- ベストアンサー
旗本家臣の月給はいくら?
- テレビ朝日系列の時代劇番組「暴れん坊将軍」シリーズにおいて、悪役俳優が扮する悪のボスが家臣に与える給料について質問です。
- 久冨椎晴さんが演じる悪のボスは、家臣や準ボスである商人に対して給料を倍額にするか報償金を与える命令を出しています。
- 当時の旗本寄合席としての家臣の月給や報償金の相場について知りたいです。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
追加質問に対する回答です。 <「正当な理由が、あるのが前提だが、旗本寄合席が、直接採用する」と言うのは、可能だったのでしょうか?> 「新規召し抱え」は、藩主の家臣になることなので、家臣である旗本が勝手に主君の家臣を決めて雇うことはできません。「直接採用」というのは、家臣の空きが出て適当な人材を探している、その際の採用担当が、旗本寄合席にいる腹心の旗本であるので、彼の裁量で決められる、というセリフだと思いますが、江戸幕府に関して言えば、多分不可能です。 地方の藩では、飢饉の後などには、人材登用のために何度が事例があるようです。 家臣の事は老中や若年寄りの稟議(協議)決済事項であり、誰かが推挙してもそれで決まるわけではなかったのです。さらに、役につく予定のものは、上司だけでは無く、俸給を管理する者、監査役(目付け)をはじめ多数の役職に前もって伝達され、何回か面通し(顔見せ)されます。役につかないものも、「なんとか席」「なんとか組」というグループに属して定期的な会合に顔出しする、つまり、元服予定の息子を紹介したりといった情報交換と同時に、おかしなことを企んでいないかなど上の者からは間接的に「監査」されていましたので、勝手に浪人が潜り込む余地もないのです。政治が安定し家臣が余剰気味だったので家臣を改易(解雇)することはあっても、基本的に補充することはなく、幕末を除き新規の召し抱えというのはありませんでした。例えば、火付改という新しい役方を作った際にも、浪人の新規召し抱えというのは無く、長官は兼務、部下は別の役職にいたものと、役についていない家臣を支配下に登用しています。 地方の代官所などではどんどん武家定員を減らされるので、学のある農民を雇い、手代頭という名前で同心職に登用していたのが江戸時代でした。 久冨さんのセリフについてはもう一つの解釈があります。 腹心の旗本(旗本寄合の)に使用人を雇う余裕があるので、奉公人(中間 小者)として採用する。 これは可能性があります。 何れにしても時代考証を配慮して忠実に描くと なんとかのお家騒動に見るような複雑怪奇なドロドロを経なくてはならず 娯楽性のあるドラマにならないため、多少ぼかしているのだと思います。
その他の回答 (6)
No.1です 補足を頂戴しました。 >「旗本寄合席が、直接採用」と言うのは、考えられたのでしょうか? 直接採用はあり得るといいますか、むしろ当然ということです。 寄合というのは、実務に就任していないというだけで旗本という身分は確保されていました。 現在で言えば、基本給は確保されているという状態です。 藩幕制度というのは基本的に軍事制度でした。 一たび戦があると、戦闘員(手勢)を連れて参陣する必要がありました。 供揃と呼ばれていました。 基本給である石高に応じてこの戦闘員(手勢)の数が義務付けられていました。 この戦闘員(手勢)への給与は基本給の中から捻出していました。 大名が家臣団を引き連れているのとまったく同じです。 例 千石 :21人 内訳(侍5人、立弓1人、鉄砲1人、槍持2人、甲冑持2人、草履取1人、挟箱持2人、馬の口取2人、小荷駄2人、沓箱持2人、長刀1人、押足軽1人) 九百石:19人 内訳(侍5人、立弓1人、鉄砲1人、槍持2人、甲冑持2人、草履取1人、挟箱持2人、馬の口取2人、小荷駄2人、沓箱持2人) 八百石:17人 内訳(侍4人、立弓1人、鉄砲1人、槍持2人 甲冑持2人、草履取1人、挟箱持2人、馬の口取2人、小荷駄2人、沓箱持1人) 七百石:15人 内訳(侍4人、立弓1人、鉄砲1人、槍持2人 甲冑持1人、草履取1人、挟箱持1人、馬の口取2人、小荷駄2人) 六百石:13人 内訳(侍3人、立弓1人、鉄砲1人、槍持1人 甲冑持1人、草履取1人、挟箱持1人、馬の口取2人、小荷駄2人) 五百石:11人 内訳(侍2人、立弓1人、槍持1人 甲冑持1人、草履取1人、挟箱持1人、馬の口取2人、小荷駄2人) 江戸城へ登城する際には上記の軍役上定めらた人数を揃えて従わせる必要はありました。 この他に女中や家内の雑用をする奉公人を雇う必要がありました。 