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不細工に仕上がっていく自分
私の父が亡くなって9か月。 遺品を整理したとき、入院中に父が書き記した詩(?)がでてきました。 「…… …… …… 常に敗者の我が身かな せめて最期は咲ける春」 父も理想とは違った人生を送っていて、最期の最期でこんな詩を遺すとはどんな思いだったのか。 私も人生とは、理想とかけ離れた形に向かっていき 「こんなものになってしまうのか…」 と、悟りと諦めの積み重ねでいます。 昔はもっとこうできたのに、今はこんなこともできないのか。 昔はこんな大きな夢を掲げていたのに、こんな小さく収まってしまうのか。 まだ30年しか生きていないのにこんなにも自分への限界を知って、更に40年50年と自分の限界と衰えを刻んでいくのは悲しいなあと。 今の私は何かを達成し、人から褒められたり認められても 「ありがとうございます」と言葉でいいつつも、とても満足できないままです。 父も最期まで「消化不良の人生だった」というのを口にしていて、 私もいつの日か病院の片隅で、人生への不満と後悔を思い浮かべながら死を迎えるんだなと。 死を迎える前にあることとは、自分に合わない仕事に対してできるできないで悩みつつも、誰かと結婚し子供数人育てて、定年迎えて余生を適当にどこか旅行して…という形でしょう。 恰好よく生きることは、この先実現できますかね。 ちなみに私が恰好よい生き方とは、例えばキングカズですね。 50過ぎても少年のように目を輝かせてサッカーボールを追いかけている 身体の衰えによって栄光や実績に汚点を残すのでは、という周囲の声にも 「日々サッカーがうまくなっていく。グラウンドで死ねたら最高」 と冗談交えつつ、自分のいまを胸を張っていえるのは、本当に格好いいとおもいます。
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- tarutosan
- ベストアンサー率23% (1528/6449)
生きるって食うことであり、子孫繁栄できれば十分にまっとうな人生です。 あの女優の子もそうだけど、食うだけでは満足出来なくなってるんだよね。ほら、人間って頭良すぎるでしょう。 だったら価値をまるごと変えたらいい。 家は引き払って貯金は全て寄付。仕事もやめて着の身着のまま。 さぁどうする? 今日の飯もない。 山に入って葉や木の実を食べるか、海まで歩いて魚を採るか… ちなみに川魚は生じゃ食べられないからね。 結局さ、こんな提案したってぜっっっっっっっっっっったいにやらないよね? 今の生活が最上至極であると、どこかでちゃんと判っているんだよ。 英雄のように生きたいなら、血へど吐く思いで毎日努力しなくちゃだめ。 でもそれもやらないよね? いくつだってなんでもできるよ。 ただ30過ぎたらやらないってだけ。 知ってる女優さんは子供の時からやってて若い時はCMやテレビの仕事もしてたけど、一般的には知られずになかずとばず。 10年ほどほとんど見ることはなく、移籍。 それが今年はCM3本メインで出ています。 こう言うと自分とは違うって思いますでしょ。 しかしもう30を過ぎて、すごく美人でもなければ髪も以前に比べ似合わない。 かわいさも昔に比べ影を潜めています。前より丸くなりました。 30過ぎたってこういう人もいます。 何もしなくても幸せにやってけてると思いますけど、変えたいなら自分が変えなきゃ何もならないですよ。
- doraneko66
- ベストアンサー率11% (535/4742)
そうそうにそんな皆が皆格好良くは 生きれなく、泥臭く生きている人も 多々いるけど、このご時世生き抜いただけ 自分で自分を労ってあげても良い気がします。
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7249)
