- ベストアンサー
子供を怒らずに育てたらよい子になるの?
- 怒らないで育った子は社会に出て、まともに生きていけると思いますか?
- 私の能力不足は認めますが、絶対に怒らずに子供を育てるなんてできますか?
- 暴力は反対ですが、叱らない風潮、世の中の流れ、どう感じておられますか?
- みんなの回答 (14)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
私も先生にも親にも悪い事をしたときは手を上げられるのが普通の世代です。 自分でも叱られるのがわかっているので理不尽とは思わなかったし、恨んだりもしませんでした。反省もしていなかったですが・・・ 最近みる叱らないで育てられた方々は、少し強く注意したり思った通りにならないことが起きたりすると目上相手であろうと拒絶したり反抗したりする人が多いなと感じています。叱られるのは嫌いなのでほめて伸ばしてくださいと言ってきた人もいて驚いたことがあります。 自己中心的に感じることも多いですね。これはやりたくないです。自分には向いていませんと普通に言ってくる人もいます。努力してより良いものを求めるよりも最低限やればいいのでは?と考えているようにも思えます。 拘束時間を守り最低限のことをしているのだから問題ないでしょ?という考え方をしている方々は叱られないで育った人が多いようです。私の周り数十人での印象ですが。(叱らないと甘やかしを間違えた育て方をされたように思う) 若い人の中にも親は普段は優しいけど怒ると鬼かと思うくらい怖かったと話すタイプの方たちは協調性を持ち、気づかいや環境に合わせる能力を身につけている人が多いように思っています。 私の勝手な考えですけどね。普段愛情を感じていれば悪い事をしたから叱られているという事もしっかりわかってもらえると考えています。実際社会人になったばかりの方々を相手にしていると親の育て方の違いを大きく感じることが有ります。子育てに正解はないって言いますものね。 考え方は人によって違いますから、お子さんに合った育て方を模索されながら見つけていけばいいと思いますよ。
その他の回答 (13)
- iwashi01
- ベストアンサー率17% (187/1051)
> 世の中の流れ的に、子供を怒ったらダメだ、という教育理論が成り立つかどうかをご意見いただきたい、というだけです。 そしてその回答として、washi01様は成り立たない、という事ですよね。 悪いことをしたら叱らないといけない、と言っただけです 叱らない風潮、世の中の流れは良いことだと思っています 理不尽な上司や理不尽な客に耐えることなど、教える必要はないと思います
お礼
あぁ、すみません、まったく逆の事を書いてますね。 もうそんな事はどうでもいいかもしれませんが。 「washi01様は成り立つという事ですね。」こう書かないといけなかったのです。 申し訳ありません、ご迷惑をおかけしました。 貴重なご意見ですね。 例えば理不尽でない上司、理不尽でない客であれば叱られる事に耐える必要があるのですね。 怒る方は理不尽に怒っているとは思っていないので、その際に、「貴方の怒り方は理不尽なので聞いていられません」と跳ねのけるのでしょうか。 おそらく会社勤めであれば、如何様な理由であってもお客様にこう突き返した事がバレたら、上司に怒られますね。 自分に嫌な事があったら、やり過ごすか逃げるか反発するかぐらいですよね。 反発も逃げも、たぶん上は認めてはくれないですね、ならば幼い頃からやり過ごす訓練も必要かなぁ、とまぁ、これは私が勝手に思っているのです。 回答、ありがとうございました。
おっさんです。 貴方と似たような世代かもしれませんねぇ。 残念ながらキーワードに出て来ていないのが、「教育」ではなく「共育」「協育」「強育」「許育」、、、「今日育」。 昔の家族、親族、近所の住民は「キョウをハグクむ」バリエーションが豊かでした。 先生に至っては、「諭す」これがメッポウ上手い! 私も毎日のように叩かれていましたが、叩かれて泣いた記憶が無く、涙を流さないように踏ん張っても、諭されるのにはメッポウ弱かった!(苦笑) 大人の経験上、簡単に答えを出す。 親、先生の尺度で分別を付けるやり方が、他人の批判、評価、典型的な自己中のキレる!を量産してしまったのだと思います。 趣旨目的、成果を考えさせず、指示系統の方が効率的で大人の思う正確な答えが導きだされることは、最初っから分かっていること。 それを褒め称えて来た蓄積が形となって表れているのが今の社会人だ! 豊かな経済と共に豊かな感情、思考を育てることを疎かにした結果に他ならない。