とは言え平和な江戸時代を通じて役職にでも就かない限り次々と人数を減らしていきました。(支給する金(米)がありません) 寄合席から目出度く役職について登城する際には供揃の人数を揃える必要がありますので、事前に新規に召し抱えるということは充分考えられます。 浪人者を新規に召し抱えたと言うのであれば、この侍(若党、用人)に相当する役目ということになります。 登城の際に規定の人数に決まり(目安)があるだけですから、何人召し抱えようとも問題にはされませんでした。 吉良上野介が赤穂浪士の討ち入りに備えて多数の浪人者を雇い入れていたことは有名な話です。 この為に屋敷の周りの塀は全て長屋形式で多数の部屋が作られていました。 参考 吉良邸の大きさ(江戸検お題「本当の忠臣蔵」62) : 気ままに江戸 散歩 ... wheatbaku.exblog.jp/20692656/ やたらに細長い吉良邸の絵図が掲載されています。 これ等の旗本に付き従う武家は幕府から見れば家臣のその家臣だということになります。(また者) これに対して御家人は小禄とは言え幕府の直接の家臣ですので、プライドが違っていました。(直参) 御家人は幕臣ですので屋敷が支給されましたが、旗本の家臣は旗本の屋敷内で暮らしていました。 蛇足 江戸時代の武家屋敷というのは広いという印象がありますが、屋敷の当主の家族だけではなく、これ等の家臣や奉公人が暮らしていましたので大所帯だったとお考えください。 これが大名となりますと役所としても使われ、家臣は家族ともども邸内で生活していましたので相当な人数が暮らしていました。 町家とは違い平屋が原則でしたので、結果的にそうとうな面積が必要だったということです。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
mwgam5さん、こんばんは。 Ithiです。 久富さん扮する、悪のボスですが、もう1つとして、「浪人は新規召し抱え(新規採 用)」と、言ってた部分。 こちらについては、「旗本寄合席が、直接採用する」と言うのは、可能だったのでし ょうか?戦国期だったら、即断できますが、さすがに江戸時代に入ると合議制が主体になります。 これは採用される人間の文武における能力と家老ともいうべき用人と殿様との相談で決まります。旗本寄合席として経済的に余裕があれば、採用される可能性もありますが、ない場合は、採用されないかされても2両くらいに抑えられる可能性があります。ただ、比較的に経済的に余裕のあるクラスなので、欲を言わなければ、採用される可能性の方が強いです。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
80568410 さん、こんばんは。 旗本寄合席というのは普通名門で3000石以上の旗本か大名の分家筋で1000石程度の旗本で名門中の名門です。大体3000石で200石の家老に当たる用人2人のほか、若党が8人というのが軍役上の規定ですが、実際用人には半分、100石、若党は人数が半分で3両2分です。能力があれば、1分くらいは上がるでしょう。 この内、「給料を倍額にする」だが、正当な仕事して、出世した時なら、あり得るか? 主人である殿様が出世し、倍以上の加増を受けた場合はあり得るでしょうね。自分もよほどの能力の持ち主でないとそこまではいけません。だけど、布衣以上の役寄合ならともかく、先祖代々の寄合席の旗本は無能物が多いというのが評判でした。 それと、もう1つ登場してる、「報償金を取らせる」だが、これも正当な仕事してなのは、言う迄も無いが、大体1回辺り幾ら位、現在のお金でなら幾ら位が、支給されるのが、当時では普通だったのか?」に、なります。 白銀3枚(3朱)白銀5枚(5朱)ですと、金1両が大体10万円ですから、1朱が16枚で1両ですから、今のお金にして18000円から30000円くらいでしょう。 1朱銀 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%9C%B1%E9%8A%80 旗本寄合席 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%97%E6%9C%AC%E5%AF%84%E5%90%88%E5%B8%AD
補足
他の方への補足として、入れてます。 久富さん扮する、悪のボスですが、もう1つとして、「浪人は新規召し抱え(新規採用)」と、言ってた部分。 こちらについては、「旗本寄合席が、直接採用する」と言うのは、可能だったのでしょうか?
