• ベストアンサー

戦争のやり方が変わった革命的戦いは?

以下のように、その当時までの戦いから考えて革命的と言える戦い・戦争・紛争を教えて下さい。 鉄砲の有効活用で、戦国最強と言われた武田騎馬軍団が破られた長篠の戦い。 国家総力戦で闘うことになった第一次世界大戦。 飛行機が戦いの主役になった第二次世界大戦。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.7

No2で マウリッツをあげたけど やっぱり他の人が多く上げるように ナポレオンでしょうね。 ジョミニの戦争概論 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E6%A6%82%E8%AB%96 にしても、クラウゼヴィッツの戦争論 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%AB%96 にしても、結局ナポレオンと戦った人が「こりゃすげぇーや」としたのがナポレオンだもの。 他の人が上げていないナポレオンの革命的な面は、伝令の活用です。 それまでは司令のいる軍隊と司令のいる軍隊(あるいは、王のいる軍隊と王のいる軍隊)が1対1でぶつかっていた。だから物量の大きいほうが勝つ。 ナポレオンは複数の部隊に伝令を飛ばすことであたかも複数の司令(この場合はナポレオン)がいるように複数の部隊を運動させ、少数兵力で包囲殲滅しました。 で、この伝令の機能を「指令書」でなく、情報を同じように処理するようにしたのが、参謀本部。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E8%AC%80%E6%9C%AC%E9%83%A8 「それまでは指揮官は自らの才能に依拠して指揮統率を行っていたが、ナポレオン戦争の頃から参謀組織の必要性が認められるようになり[2]、平時より軍事研究を行って戦時においては指揮官を補佐する常設機関がプロイセン軍に採用され、」以上引用 情報の伝達というい面と、総力戦という点で言えば、南北戦争も画期的。 電信によって、広域の戦争を統一的に指揮できるようになった http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AE%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E9%83%A8 両軍合わせて300万で戦死者が30万 病戦死者が60万 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%88%A6%E4%BA%89

tapa
質問者

お礼

伝令・伝達についてですか。 なるほどです。 二度目のご回答ありがとうございました。 にしても、ナポレオンはどれだけ凄い人なのか……。

その他の回答 (6)

  • hgg83474
  • ベストアンサー率28% (37/131)
回答No.6

それまでは艦隊戦が主流であった宇宙空間における戦闘の主役が、 艦艇からモビルスーツにとってかわられた1年戦争でしょうか。 ミノフスキー粒子下における戦場において、 白兵戦の概念が登場しました。

tapa
質問者

補足

いや……そういうのは、いらないです……。

  • drmuraberg
  • ベストアンサー率71% (847/1183)
回答No.5

他の回答者が既に挙げておられる様に、ナポレオン戦争は徴兵と志願兵からなる大部隊による、 砲撃支援を有効に活用した点で画期的なのもでした。 その敗北も、プロイセン参謀本部の台頭と言う、個人的英雄から頭脳集団の時代へと変る 転回点でした。 その次の革命的な戦いは日露戦争です。 機関銃の大量使用、塹壕線、大規模な砲撃による要塞攻城と野戦、有線と無線通信を活用した 陸上と海上での作戦指揮と遂行。大量投入と技術がキーワードです。 これら全ては、第一次大戦に遅ればせながら見られます。もし欧米の軍人が日露戦争を詳しく 分析していたら、あれ程の無駄な犠牲は避けられたと思います。 欧米は日露から学ばず、第一次大戦の惨劇を向かえ。日本は第一次大戦から学ばず、 第二次大戦の惨劇を精神主義の歩兵戦法で向かえました。 しかし、日露戦争を観戦し、その緻密な分析から、日本と米英の決戦を予想した人がいます。 アメリカ人のHomer Leaです。職業軍人を目指したが、身体上の欠陥で士官学校に入れず、 中国に渡り孫文の下での独立運動に参加し、日露戦争を間直に見る事ができました。37歳 で亡くなっています。 彼の地政学の本The days of the Saxon(アングロサクソン(英帝国)の日々)を読むと、 近代戦争の奔りであった日露戦争に衝撃を受け、当時としては斬新な観点から分析を行って います。 彼は、海洋国家としての米国・英国と日本の戦いを不可避なものとして予測しています。 日本はハワイからフィリピンを含む制海権を握れなければ帝国の滅亡に繋がり、日米戦争に 巻込まれる形で参戦する英国は東アジア地区では日本に敗北するとしています。彼が挙げた、 フィリピンの日本軍襲撃予想地には、事実40年後に日本軍が上陸しています。 戦争の結末は予測していませんが、明確な結論は「英国がこの戦いに勝とうが負け様が、 明確なのはいずれの場合でも大英帝国の衰亡である」です。言っている事は、植民地を含めた 帝国の衰亡ですから、日本の敗北も英国の衰亡も正しかったと言えるでしょう。 この本は各地域を分析していますが、欧州の力関係は規模は違いますがほぼ妥当です。 この本はロシアのアフガニスタン進出を予言しており、1980年のソビエトのアフガニスタン侵攻を 機会にVergessene weltpolitische Einsichten=忘れ去られた世界政治的洞察、としてスイスで 再版されました(ドイツ語)。 日露戦争が、洞察力のある当時の軍事オタクにとって、どれほど衝撃的な事だったかが解ります。 ちなみに、欧米の軍事史家の中には日露戦争を第〇次世界大戦と称すべきだと主張している人々が 居ります。地域的な広がりでは難があるものの、技術面では妥当な主張かと思います。