お礼
そうですね、キレやすい人が多くなったのは事実だと思います。 ただ、それがどんな理由なのかは、私としては原因が掴めていないです。 キレやすいという事は、我慢ができなくなった、という事なので、 泣きながらでも歯を食いしばって目標を達成するような人はこういう人ではないと思うのです。 最近は、簡単に諦めさせるからなぁ、そういうのが理由かなぁ。 無理しないでいいんだよ、っていう風潮ですよね、これが原因の一つかもしれません。 回答、ありがとうございました。
- iwashi01
- ベストアンサー率17% (187/1051)
社会には理不尽な人がいるから、親が体験させて、慣れさせておくのが躾ですか? 親が理不尽な人の手本になってどうするのですか、と思います。 クレーマーと同じ怒り方をするんじゃ、子供に信頼されなくなりますよ。 そんな免疫をつけさせて、子供がクレーマーになったらどうするんですか。 悪いことをしたら叱らないといけないですが、理不尽に怒っても子供のためにはならないと思う。
お礼
むやみやたらと怒ってるわけではありません。 むしろ、怒らない方です。 世の中の流れ的に、子供を怒ったらダメだ、という教育理論が成り立つかどうかをご意見いただきたい、というだけです。 そしてその回答として、washi01様は成り立たない、という事ですよね。 別件ですが思い出しました、 確か行ったセミナーで、笑顔で怒号を上げるのと、怒った顔で褒めるの、どっちが子供は怖いと思うか、という話がありました。 実験して統計を取ったみたいですが、殆どの子が、怒った顔で褒めるのが怖い、だったそうです。 視覚的な情報が、子供にとっては大きいですよ、という話でした。 回答、ありがとうございました。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
私が子供の頃に経験したことですが、親というのは果たして子供の立場や目線で考えて叱っているのだろうか、ということが少なくないと思います。大人の目線や価値観で叱りつけたとしても、子供はそんなことは知らないわけですから納得がいかないのは当然です。
お礼
確かに、子供のころは大人の事がとっても嫌いでした。 よく鶴瓶師匠と松島さんがやってるトークなどでも言っていますが、 こっちがちょっとコップにあたって倒してしまったら、火のついたように怒鳴り散らすくせに、自分が歩いていてコップを蹴ってしまったら、あらあらあら、と何やねんそれ!って。 大人はズルいよね、と子供の頃思ってた、っていう話です。 でも、言い出せないからもやもやする、という。 すごく分かると思いながら笑っています。 親の価値観と子供の価値観も違いますしね、難しい話ですね。 回答、ありがとうございました。
- skp026
- ベストアンサー率45% (1010/2238)
私としては、叱りも怒りもあまり役には立っていない気がしています。 必要なのにされてないことが多いのは、 ・繰り返しの訓練 ・正しく考えられるコツ(自立とも言えます) 以上の2つです。 子供に限らす、自分自身であっても、忘れがちだったり できないことがあると思います。 それらは繰り返すことで解決することが多いです。 きちんと箸が持てないなら、食事中ではなく別の機会に、 箸で豆など持つ練習を繰り返す訓練が考えられます。 忘れものが多いとか、鍵など置く場所を決められないなら、 帰ってすぐ明日の用意や鍵を置くという行動を、 家に入る前から何度も繰り返す訓練が良いです。 怒りたいとき、叱りたいとき、ひと息いれて、良い訓練方法を 考えることをすれば、適切に指導しやすいと思います。 正しく考えるコツは、まず目の前の出来事をそのまま受け取ります。 次に問題点や改善ができる箇所がないか調べます。 次には問題をなくしたり、改善の工夫をします。 最後に工夫を実行しうまくいかなかったら、最初から見直します。 (うまくいかない場合、出来事を自分が良いように曲解してたりします) これらの訓練には、子供から年少者などに何かを教えさせる方法が あります。 ※ 車道に飛び出さんとする子供がいたら、怒声で叱っても良いですよね。 命の危険を目安にすると良さそうです。 その際、モンスターペアレントから目を付けられたり、 虐待に疑われたりの可能性は、なくはないです。 これは人間関係の構築の仕方、悪い人間関係の縁のきり方など 工夫が必要になります。 以上、子育ての参考になればとご案内しましたが、 参考にならなかったらごめんなさい。