- kuronekofan
- ベストアンサー率56% (229/402)
No2の者です。 No1さんが「若党」ほか言及されていましたので補足です。 当時は、家に対して禄が付与されます。長男は家督を継げば禄を得られますが、次男坊以降はその家の厄介になるしかなく、あとは、他家に奉公に出るか、医師等で身を立てる必要があります。 家にいる間、「部屋住み」「居候」などと呼ばれ、小遣いもなく肩身の狭い暮らしです。 幕末の大老井伊直弼もその一人でした。 大きな旗本の屋敷では多くの使用人を使っていましたので、これら次男坊以下は礼儀作法を身につけると同時に口減らしにもなり、出世(養子にはいったり、新たな職の口利き)の糸口を求めて「武家奉公人」として奉公に出ていました。住み込みだけではなく通いもありました。部屋住みは原則無給ですが身だしなみを最低限整えるため少しの給与が出て、これが俗にサンピンといわれた中身ですが、語源の3両1分も決まった相場ではなく、3両にも届かない例も多数とされています。 以下の例では3両に届いていません。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12113767327 TVに登場する「家臣」ですが、江戸時代には家臣が私兵を養うことはなく、すべて藩主に対して雇用関係がありました。旗本が屋敷の使用人を家臣と呼ぶことは無く、家のもの、または用人、奉公人などと呼びます。 TVで家臣といっているのは、奉公人ではなく、その旗本と共謀する腹心をさしています。 給料を増やすといっているのは、禄を増やすといっているわけです。 ただし、江戸幕府では30表2人扶持といった貧乏御家人でも若年寄の決済事項(稟議)、旗本だと老中支配なので、ひとりの思いで簡単に禄を増やせたとは思われません。 なお、禄高は総量が決まっています。どこかの家を取り潰さない限り、増やす余地は無いので、仕事上の功績褒賞はおもに以下で行われました。 1.上位役職への推挙 2.席次序列(役職に就かない場合にも家柄上の序列があった) 3.褒美(記念品) 4.下賜金
補足
回答、有難うございます。 久富さん扮する、悪のボスが、もう1つ言ってた、「浪人は新規召し抱え(新規採用)」の部分。 こちらも、「正当な理由が、あるのが前提だが、旗本寄合席が、直接採用する」と言うのは、可能だったのでしょうか?
- kuronekofan
- ベストアンサー率56% (229/402)
旗本寄合というのは上級の役職に就かない旗本の情報交換と役職斡旋を行う組合のようなものです。給与は無くむしろ逆に組合費(役料)を支払わねばなりません。 < ・・「旗本寄合席」と言う旗本に、家臣つまり、部下として仕えてる侍 > は、その旗本から給与はもらえません。その侍が幕府の家臣なら、幕府から給与をもらっているのです。 この場合、その侍は、正規の家臣ではなく、私的に雇ったものだと思いますので、 決まったお金というものではないはずです。 江戸幕府では、原則として役職に給与は就いていません。 あらかじめ、家臣は家柄によって主君である藩主(江戸幕府の場合は将軍)より基本給(石高や扶持米)がきまっておりました。しかし、上級の役職ではそれなりの費用(馬に乗ったり籠に載ったり)や格式(各種の儀礼に参加したり、家で葬祭を取り仕切ったり)をもとめられましたので、8代将軍のころに「足し高」という役職についている間支給される給与が追加されています。(役職を終えて特に功績があれば基本給があがることがありますが、世襲なのでめったにありません) 次に一般的なことをご紹介します。 旗本は一般的に各藩で上級の家臣を指します。1万石以上は原則「大名」となりましたので、結果的に1万石未満で、多くは300~1000石。小さな藩では50石くらいです。ただし、馬に乗れ、藩主に謁見できる身分で、藩の要職に就く資格を有します。 武士である家臣(武士以外の家臣も多数いる)は、主君である藩主から直接給与を支給されていましたので、誰かの部下になったからといって上司から何かをもらうことはありませんし、禁止もされています。 給与は、旗本の場合は基本給が「石高」という領地、これに幕府の役職に就くと給付される「役料」(石高または金子)からなります。旗本の下位階層に御家人がおり、彼らは「扶持米」というコメの量で給付されていました。扶持米は実際は為替切手で所定の部署や町の両替所で現金化していました。 「石高」という領地は、農地の大きさで100石というと、米100石(相場は1石10俵前後)の収穫のある領地を意味し、いわゆる年貢が収入になります。江戸幕府では4公6民が原則でしたので100石領地なら40石が収入です。そこから、家族全員と、屋敷で個人的に雇う使用人(中間、賄い、女中など)、葬祭費用、役所への往復の馬の費用などなど全て賄います。
補足
回答、有難うございます。 他の方への補足として、入れてます。 「旗本寄合席が、直接浪人を、新規採用すると言うのは、基本的にはあり得ない」として、理解すれば、良いでしょうか?