tapa
質問者

お礼

日露戦争がそれほどのものとは思いもしませんでした。 それにホーマー・リーという人も凄い人ですね。 ご回答ありがとうございました。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.4

ナポレオン・・・と書こうとしたら先に書かれた。でも、#1さんが書いてないことを補足すれば、「相手を徹底的に追い詰める」ところまで戦うのはナポレオンの画期的なところでした。当時は機動戦術が中心で、正面切っての戦いはせず、機動して優位な地位を占めることが中心でもし不利な地位となったら無理をせず退却をするのが常識でした。 その典型例がイタリア戦役で、オーストリア連合軍は三方からナポレオン軍に圧迫をかけました。普通はここで「勝負あり」として退却するのが常道なのですが、なんとナポレオン軍は俄然攻勢に出て相次いでオーストリア連合軍を打ち破ってしまいました。 当時、オーストリア軍の司令官などは「ナポレオンて奴ァ戦争を知らなくて困る」と嘆いたそうです。「相手が降伏するまで徹底的に攻める」のはヨーロッパではナポレオンが最初かなあ。 あとは日本人にはほとんど無名なことであれば、古代ギリシャのレウクトラの戦いでしょうかね。当時無双の強さを誇ったスパルタ軍をほぼ同じ数の軍勢で破った戦いです。 画期的だったのは、斜行戦術というのを歴史上初めて使ったことです。この戦いを指揮したのはエパミノンダスですが、そのエパミノンダスの元に人質として送られていたのが若き日のピリッポス2世。エパミノンダスの斜行戦術はピリッポス2世に受け継がれ、そのピリッポス2世の息子があのアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)です。

tapa
質問者

お礼

ナポレオンは恐ろしい人ですねぇ。 また、斜行戦術というのは初めて聞いたのですが、調べたら面白い戦術だと分かりました。 陣形の類はあまり学んだことがなかったので。 ともかく、ご回答ありがとうございました。

  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1068/1663)
回答No.3

籠城戦術の有効性を世に示した赤坂・千早城の戦い。以後、戦力で劣る側は必ずといって良いほど籠城戦術をとるようになり、戦乱が長期化しました。また、それまでの武士は平地に居を構え、とくに城砦を築いたりはしませんでしたが、籠城戦術の有効性が証明されたこれ以後は、平地の居館とは別に城砦を備えるのが普通になり、さらには城砦内に居を構えるようにもなりました。

tapa
質問者

お礼

籠城戦はずっと昔からやっているものだと、勝手に思っていました。 太平記の時からなんですねぇ。 ご回答ありがとうございました。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

オランダ独立戦争 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84_(%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%82%A8%E5%85%AC) 軍事革命参照

tapa
質問者

お礼

傭兵への訓練ですか。 なるほど、ありがとうございました。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1973/9603)
回答No.1

tapa さん、こんばんわ。 早速ですが、ナポレオン戦争を挙げておきます。多くの絶対主義国が志願制の傭兵が主体だったのに、フランスだけは徴兵制からなる国民軍でした。その動員数は150万人といわれ、フランス革命の思想に熱狂したフランス兵は過酷な条件や待遇にも耐えていたと聞いています。この戦争の後半期には各国もこぞって徴兵制による国民軍の創設に着手しました。 詳細は下記のURLを参照してください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E6%88%A6%E4%BA%89

tapa
質問者

お礼

なるほど、傭兵から国民軍ですか。 早速のご回答ありがとうございます。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう