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【哲学・人間】個性って何ですか?

urigadai2013の回答

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回答No.3

個性とは、その人の他者にはない属性・性質などを言います。 他人との「差異」に基づく。 つまりその人を他人と区別するもののことです。 他人がいて、個性もあるのですから、相対的なものです。 つまりその人が本質的に有するものでなく、偶然に有するもの、偶有性です。 その人を他人と区別する「記号」のようなものです。 人が絶海の孤島で暮らしたら、個性なんて何の意味もないですね? 他人がいるから、その他人の個性と比較して、自分にもその「差異」として個性があると言われる。 このような「個性」という言葉が使われるようになったのは、西欧では18世紀以降の近代、日本では明治維新以降です。 それ以前の西欧や日本は身分制の社会で、身分によってその人間が何であるか、決まっていましたから、個性なんて必要としません。 日本では江戸時代は士農工商の身分があって、武士の子は武士、町人の子は町人、百姓の子は百姓と決まっていましたから、個性などという他人と区別するものを必要としませんでした。 それは「個人」という言葉も同様です。 柳父章の「翻訳語成立事情」という本によれば、明治に西欧語のindividualを当初「ひとり」と翻訳していたそうです。 それを福沢諭吉が「個人」と訳しましたが、明治の人にとって「個人」というのはなかなか理解しがたかったと言っています。 「個性」も同じですね。 明治の人が「個性」といわれて、理解できた人はいなかったと思います。 明治になって江戸時代の身分制の社会が崩壊し、人々は自由に職業を選択できるようになりましたが、その中で登場したのが「個性」という言葉です。 つまり自分というものを身分に捉われずに、自己選択で自由に形成することのできる時代が訪れた、その結果「個性」という言葉が登場したということです。 そして職業というのは、その人間にとって偶然に有するものですから、当然「個性」も偶然に有するもの、偶有性です。 つまりその人間が本質的に有するものではない。 それに江戸時代は基本的に農業社会ですから、あったのは農村共同体です。 共同体は人間がみんな同じことが求められ、田植えをするときも、稲刈りをするときも、みんな一緒で行ないます。 個性なんて言っていたら、農作業はできません。 だから農村共同体は個性なんて必要としなかったんです。 それを必要としたのは明治以降の近代社会においてです。 職業がさまざまに分化して、自由にそれを選択していい時代が訪れた、そしてそのような時代が人間の個性を必要とした、ということです。

sonicmaster
質問者

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