• ベストアンサー

次の《対話》を解釈し解説してください。

NemurinekoNyaの回答

回答No.10

☆☆ という規定からすれば 《宇宙》は この地球から捉えている経験世界のことを言っています。 ◇おそらく、 この《宇宙》は、単に経験事象のそれだけではなく、メタ《宇宙》のようなものも意味するのでしょう。 ですから、 あっちの回答で、「言葉を使い分けるなりして、区別しなさいよ」という趣旨の内容を書いたんですよ。 で、 このメタ《宇宙》を、宇宙の法則と呼ぶのならば、これは表現の違いに過ぎないので、それはそれでいいと思います。 また、 このメタ《宇宙》や《宇宙の法則》は、いわゆる存在ではないので空間的な制約を受けず、宇宙に遍満し、さらにあらゆる個物の中に内在するということも可能になるのでしょうね。 物理学の用語の真似をして、《場》という概念を導入してもいい。 現象の背後には《場》があり、《場》と物質などが相互に関係しあって経験できる現象が発生するのだ、みたいなことも言えるのでしょうね。 そして、どちらも単独では存在しえない、なんて言えば、お洒落じゃないですか(笑い)。 この時、宇宙の法則とやらは、この関係、あるいは、関係の規則のようなものになるんじゃないですか。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ◇ おそらく、/ この《宇宙》は、単に経験事象のそれだけではなく、メタ《宇宙》のようなものも意味するのでしょう。  ☆ もしそうであるなら これは  ◇ 言葉を使い分けるなりして、区別しな  ☆ いと何にもなりません。 経験世界としての宇宙とそして《メタ〈宇宙〉のようなもの》とをいっしょにすることは まづあり得ません。  しかも この  ◇ メタ《宇宙》のようなもの  ☆ にしてからが 判然としません。けれども 想像による観念としてあるものにしても それがじっさいに経験世界につらなるものであるにしても だとしたら いくら《メタ》と言おうと けっきょく経験事象です。  《絶対》としてのメタ宇宙が 《現象する存在》であるとは 考えられません。  すなわち  ◇ このメタ《宇宙》を、宇宙の法則と呼ぶのならば、これは表現の違いに過ぎないので、それはそれでいいと思います。  ☆ このことも まだあいまいです。経験則なら 《絶対》ではありません。そうではなく 《非経験の場》だというのであれば まづ初めにそう言わねばならないでしょうし もうひとつに 絶対であってよいのですが 《経験世界をもふくむ宇宙》と一体であるとは言い得ません。  絶対としての宇宙をそこから切り離すのなら その《絶対としての宇宙(メタ宇宙)》と《絶対としての宇宙の法則》とが一体であるのは 当然です。一体であると言うよりは まったくの同じものです。  そのように区別した上で 絶対と相対世界とが交わるということを 次で言っておられるようです。:  ◇ このメタ《宇宙》や《宇宙の法則》は、いわゆる存在ではないので空間的な制約を受けず、宇宙に遍満し、さらにあらゆる個物の中に内在するということも可能になるのでしょうね。  ☆ いわゆる《神の遍在》のことですが しかしながら まだ困難な問題があります。神の遍在は じつは・じつに いわゆる《非在》としてあまねく存在するという理論です。ここまではよいのですが それは 《一体》ではないでしょうね。  つまり 《遍在するブラフマンの霊(=メタ宇宙=宇宙の法則)》と《経験世界としての宇宙》とは 《一体》ではないでしょう。《経験世界としての宇宙――とくにミクロコスモスとしての人の心――に想定された霊我=アートマン――》と 想定じょう《一体》なのであって 経験事象としては 無理です。  ブッダターは 経験事象ではありません。《存在し現象する宇宙》と一体だというのは きわめてあぶない表現だと言わねばならないでしょう。この神〔の霊〕を感じるというのは その人の主観内面におさめられていなければなりません。きわめて危険な表現をすでに使っています。  ◇ このメタ《宇宙》や《宇宙の法則》は、いわゆる存在ではないので空間的な制約を受けず、宇宙に遍満し、さらにあらゆる個物の中に内在するということも可能になるのでしょうね。  ☆ 想定じょう神の霊としてです。アートマンとしてです。自性清浄心としてです。  ということは 《非経験の場=メタ宇宙=宇宙の法則》が そもそも霊としての次元なわけです。そして 人間にもアートマンとしての霊の次元があるという想定です。つまり 初めから神の霊が想定されたというのと何ら変わりありません。  ですから  ◆ 第3公理 宇宙における全ての現象は宇宙の法則に支配される  ☆ これは・これも 霊の次元での話です。そんな簡単にこんなことが言えるわけではありません。つまり 《現象》は経験現象ですし 《宇宙の法則》はやはり非経験の場でありつづけます。この両者の関係つまり《支配関係》は 人間に分かるわけがありません。分かったというのは 非経験の場と経験世界とを区別したという最初の前提内容だけです。絶対的なへだたりがある。ゆえに 何となく《支配と被支配の関係》ではないかと推理するだけのことです。  ですから もし《メタ宇宙=宇宙の法則》を想定し 経験宇宙と区別したのなら 前者はあたかも神であって 絶対であるゆえに そのチカラが経験宇宙ないし人間に絶対的に――霊として――及ぶという推理が得られるかも知れないという話になっています。  ここまで明らかにして述べなければ 何にもなりません。特に《神は感じるものである》と言っているときには そうであるからにはです。  ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  物理学の用語の真似をして、《場》という概念を導入してもいい。  現象の背後には《場》があり、《場》と物質などが相互に関係しあって経験できる現象が発生するのだ、みたいなことも言えるのでしょうね。  そして、どちらも単独では存在しえない、なんて言えば、お洒落じゃないですか(笑い)。  この時、宇宙の法則とやらは、この関係、あるいは、関係の規則のようなものになるんじゃないですか。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   ☆ これは 経験事象ですか? それとも アートマンなる霊我にかかわる話でしょうか?  《場》は 絶対であり神の霊の次元なのですから 経験事象ではないはずです。(経験事象であるか無いかが 人間には分からないあり方である。はずです)。  わたしの持論が 論証されて来るだけぢゃないですか。