>部下として仕えてる侍だと、当時の月給で言えば、大体幾ら位、現在のお金で言えば、幾ら位は貰ってるか? 部下を若党と考えますと、年俸が三両二分の現金と一人扶持(玄米150升)というのが基本でした。 これがいわゆるサンピンという貧乏侍の蔑称のゆらいです。 町人の生活費が年10両程度と言われていた時代ですので、金額を換算しただけでは生活ができないということになります。 実際は主君である旗本の生活費で賄われていましたので、どうにか生活はできていました。 ていのいい居候でした。 結婚など夢のまた夢でした。 ともかく現金を持っていませんので、気楽に外で一杯というわけにはいきませんでした。 旗本家の執事に当たる用人に昇格すれば、女房ともどもで年に七両程度は支給されていました。 ドラマで「給料を倍額にする」と言っているのはこの用人に採り立てるという意味合いになります。 若党は精々数名ですので、出世ということはあり得ませんでした。 この若党もドンドン減らされて、終身仕えるというのは一人いるかいないかだけでした。 下級武士というのは武士であるというプライドだけが生き甲斐でしたので現代の感覚ではとてもヤッテランナイ身分でした。 >「報償金を取らせる」だが、これも正当な仕事してなのは、言う迄も無いが、大体1回辺り幾ら位、現在のお金でなら幾ら位が、支給されるのが、当時では普通だったのか? 褒賞としては一般には銀の板が下賜されていました。白銀何枚という言い方がされていました。 白銀3枚で約1両に相当しました。 だいたいこの白銀の他に衣服が1着下賜されました。 旗本が幕府から直接褒賞される場合は大判が使われていました。 大判1枚は約7両2分に相当しました。 町人などが奉行所から褒賞される場合は青銅何疋という言い方で銅貨が下賜されました。 青銅1疋は銭10文に相当しました。 この他に大名が重臣を褒賞する場合には家紋が下賜されました。 (本来は領地でしたが、平和な江戸時代に余分な領地を持つ大名はいませんでしたので、費用のかからない家紋の下賜という形態がとられました) 正式な席でこの下賜された家紋を着用するということは何よりの名誉でした。 親子代々受け継がれていきました。 お金を貰うというよりも白銀などの褒賞を貰うというのが名誉なことであるという価値観でした。 名誉の方がお金よりも価値があるとされていた時代です。 とくに武士階級は名誉のためには命をかける時代でした。 1両は当初は銭4000文でしたが、江戸時代を通じて約銭5000文~5500文程度でした。 現在の価値に換算するのに以前はよく米価が目安とされて1両=約10万円と言われていました。 最近は掛蕎麦1杯16文などを基準にする方法が取られています。 これからしましすと、1両=約30万円前後になります。
補足
回答、有難うございます。 他の方への補足として、入れてます。 久富さん扮する、悪のボスですが、もう1つ言ってた、「浪人は新規召し抱え(新規採用)」の部分。 こちらについては、「旗本寄合席が、直接採用」と言うのは、考えられたのでしょうか?
お礼
回答、有難うございます。 「久富さん扮するボスは、違った視点から、新規採用する旨を言った様にも、見える」と言う、考えなかった内容で、回答されたので、BAにしたいと、思います。 又、質問した時は、よろしくお願い致します…。