まだ30ぐらいだったらわからないと思いますが、カズという人間が、何の妨害も嫌がらせもなく50歳で現役サッカー選手をして踊っていると思いますか。 そこには人生の想像力が必要ですよ。 どんだけ嫌なことがあったか、想像してみてください。 まず誰でも思い出すのはドーハの悲劇です。 このときはゴンなんかと一緒にスリーヘッドで出ていたのです。 悲劇とは言ってくれますが、勝てないで(負けて、ではなく、勝てないで)帰ってきたスポーツ選手がどういう目で見られると思いますか。 観客というのはなんだかんだ言っても冷静なんです。 一応銀行のキャラクタガールになっていた美女と呼ばれる人と結婚したら、どう見られますか。 今ホリキタという人と結婚している男優がどれだけぼろくそに言われているかご存じでしょうね。あれですよ。 そのあとは、試合に負けるたびに、限界か引退かとやたら騒がれました。 そして、ワールドカップの選手に選ばれなくなった。それきり2度と舞台は回ってきません。 この段階で引退も可能だし、まだ力のあるうちにコーチとか監督になる選択肢はあったのです。 当然周辺もそういったでしょう。だけどその言うことに耳を貸さなければどう見られますか。 ドン・キホーテの馬鹿者だという見方しかされないんじゃないですか。 現役でやりたいとこだわり続けた。サッカーではなくフットサルのほうに行ったこともあった。 こういうときどういわれるか想像してみてください。 いろいろなアドバイスを蹴られた人がどういうか、空想してみましょう。 悲観的な目でみたら人生ぼろぼろですよ。負け組にされているのですよ。 今後引退しても、マスコミはともかく、サッカー界では居場所がなくなると思いませんか。 心配してくれた人を文字通り次々に足蹴にしたんです。 年齢を経てまだ現役をやっていると騒いでくれる。だけど、20代の騒がれ方とはもう違います。 ゴールを決めたら「ああ、ゴールできるんだすごいね、カズ君偉いね」という感覚になっています。 もはや幼児か、リハビリ中のけが人扱いです。 これを敗残とみなすかそうでないと考えるかは自分次第です。 そういう人を、ただ恰好いいとみるのは、見る人間の感性が不足しています。 このカズがどうやって道を開いてきたか、その道がどんなにいやらしいものであったか、だけど歩くと決めたというのが大きなポイントじゃないですか。 幸運が天から降ってくるみたいに考えたら、カズには適用できません。 もし自分がどんどんブサイクになっていくと考えるなら、それは自分の努力が足りないのですよ。
お礼
回答ありがとうございます
補足
>年齢を経てまだ現役をやっていると騒いでくれる。だけど、20代の騒がれ方とはもう違います。 ゴールを決めたら「ああ、ゴールできるんだすごいね、カズ君偉いね」という感覚になっています。 もはや幼児か、リハビリ中のけが人扱いです。 これを敗残とみなすかそうでないと考えるかは自分次第です。 >そういう人を、ただ恰好いいとみるのは、見る人間の感性が不足しています。 私はそうは思いません。 若い人からみたら40過ぎたら「ただのおっさん」です。 これは高校生が気に入らないベテラン教師に向かって「じじいうっせえなあ。早くやめればいいのに」という感性で否定しているように見えます。 私が大事にしたいのは、「周囲がどう思うか」ではなく「自分がどこまで満足できるか」です 最も周囲に良く思われるのは、周囲のために犠牲にする人生です (とはいっても、チャリティイベントでいくら寄付しても叩く人は存在する) そんな人生はあってはならない。 加齢による衰えでも「俺はこれをやってきている(やってきた)」というものを見つけたいのです。
- ayzm
- ベストアンサー率17% (188/1102)
人間は30歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持て言います。 30歳からは今までの行動が顔に出ると言うことです、今までしっかり生きてきていれば、顔に風格が出るものです。 今愚痴っていないで、自分のできることをしっかり遣っていけば、自分に自信が付いて良い顔になります。 どんな人でも逆境は経験をしています、それを乗り越えて今があるのです。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11121/34623)
>ちなみに私が恰好よい生き方とは、例えばキングカズですね。 私も彼をリスペクトしてやみませんが、彼のサッカー人生とはむしろ「1割の栄光と9割の挫折」といってもいいほどです。 彼はまだサッカーをやる日本人にとって月よりも遠い存在だったブラジルに単身渡ります。そもそも当時人気だった「キャプテン翼」では翼くんの夢は「いつかブラジルに行く」だったのですから、マンガの題材になるくらいの遠い夢だったのです。彼がブラジルに渡ろうとするとき、当時の監督は「お前には99%無理だ」といって引き留めようとしました。嫌がらせをしたのではなく、親心だったと思います。できるはずがなかったのです。だって、そのブラジルからやってきて文字通りの無双状態で日本サッカー界に君臨したラモス瑠偉は、ブラジルではプロ契約もできなかった人でしたから。 