関連するQ&A

  • 真の唯物論は宇宙の公理から始まる

               宇宙の公理 第1公理 宇宙は存在する 第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第3公理 宇宙における全ての現象は宇宙の法則に支配される 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である 第5公理 宇宙の法則は永遠不変である 第6公理 宇宙の法則は永遠不滅である  

  • あの世は存在しない

      宇宙の公理を用いて「あの世は存在しない」ことを証明します。 証明: 仮にあの世が存在したとする。 このとき第3公理より宇宙の法則は宇宙の全現象を支配するのであるから、あの世の現象も宇宙の法則が支配することになる。 また第4公理より宇宙の法則は唯一絶対であるから、あの世の法則は宇宙の法則自体でなければならない。 また第2公理より宇宙と宇宙の法則は一体であるから、あの世とあの世の法則は宇宙と宇宙の法則と一体でなければならない。 結局、あの世とあの世の法則はこの世とこの世の法則と一体でなければならない。 すなわちあの世とはこの世のこととなり、あの世はこの世とは別には存在し得ない。 故にあの世は存在しないと結論できる。 証明終わり。           宇宙の公理 第1公理 宇宙は存在する 第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第3公理 宇宙の法則は宇宙の全現象を支配する 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である 第5公理 宇宙の法則は永遠無限に均一である 第6公理 宇宙の法則は永遠無限に不変である (※永遠とは無限時間、無限とは無限空間を意味する)  

  • 宇宙の公理

             宇宙の公理 第1公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第2公理 宇宙のすべての現象は宇宙の法則に支配される 第3公理 宇宙は存在する 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である 第5公理 宇宙の法則は永遠不変である 第6公理 宇宙の法則は永遠不滅である 特に、第1公理、第2公理、第3公理によって宇宙には始まりは無いことが分かるという。 それは何故でしょう。  

  • 宇宙の創造主は存在しない、あの世は存在しない

      宇宙の公理は完成しました。 さて、宇宙の公理によると「宇宙の創造主は存在しない」ことが導けるらしいです。 宇宙の公理からどのようにこの事実を導き出しますか。 また宇宙の公理によると「あの世は存在しない」ことも導けるらしいです。 宇宙の公理からどのようにこの事実を導き出しますか。        宇宙の公理 第1公理 宇宙は存在する 第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第3公理 宇宙の法則は宇宙の全現象を支配する 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である 第5公理 宇宙の法則は永遠無限に均一である 第6公理 宇宙の法則は永遠無限に不変である (※永遠とは無限時間、無限とは無限空間を意味する)  

  • 証明:純然たる観念世界は存在し得ない

      宇宙の公理および人間精神も宇宙の法則に支配される(証明済み)を用いてこれを証明します。 証明: 観念世界は人間精神が作り出す創作物の一つである。 人間精神も宇宙の法則に支配される(証明済み)のであるから、人間精神が作り出す創作物の一つである観念世界も宇宙の法則の結果として生まれる。 このとき第2公理より宇宙と宇宙の法則は一体であるから、観念世界が宇宙と遊離して単体で存在することは出来ない。 故に純然たる観念世界、つまり宇宙と遊離した単体の観念世界は存在し得ないと結論できる。 証明終わり。 宇宙の公理 第1公理 宇宙は存在する 第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第3公理 宇宙の法則は宇宙の全現象を支配する 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である 第5公理 宇宙の法則は永遠無限に均一である 第6公理 宇宙の法則は永遠無限に不変である (※永遠とは無限時間、無限とは無限空間を意味する)   証明:人間精神も宇宙の法則に支配される http://okwave.jp/qa/q8860468.html  