お礼
skp026様は、では大体の場合、子供たちを叱るではなく、ゆっくり落ち着いて諭す感じで言って聞かせる、という事ですよね。 正直、凄いと思います。 私は、いくら頭で分かってはいても、やはり感情に任せて怒る事あります。理不尽な怒りかもしれません。 でも、そうですね、 自分の感情をコントロールできないところが、能力がないと言われる所以だろうと思います。 いただいた回答を読ませていただき、大いに参考になりました。 自分とは違う教え方なので、今後の子育てに取り入れたいと思います。 とは言っても、たぶん明日には忘れているのでしょうけども。笑 回答、ありがとうございました。
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
No7、 先回答では厳しめの意見で失礼しました。 …コメント拝見しました。 質問者さんは物事の「善悪」が判断できる方と推察します。 詫びは不要です、理解いただければ回答した甲斐があるというものです。 以下、個人的な考えを少々。 「暴力」を完全否定するものではありません。 子供がより危険な事態に陥る恐れがある場合には、危険から守る為に咄嗟の暴力を用いる場合もありうると考えてます。 ※子供に料理の初歩を教える時、包丁扱いが悪く怪我の危険を感じた時には咄嗟に「怒鳴って」手を止めさせます。 ※子供が食事中の不満から食器を手で払った時は、悪さした(払った)手を2本指を使い少し痛い程度の強さで「叩き」ます。 (教えておかなければ、熱い汁物で火傷する危険が有ります。) ※子供と散歩する時、車道に向かいそうな動きを感じた時には咄嗟に手を「痛いくらいに強く」引きます。 子供にとっては怖い、痛いと感じる親の暴力です。 危険を防いだ上で、一瞬の苦痛を与えた事について理解できるよう説明を加えます。 物事の善悪や危険性を理解して自分で判断できる能力があれば、自力で成長できると考えてます。 「怒る」ことも「暴力」と同じように捉えてます。 子供が身勝手な行為や我が儘な態度を見せた時には、自分の感情を敢えて強くして「怒鳴りつける」場合があります。 他者の感情を傷つける我が儘で身勝手な行為が、より大きな「怒り」となって自分に跳ね返ってくる状態を経験させて、「気遣い」というものを覚えさせる目的です。 やはり怒鳴った後に、子供が理解できるよう分かりやすく説明します。 「叱る」ことが最も大切と考えてます。 物事の善し悪しを判断できる者として毅然とした強固な姿勢を示しながらも、 子供から信頼されてる者として 「何がどうして良くないこと」で、 ならば「どうしたら良いのか」を、 双方を比較しながら、子供自身が自らの判断で答を出せるよう導きます。 子供が正しい答を出したら「ヨシ!」の一言でも結構、誉め言葉で終了です。 いずれの場合も、 親として強固な「責任感」と「意思」と「姿勢」が求められる事ですが、 「自分の意思ではなくこの世に生まれ出た」子供に対して、「自力で生きる」能力を身につけさせる「親の責任」と捉えています。 そのように「親の責任」として強固な意思の下に「子供の自立能力」を目的に「教え育む」ことこそが「教育」であり、 「親の愛情」の証しとなるのではないでしょうか。 …以上、少しでも質問者さんの参考になれば、 回答者としては光栄な事です。
お礼
いえいえ、厳しいとは思っていません。仰る通りだと思いながら読ませていただきました。 質問は、 割と思いついた事をガーっと書いてしまう傾向があるので、しつけ、叱る、怒る、この辺りは大まかには理解できているはずなのですが、つい混同して書いてしまった節があります。感心を関心と書き間違えておりますし、反省しかありません。 ご回答いただいた事をじっくり読み、大変勉強になりましたし、今後の子育てに大いに役に立つ部分があり、感服いたしました。 ただ、私は子供に体験をさせる、経験を積ませるという部分は大事にしているので、例えば火傷をすると分かっていても、敢えて熱いものを触らせるという事はさせます。触らずに怒って手を止めてしまうのが親心かもしれません、火傷の痛さや熱さはまったく知らずに一生を終える事も可能です。 でも、やはり知らないよりは知っておくべきだと私は思うのです。 ですから、大火傷にならない限りは事前に止めないです。 触れた瞬間に手を掴んで離す用意はします。 もう手の届かない場所であって、危険な場合は当然事前に怒鳴って止めますけどね。 その辺は理解してやっています。 親はなくても子は育つとは言いますが、ほったらかしにはできないですよね、生んだ以上は、責任をもって育てています。 だから、私は「生きる力を育てる為」に叱ります。自己防衛かもしれませんが、この先を生き抜く力をはぐくむ為に、それが未来の怒りへの耐性にもなるんじゃないかなぁ、という意味も含めての質問でした。 回答、ありがとうございました。
