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We shall see の解釈について
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1。文脈 「今が、僕の失礼する潮時だな」とラスコルニコフは、思った。 2。訳 「さて、ソフィア・セミヨノヴナ、これからあなたが今度はなんというか私たちは見ることにするかな」 3。次の文 と、彼はソーニャの宿舎の方角に歩き出した。 4。ご質問 we shall see の表現について分からない部分があります。思考内容の主語は1人なんですが、I shall see ではなく、We shall see となっています。 背景が不足しているので僕にはよくわかりませんが、ロスコルニコフの予定がソーニャと話すことだったら、we はR+S=複数とも解釈できます。 これは慣用的表現で主語を無視して誰でも使える表現と捉えていいものなのか分からないです。 もう一つは、おっしゃる通りの慣用的表現の複数という解釈です。 5。決め手 今まで全ての成り行き次第だと思います。
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- Nakay702
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>添付ファイル文章のwe shall see の表現について分からない部分があります。思考内容の主語は1人なんですが、I shall see ではなく、We shall see となっています。これは慣用的表現で主語を無視して誰でも使える表現と捉えていいものなのか分からないです。 ⇒まず、この部分の原文(と訳)を見ましょう。 "Now it's time for me to go," thought Raskolnikov. "Well, Sofya Semyonovna, we shall see what you'll say now!" 「さて、私はおいとますべき時だ」とラスコーリニコフ考えた。「それでは、ソニャ・セミョノヴナ、あなたのおっしゃりたいことを(我々みんなに)聞かせてくれますかな!」。 というわけで、発言者は確かに「私ことラスコーリニコフ個人」ですが、相手(ソニャ・セミョノヴナ)の発言を聞くのは私だけでなく「我々みんな」で(少なくとも、私以外にもいる)から、「公に向って言ってほしい」といったニュアンスではないかと思います。
お礼
訳してくださった文章が理解の助けになりました。 お時間割いてくださりありがとうございました。
お礼
限られた情報の中で考えられる可能性を示してくださりありがとうございました。 理解の助けになりました。 お時間割いてくださりありがとうございました