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ウィルソンのノート:ルシタニア号撃沈を巡る軍事衝突の始まり
- ウィルソン大統領がドイツの主張を拒否し、ルシタニア号撃沈を巡る軍事衝突の始まりとなる二つ目のノートを発表しました。
- ウィルソンのノートには、イギリスの封鎖が違法であり、無辜の市民への残虐で致命的な攻撃であるというドイツの主張に対して矛盾を指摘しました。
- さらに、ルシタニア号が爆薬を運んでいたとするドイツの主張にも反論しました。
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以下のとおりお答えします。 ウィルソンの、2番目と3番目の覚え書について述べています。 >In the second note Wilson rejected the German arguments that the British blockade was illegal, and was a cruel and deadly attack on innocent civilians, and their charge that Lusitania had been carrying munitions. William Jennings Bryan considered Wilson's second note too provocative and resigned in protest after failing to have it moderated. ⇒2番目の覚え書においてウィルソンは、「英国の(海域)封鎖は、違法で、無実の民間人に対する残酷かつ必殺の攻撃である」というドイツの主張、および「ルシタニア号は軍需品を運んでいた」という彼らの非難を否定・拒絶した。ウィリアム・ジェニングズ・ブライアン*は、ウィルソンの2番目の覚え書は挑発的すぎると考え、それを適度な穏健なものにさせようとして失敗し、その後抗議する形で(彼の閣僚を)辞任した。 *ウィリアム・ジェニングズ・ブライアン:ウィルソン大統領大統領により国務長官に任命され、数々の社会改革を実現させたが、ドイツ潜水艦によるこのルシタニア号撃沈の際の対独方針について、大統領と見解を異にしたため辞任した、と言われている。 >The third note, of 21 July, issued an ultimatum, to the effect that the US would regard any subsequent sinkings as "deliberately unfriendly". While the American public and leadership were not ready for war, the path to an eventual declaration of war had been set as a result of the sinking of Lusitania. ⇒3番目の、7月21日の覚え書では、今後のいかなる(船舶)沈没も「意図的にして非友好的」とみなすものとする、という趣旨の最後通牒を出した。米国は、一般大衆も指導層も、戦争の用意ができていない時であったにもかかわらず、戦争の最終的宣言への道は(その道を取ったのは、一重に)ルシタニア号沈没の結果として取り決められたのであった。
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