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
事柄に関する感想ではなく、 質問に対する感想…ということですか? 「理解してないな」という印象です。 「叱る」と「怒る」とが全く区別されてなく、 完全に混同した状態で物事を考えようとしてます。 それを混同したまま「躾」と称する大人は、親からどのような教育を受けてきたのか? …非常な落胆と失望を覚えます。 そのような親や教師によって育てられる子供は不幸の極みと言っても言い過ぎではないでしょう。 そのような考え方が当然のように正しい事として世の中を支配してると実感させられる質問内容で、日本の将来に恐怖すら感じてしまいます。 「怒る」 …「怒り」の感情を前面に押し出し、「恐怖」によって相手を支配しようとする行為です。 それを正しい事として教育の現場に持ち込むなど、もってのほか。 現代の教育に不安を抱く者として、断固否定せざるをえません。 「叱る」 …誤った行為、誤った考えを強く諭す事。 過ちを犯すことがないよう、理解させることが目的です。 「誤った考えや行いを正す」という絶対的な目的が前提であり、 その絶対的な目的に理解を得る為にも、強行な姿勢で子供と同じ目線で正面から立ち向かうことが求められます。 「正す」ことが目的である以上、叱る側に立つ者も「何が正しい事か」を諭せるよう物事を理解しておくが必要となります。 次代を担うべき子供たちの話である以上、 浅はかな考えで短絡的な結論を出してしまうのは、日本の将来にとって非常に危険な事です。 …「躾」や「教育」を話題にするからには、真剣に考えてもらわなければなりません。
お礼
能力の無い親ですみません。 不愉快にさせてしまった事、お詫び致します。まことに申し訳ございません。 質問を参照された方も、 正しい説明を書いていただいておりますので、どうぞ混同のないようにお願い致します。 回答、ありがとうございました。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
「叱る」の解釈が様々で、「いけない」といっている人は、「一時の感情に任せて自分の怒りを鎮めるために怒鳴り散らしたり、暴力を振るうこと」だと考えているからではないでしょうか。そういうことを正当化するために「子供のためにやっているのだ」と思い込んでいる人は少なからず存在するからです。
お礼
そうですね、正当化する為に言っているという事は多少なりともあると思います。 ですが、私が受けた講義では、(まったく別の日に受けた講義で)二人の先生が、子供は絶対に叱ってはならない、と言っておられました。 一人の先生は脳科学の方の観点から、叱る事によって脳の成長を妨げるから、とかなんとかだったと思いますが忘れました。笑 もうお一方は、叱って育てた子と叱らないで育てた子の統計をとったか実験をしたか、ちょっと忘れてしまいましたが、叱って育てた子は結果的に親の言う事に反発する傾向があり育てにくいという事になります、みたいな話だったと思います。 つまり、どんな事があろうと冷静に話して理解させなさい、という事なんですけども、親も人ですからねぇ、感情が昂れば怒る事もあるでしょうし、聖者ではないのですからナカナカ難しいですよね。 回答、ありがとうございました。
- kukurin5
- ベストアンサー率23% (121/511)
子供を怒らずに育てる…無理だと思います 確かに体罰と躾による暴力の境、判断は難しいですが、子供の為を思い振るう拳骨なら全然、良いと思いますよ 世の中、社会に出れば理不尽な事ばかり、子供のうちに自分ではどうにもならない、思い通りにいかないことを経験しておくのも大事かなとも思います 今の世の中は、少し騒ぎ過ぎかな、学校の先生なんかは、親から生徒から教育省庁からと板挟みで大変だなと思います 躾は、他人の気持ち痛みがわかる、これさえ出来る様になれば9割方終わったとの事らしいです 私も子育て中です お互いに頑張りましょう