そのブラジルでカズはプロ契約も勝ち取りますが、「グラウンドの上から電球を吊るして試合をした」というような環境にいました。彼がどのくらい苦労をしたのか。彼がブラジル時代を決して語ろうとはしないこと、また当時のブラジルのヒットソングを口にした人に対して「あー懐かしいね」とはいわず反応しないことから察することができます。はっきりいうと彼はブラジル時代を思い出したくないのです。 そして彼はワールドカップフランス大会の最終メンバーから、土壇場で外れました。今あるサッカー人気は彼が礎を作ったといっても過言ではないでしょう。しかし彼は本戦のピッチに立っていないのです。今でも彼は時々「(代表監督が)呼んでくれねえかなー」と口にするそうです。 30代半ばから後半にかけては、同世代の選手たちが潔く辞めていくのに現役に固執していましたから結構叩かれていましたよ。今の松坂大輔みたいな感じです。私も恥ずかしながら、「晩節を汚した。潔く辞めていればヒーローだったのに」と思っていましたよ。 男っていうのは、哀しみを知っていてこそなんですよ。光が強く当たる場所は、影もまた濃いものなのです。
- ryokagura
- ベストアンサー率10% (30/295)
30年しかっていうけど、むしろ人生に悲観するのが遅すぎです。 あなたの尊敬するサッカー選手は10代に満たない頃から才能に目覚め、努力を重ねてきました。 プロになれなかった人はその段階で才能という限界に気づき、別の分野にいっている。 あなたのおっしゃるかっこ良い生き様はかなり厳しいです。 もう30でこれから衰えるだけ。 それを覆すには、もはや有能でなければ死ぬぐらいの覚悟で努力するしかありません。 それで無理して死ぬ確率のほうがはるかに高いですがね。 しかも有能でかっこいいから幸せとは限らない。 それでもかっこいい生き方がいいかどうかです。 ぼくはあり得ない理想や能力への渇望があります。 そのために普通の幸せ、恋愛、結婚などはすべて捨てました。 たとえ不幸になっても有能でありたい。 そう考えています。 あなたは幸せになりたいですか? かっこよくなりたいですか?
- 山田 太郎(@f_a_007)
- ベストアンサー率20% (955/4574)
Q、恰好よく生きることは、この先実現できますかね。 A、不可能。 X まだ30年しか生きていないのに・・・ O すでに30年も生きてきたのに・・・ 野球選手などは25歳までに才能を発揮できなきゃーお払い箱。非常に判りやすい。しかし、よくよく考えれば一般人とて同じこと。30歳までに才能を開花できなかった者が、40、50で花を咲かせるなんて夢物語がある筈がない。 30歳がある意味で人生を登っていく時期。30代は維持期。40代は下降第一期。50代は下降第二期。40代、50代も輝き続けるって層は全体の3%未満。その他大勢は、こんなもんです。ですから、30歳で「この先・・・」を語っても、それは遅すぎですよ。
お礼
回答ありがとうございます。
補足
>結局さ、こんな提案したってぜっっっっっっっっっっったいにやらないよね? 今の生活が最上至極であると、どこかでちゃんと判っているんだよ。 英雄のように生きたいなら、血へど吐く思いで毎日努力しなくちゃだめ。 >でもそれもやらないよね? 質問者は捨て身の挑戦をやったことがあるかはわかりませんが、やったことはありますよ。 5,6年間は捨て身の覚悟でチャレンジしたことがありました。 結果、病気になってうまくいかなかったので、就職してサラリーマンになりました。 病気を治すだけでなく5年以上の空白は想像以上に苦しく、チャレンジせずのんきに高校大学生活歩んで就職していたほうがよっぽど幸せだったかもしれません。 一度、挑戦すると「俺はあきらめたー才能ないんだー。あははー」なんて友人知人にいいますが、 「また挑戦したい」と口にしたらどうでしょう。 余計な発言をすると面倒くさくなるので、完全に諦めた「ふり」をしています。 病気と空白のリスクをやっと乗り越えてきたのに、もう一度経験する痛みを味わうのか。 大人になって「臆病さ」を身に付けたのでそこそこの生活を掴んでいます。 カズがすごいのは痛みを何度味わっても少年のように「臆病にならないこと」です。 カズは「100回シュートを外しても平然と101回目のシュートを打つ」 臆病な人間は4,5回シュートを外したらシュートを諦めます。 私もシュートを諦めたおかげで周囲から恥をかいていない平凡な人生となりましたが、 「恥を忍んでもう一度シュートを打ったらどうなるのかな。。」と悶々としたものを抱えています。