  • 公理を検証して下さい

      数学が扱うものは数式だけではなく、論理一般を扱うものと考え質問します。 ある宇宙モデルを表す公理系を考えてみました。 必ずしも現実の宇宙を想定しなくてもよいです。(もちろん想定してもよいが。) さて質問ですが、公理1~7で互いに相反するものはありますか、また互いに同一内容(冗長)のものはありますか。        宇宙の公理 第1公理 宇宙は存在する 第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第3公理 宇宙の法則は宇宙の全現象を支配する 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である 第5公理 宇宙の法則は永遠無限に均一である 第6公理 宇宙の法則は永遠無限に不変である 第7公理 宇宙の法則は永遠無限に不滅である (※永遠とは無限時間、無限とは無限空間を意味する)  

  • 宇宙の創造主は存在しない

      宇宙の公理を用いてこれを証明します。 証明: 仮に宇宙の創造主が存在したとする。 すると宇宙は現在からある有限の時間内に創造されたことになる。 このとき第2公理より宇宙と宇宙の法則は一体なのであるから、宇宙と宇宙の法則は同時に創造されねばならない。 しかし第6公理より宇宙の法則は永遠無限に不変なのであるから、ある有限の時間において宇宙の法則が誕生することは有り得ない。 故に宇宙の法則の創造は有り得ず、これは同時に宇宙の創造も有り得ないことになる。 宇宙の創造が有り得ないのであれば、宇宙の創造主は存在しないと結論できる。 証明終わり。           宇宙の公理 第1公理 宇宙は存在する 第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第3公理 宇宙の法則は宇宙の全現象を支配する 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である 第5公理 宇宙の法則は永遠無限に均一である 第6公理 宇宙の法則は永遠無限に不変である (※永遠とは無限時間、無限とは無限空間を意味する)  

  • 宇宙と宇宙の法則は一体である

      宇宙なくして宇宙の法則は存在し得ず、宇宙の法則なくして宇宙は存在し得ない。 宇宙と宇宙の法則は常に一体となって存在する。 これを宇宙の第1公理と定義する。 また、宇宙における如何なる現象も宇宙の法則に支配される。 これを宇宙の第2公理と定義する。 第1公理 宇宙と宇宙の法則は一体である。 第2公理 宇宙の全ての現象は宇宙の法則に支配される。 この2つの公理に従うと、宇宙には始まりは無いことが分かるという。 それは何故でしょう。  

  • 超実存主義とは何か

      実存主義の中の実存主義、究極の実存主義とは何かと考え結果、超実存主義に行き着いた。 そして超実存主義とは以下のような諸概念に基づき、世界を認識するものであると捉えた。 1. 宇宙は無条件かつ絶対的に存在する。 2. 宇宙の法則は完全無欠であり、唯一絶対であり、永遠無限であり、永遠不変であり、永遠不滅である。 3. 宇宙と宇宙の法則は一体である。 4. 人間も宇宙の一部である。 するとこの超実存主義から同時に次のことが導かれことが分かった。 宇宙は創造されたものではないこと。 従って創造主は存在し得ないこと。 また宇宙には始まりも終わりもないこと。 また無は存在しないこと。 また人間の心も宇宙の法則に従う1つの現象に過ぎないこと。 そして宇宙の法則を除いて如何なる神も存在し得ないこと。 またこれによって我々は満たされ得るはずなのである。 何故ならこれによって我々は宇宙の起源が何か求める必要はなくなるからである。 何故ならこれによって我々は神が何であるか求める必要もなくなるからである。 またこれによって我々は無を求める必要もなくなるからである。 またこれによって我々は全てを受入れることが出来るようになるからである。 我々を救うものがあるとすればそれは超実存主義を除いて他にあるまい。  

  • 観念の世界に漬かることが出来ない人はどーすべきか

      人である限り無を求めよーと願うときもあろー。 人である限り奇跡を求めよーと願うときもあろー。 人である限りあの世があってほしいと願うときもあろー。 人である限りある観念の世界に漬かりたいと願うものである。 しかしそのよーな観念の世界に漬かりたいと思っても、漬かることの出来ない人もいる。 理性が邪魔をするのである。 観念の世界に漬かることの出来ない人はどーすればよいのか。 それは徹底的に実存を追い求めることではないのか。 全ての存在は無条件かつ絶対的であると捉えるのである。 宇宙の存在は無条件かつ絶対的であると考えるのである。 つまり超実存に向かうのである。 超実存の必然として生じる結果は何か。 それは宇宙の無限性であり、宇宙の法則の完全性である。 宇宙の法則は完全無欠であり、唯一絶対であり、永遠無限であり、永遠不変であり、永遠不滅であるという深き真理に至ることである。 宇宙と宇宙の法則は一体であるという深き認識に至ることである。 そして人間もその宇宙の一部であると捉えることである。 するとどーなるか。 その瞬間、観念の世界に漬かることより遙かに大きな自由を得たと気付くのではないだろーか。