- ベストアンサー
神のいないことが自明である以上、神という概念なしで
nihonsumireの回答
- nihonsumire
- ベストアンサー率27% (824/3050)
あなたは、「神がいない」とまず言っています。「いない」というのは、「居ない」のか「存在しない」の判りません。また、「神という概念」と言っていますが、「抽象的な概念なし」でと言っておりますが、「概念」はある/なしともに議論することができます・ 「解釈」するとは解釈すべき「テキスト」があるわけですので、そのテキストが「聖書」であっても良いわけですよね。 ただ、こんなことは、百も承知で質問されてると思います。あなたの意図が読み取れず、不十分な回答になったかもしれません。ならば、お詫びします。
関連するQ&A
- 神は人間が創った概念である。
『神は人間が創った概念である。』 正解でしょうか? ここでいう『神』とは、世界中で言われているところの『神』である。 キリスト教、イスラム教、神道、その他あらゆる神の事である。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 《神は死んだ》ってそれは いつ・どのように?
Q1: 《神は死んだ》って言うけれど いつ・どのように死んだの? Q2: むしろきみたちこそが噂する《全知全能》だと言うのに死んぢゃったの? A1: いやいや。それは われわれがナイフで刺しころしたと言うのだけれど それはとうぜん 比喩ですよ。 Q3: ん? 死んではいないの? A2: いやいや。要するに 昔は 神という概念が――つまり 神はただの概念ですよ―― 人びとの頭や心を 縛っていた。この呪縛が溶けたっていうんですよ。神は死んだってことは。 Q4: ん? それは 聞き捨てならない。いくつか疑問が出て来る。 Q5: ただの概念に全知全能といった飾りをつけて 人びとの思いや振る舞いを――倫理的によい方向へ(?)――導いていたと言うの? Q6: 《神が生きていた》時に では 人殺しが起きたとしたら 神がその人の心を導き得なかったわけだ。だとしたら 《呪縛》はすでに《死んでいた》のではないの? A3: いや まあ。神をころしたのだから そのあとは われわれは一人ひとりが 自分の頭と心と意志で生きて行くって言ってるんですよ。言ってるんですが それでは 心細いとすれば 《超人》とかとも言ってるんです。 Q7: 《力への意志》? っていうことは この超人や積極的なニヒリズムなる《概念》が 神に代わってわれわれを導くってわけかい? A4: いやいや。きみは 気が早りすぎる。ちゃんと説明するから。つまり だから 言ってるんだ。 《ひとは 我れに還る》のが 一番だ。けれども その自己 還帰を果たしたと思ったらすぐに 脱線する。 やがてこの脱線が重なり 積もり積もって来ると 何ものか がその《われ》におとづれて来る。 《われを見失うなかれ。還るべき心のわれにしたがいなさい》 と。 と。つまりこれを永劫回帰と言ってるんだ。人びとは――それは自由だが――勝手に解釈している。 Q8: ん? それぢゃあ 神の概念・神の理念とおんなじぢゃないか。神を再生させたんだ!? (チャンチャン!) Q9: だけど 神は 概念ぢゃないよ。概念なら 人間が活かしたり殺したりすることができる。つまり 神は 生きる(生まれる)・死ぬとは 関係ないという話に成らなくちゃダメぢゃないの?
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- 神の概念のない地域に神を布教した歴史とかありますか
たとえば、アフリカとかアマゾンの奥地とかに、キリスト教を布教しにいったとか。そこには「神」の概念がなかったとか。 そういう事実はあるのでしょうか? 別段キリスト教でなくて、他の宗教でもなんでもいいのですが、そういう歴史があったら教えてください。 よろしくお願いします。
- 締切済み
- 歴史
- さわらぬ神に崇りなし
“さわらぬ神に崇りなし” 1. この中の、“さわらぬ”という字を漢字にすると、“障らぬ”になるでしょうか、“触らぬ”になるでしょうか? 2. “さわらぬ神に崇りなし”とは“中にはちょいとよくない神もいるだろうが、そういう神には近寄らない、関係しない、付き合わないようにしていれば、祟られることはないよ”というくらいの意味でしょうか?