お礼
つい最近、学校の先生が問題を起こしたと騒ぎになりました。 結果的に、先生は学校に出られなくなり、転任となりました。 暴力騒ぎでした。 でも、話を聞いてみると、どうやら子供の方に問題がありそうなのです。 ですが、責められるのは先生。大人なのに、カッとなって手を出すとは何事か、先生の能力無いよね、と判断されるのです。 大変ですよね、先生。 昔話ばかり出してあれですが、昔だったら、よくぞ先生やってくれました、みたいな話になっていたと思います。 世の流れが、批判を受けないように叩かれないように、ただひっそりと受け流したい、こんな調子だと思います。 わかります、自分も炎上させたくない、だからこういう質問書きたくない、だけど、まぁ、こういうのを質問しないと他人がどう思っているかなんて分からないですよね。 人それぞれの考えがあって、回答もさまざま、それでいいと思うのです。 要は、皆さん私の質問でどう思いましたか、それをお聞かせください、というところが大事なのです。 子育て、大変ですよね、お察しいたします。頑張りましょう。 回答、ありがとうございました。
質問者さんの言うところの「理由があっての躾」を受けた子供が大人になって「客の理不尽な難癖」に耐性を持った人間になるだろうというの予測(?)はいまいちよくわからない。 客から理不尽に怒鳴られてどこ吹く風と耐えられるような人間を育てたいなら、普段からもっと難癖付けて理不尽に怒鳴りつけた方がいいのでは。 っていうかそれとこれは全然別の話だと思いうんですけど、私は「親からの怒られ」はある程度発生すべきだと思いますけど、それはやっていいこととダメなことの分別をつけるなどのためであって「社会に出てからの怒られに慣れる(慣れさせる)ため」ではないと思う。 というか「怒られに慣れる」訓練なんているんですかね、「相手の怒りが正しいかどうかの精査」も「怒られを発生させない努力」何もしなくなりそうですけど…
お礼
そうですね、怒られる事への耐性をつける為に叱っている訳ではないです。 悪いと思うことをしたから、正しい道に修正してやろうとして叱る、そして言うことを聞けなければ、怒る事も必要だし、場合によっては叩く事もあるかもしれない。 その全てを親は封印しなさい、怒る親は能力の低い親なんだよ、ダメですよ、という社会の流れ、 もしこれを全ての大人がやったら、どんな子になるだろうな?という空想を含んだ話です。 その中で育った子が大人になる、何事も無く生活していても、いつか困難にぶち当たる、その際にぬくぬくと育った子に雑草のように這い上がる力はあるのか? 怒られる事も叱られる事も叩かれる事も経験、決してそういう子が這い上がれるとは言わないですが、経験豊富な方が世渡りが上手な気がします。 それもまた空想な話でありますが、耐性をつけさせるために私は子供を怒っているのではありません、というのだけはご理解いただきたいです。 回答、ありがとうございました。
- 1
- 2
お礼
そうですね、え?って思う事を普通に口にしますよね。 例えば、社員旅行には行けよって言ったら、「それ給料出ないですよね、だったら行きませんよ」とか。 昔なら、会社の先輩にたてつくような真似は絶対にしませんでした。今は先輩やら上司やら怒らないからなぁ。 私の兄は別の会社で働いていますが、上司から、新人を絶対に怒るなよ、簡単に辞めるから辞められたら俺が困るから、と指示されたそうです。 何じゃそりゃー、ですよ。 周囲の親のお子様にも、就職の入社式で辞めたとか、一か月の研修期間で辞めて帰って来たとか、いっぱい居ます。 こんな事で社会が成り立つのだろうか?と思ってしまうのですが、これが今流なのですかね。 暴力の支配はダメだと言われていますが、暴力でしか分からない世界もあった。例えば、あの人に従わなければボコボコに殴られる、でもいいですよ、なら殴られない為にはどうすれば良いのか?を必死で考えていました。 解決策を見出す、というのでしょうか。 まぁ、こういうのを書くと自己防衛のためだろうとかになってしまうのですけど、怒らない世界、ダメだと思うんですよね・・・ あ、今思い出しましたが、ドラえもんの誕生日スペシャル番組か何かで、もしもボックス「絶対に怒らない世界」ってのをやってましたね。 愛ある怒りならいいんじゃないかなぁ、と。 回答、ありがとうございました。