの開国要求に対して当時のスッキリしない対応も似たようなものです。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)も、台湾のような厳格な対応をせず、だらだらと海外からの渡航者を受け入れたりしました。COVID-19の予防も「できるだけ人と会わない」を基本とする国が多いですが日本は明言しないです。オリンピックパラリンピック開催も同様です。 戦争をやめられなかったのも、このような流れだと思います。 このように、「事実を事実として受け入れることなく、事実を報告してくれた人と論争したり交渉したりする」ことは、日本の政治家の伝統芸能と言えると思います。 以上、参考にならなかったらごめんなさい。

katakana1956
質問者

お礼

『戦前や戦中に「革命が怖い」を中心に政治が動いていたようには見えませんです。』なるほど。しかし戦争末期だけは支配層は革命を恐れていた可能性はあると思います。一般国民はそんなこと思いつきもしなかったのでしょうけど。また支配層が恐れたのは民衆の反乱と革命政府樹立ではなく国内の社会・経済・法秩序の混乱だっのかもしれません。ご回答ありがとうごさいました。

katakana1956
質問者

補足

「事実を事実として受け入れることなく、事実を報告してくれた人と論争したり交渉したりする」日本人同士ならそれでもいいでしょうが、世界が相手ではそうはいかなかったのでしょうね。それまで外国との戦争で勝った経験で変に自信つけていて現実を直視しなくなったのだと思います。

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