- ベストアンサー
- 日本語・現代文・国語
- 聖書の「言は神であった」の意味は?
聖書「ヨハネによる福音書」1-1にある、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」の「言(ことば)」の意味は、キリスト教ではどのように解釈されているのでしょうか? 神は「抽象概念」だという意味ですか、それとも、この世界は「言語」でできているという意味ですか、あるいは、全く違う解釈があるのでしょうか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 自明かもしれませんが
「任意の正の実数x,yが与えられていて、z=x+yと定義する。 このときzも任意の正の実数として表わされることを示せ」という質問です。 xもyも共に任意の正の実数であるから、これらを足し合わせても当然任意の正の実数で表せるのは自明でないかと思うかもしれませんが。 εーδ論法などは、証明する際に自明として扱っているのです。 ただ、そんなことは大学の数学も定義としては出していないはずです。
- ベストアンサー
- 数学・算数
- 『善の研究』における神の概念
西田幾多郎の『善の研究』の第二編第十章に「実在としての神」という章があります。 この第二編は「真の実在」を規定する部分です。 「実在とはただ我々の意識現象即ち直接経験の事実あるのみである」(第二編第二章) 意識現象は、刻々と移りゆくものである。 その意識の根底に不変の統一力(「統一的或者」)が働いている。 この「統一的或者」は、我々の思惟意志の根底にあるもので、同時に、宇宙現象における統一力でもある。 「神」が出てくるのは、そうした流れです。 「この無限なる活動の根本をば我々はこれを神と名づけるのである。神とは決してこの実在の外に超越せる者ではない、実在の根柢が直に神である、主観客観の区別を没し、精神と自然とを合一した者が神である」 さらにこの神は 「この点より見て神は無である」 「ただよく無なるが故に、有ならざる所なく働かざる所がないのである」 という存在でもあります。 西田の「純粋経験」の原理から導き出されたこの「神」の概念が、何度読んでもよく理解できません。 すでにお読みになり、ご理解していらっしゃる方に教えていただければ、と思っております。よろしくお願いいたします。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- 神は概念であるというだけのバカらしさ
《かみ》と 言葉で言っているのだから 何らかの概念であるに決まっている。 それで終わってしまうという神経が分からない。 なぜ人間は 世界のすべてを概念で知ってしまい得ると思うのか。 《無限》は 概念であるだけか? 二で割っても三で割っても その商はやはり無限であるというその概念説明は それで分かったと言えるのか。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 神は人間が創ったもの
人間の頭脳が優れているので神の概念を創ることができたと思っています。人間だけが神を信じ、他の動物が神を信じているようには思えないのです。私は人間が創った神を否定する者ではありません。多くの民族が神の概念を持っています。その概念は尊くて先祖崇拝や万物崇拝に繋がっています。 もし神が先に存在するとしても人間だけを創ったとは思えないのです。神が他の動物も創ったならば、その動物も神を信じていると思うからです。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- うちの神(仏)はほかのとちょっと違う。絶対だ。・・
・・・・というのは あり得ない。 《絶対》に神も仏も違いはない。 こっちの絶対とは別の絶対があっちにはある なんてことはあり得ない。 無い神は 同じ絶対でも 有る神とは違う なんてことはあり得ない。 自明である。 ですよね? あまりにもひどいマチガイがはびこり過ぎていませんか?
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
お礼
ありがとうございます😊
補足
教えていただいたとおり、聖書の神はテキストに実在しその解釈が可能です。 人である「完全解釈者」は神を論ずる以前に実在(実存?)し、もし神の概念を使うなら、始めから真偽を判断するようなことはしない。 「完全解釈者」である普遍的人間の「無知の知」を問うとき、神の概念の併用は混乱をもたらすだけで実用的ではない。 このように書きなおしてみました。