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きっかけ (転機)
つかない質問ですが、宜しくお願いします。 誰かの死をきっかけに生き方を変えた人いますか? 極端に言えば、自分の心の拠り所になっていた人の死をきっかけに、自分の変化に気づき、自分がやってきた仕事、今住んでいる場所、考え方など、稀かもしれませんが影響力のある人の死で生活環境や人生観が変わることはありますか? 別の言い方をすれば、自分探しだったりリセットしたい気持ちがあるとか、燃え尽き症候群で何かを変えたい気持ちというか。 また、変えたいと思うことはありますか?
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20代の時に大事な人を亡くしました。 それをポジティブに転機にできたかと言えば,ないですね。 もちろん大きく人生は変わりましたし,それが結果として自分を強くしていたり,いろいろな経験をその後にできる切掛になったと考えられなくもないですが,失わなくてすむのであれば,今でも戻って来て欲しいと心から思います。 切掛にするならば,その大切な人に変わった自分を見て欲しいし,意見も欲しくなります。 人を亡くすことで人はむしろ,その人の為に継続,持続しようという意識も働いてしまいます。転機とする気持ちが強すぎると悲しみのなかではそれは非常にネガティブにはたらき,自分の命さえ危険にさらしてしまうこともあるでしょう。 大切な誰かの死は決して 変えたいという肯定的な気持ちにプラスに働く物ではないというのが私の経験から導かれる結論です。 それほど残された人に悲しみを残す物だと思います。
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- ShirokumaX
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はじめまして。 非常に優しい従兄がいました。家も近かったのですが近いと逆に会う機会がなかなかないもので、私は高校生のときにその従兄にベースの弾き方をちょっとだけ教わりました。宵っ張りの私にとことんまで付き合ってくれて、ずいぶん深夜まで教わったのを覚えています。 理由はわかりませんが、その後この従兄は鬱病にかかったようです。数少ない理解者である恋人がやっぱり鬱病で沖縄の宮古島で自殺したそうで、この従兄も後を追うつもりで誰にもいわずに宮古島まで行っていたそうです。このときは、伯父伯母が警察に捜索願を出していたので宮古島で見つかって、伯父伯母両方が宮古島まで行って連れ帰ったそうです。 その後、私が大学生のとき、私自身が鬱になりました。この従兄を通じて私は人間の心に普通に起きる病気ととらえて、何の抵抗もなく精神科の病院にかかりました。このとき、精神医学の世界では有名な都立松沢病院がごく近くにあったというのも私にとって幸いでした。 大学生の間はひとり暮らしをしていたのですが、卒業して私は実家に戻り養生の生活を送っていました。 そんな生活の中、この従兄の訃報が飛び込みました。レンタカーを借り、山奥に行って車中で練炭を炊いて自殺したそうです。残念ながら、私はベースの弾き方の続きを教わることはできなくなったわけです。 後から漏れ聞くところによれば、伯父も伯母もプライドが邪魔して息子である従兄の心の病気に真正面から向き合うことはなかったそうで、車を運転して伯母を連れて私の家に来て、私の母と伯母とが話し合っていた間中(その伯母と母が実の姉妹になります)玄関の上がりかまちに座ってうつむいていたそうで、その背中がたまらなく寂しそうだったと母は言います。 この従兄がいなければ、私は「心の病気」というものの存在を知らず、自殺していたのは私だったかも知れません。 精神病患者を嘲笑するような人間はどこにでもいますが、私はどんなに醜かろうがお迎えが来るまでは生きようと思うようになりました。それが私の従兄に対するベース教室のお礼です。 実は、何としても生きようと思うきっかけはもうひとつあります。 大学生のとき、チャットを通じて知り合った人です。仮にSくんとしますが、チャットの中で誰かが「Sくんは、何してる人?」と何気なく訊きました。Sくんは「入院してる人」と答えました。 彼は、進行性筋ジストロフィーの患者でした。 長崎県の大村というところに、進行性筋ジストロフィー専門の病院があります。病院と高校までの学校が棟続きになっていて、ベッドごと運んでもらうことによって高校を卒業できるそうです。 私が鬱病にかかってからしばらくして、このSくんの訃報が届きました。22歳という、この病気の有病者にしては長めの人生を終えたようです。 彼は、私が知る限り一言の泣き言もいいませんでした。自作のCGをWebで公開するなど、できる限りで常にアクティブで前向きでした。 20歳前後で死んで当たり前、しかも動くことはほとんどできない病気です。高校卒業したって役に立つ可能性なんてほとんどありません。それでも高校を出ているのですから、今でもSくんの強いハートには尊敬の念を抱きます。 当たり前のように「死ね」という言葉が流通する現在、そういう言葉を使う人にとって命とは自分とは関係ないところにある絵空事であって、ひとりの人が死ぬことによってどれだけの範囲の人がどんな影響を受けるか考えることすらないのだと思います。どんな主義主張があるのか知りませんが、私はそういう人を決して尊敬しません。 命の意味を教えてくれたこのふたりにはただ感謝です。私は寿命を全うすることでこのふたりへの感謝の気持ちを表したいと思っています。
お礼
ありがとうございました。
- hekiyu2
- ベストアンサー率35% (271/774)
父が亡くなったときですね。 母のときは、ただ悲しいだけでしたが 骨になった父を目にしたときは、 人間なんてこの程度のモノだったんだ と思うようになりました。 気が軽くなったように感じました。 小さなことにくよくよ、あくせくする 必要などない、と考えるようになりました。 最後の教育をしてくれたんですね、きっと。
お礼
ありがとうございました。
- GalaxyS2
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いや、ないですね。
- x_dai_x
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経験談ですが、祖母が大往生で亡くなった時に、その子供である父や叔父、叔母が笑っていたことですかね。 父や叔父や叔母から見れば、実の母が亡くなったのに笑っていられるって普通じゃない気がします。 父、叔父、叔母、みんな違う人生を送ってきたはずなのに、実の母の死にみんな笑顔だったことが、衝撃でもあり、自分の価値観が揺らぐ瞬間でもありましたから。 死んでみないと分からない事ってあるんだなぁと、若輩者ながらに思いました。 また、故人から見れば実の子供から笑って見送られるってすごく幸せだと思いました。 自分が死ぬときに、何が幸せか?と考えて行動すれば、失敗しても後悔がないのかもしれないなーと思います。 同時に、何が幸せなのか?と考えたときに、実の子供が笑って送ってくれる事が幸せなのかな?と感じました。 親目線だと難しいのに、子供目線だと大往生しただけで幸せに逝けるのだなぁと、ある意味感心しました。 この程度の経験しかありませんが、参考までに。
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。