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次の《対話》を解釈し解説してください。

amenhotep2000の回答

回答No.12

bragellone さん おはようございます。 私は、アルケー教というのは、さっぱりわかりません。この間、ちょっと興味があって回答し、なにか、まともなお礼が来るかと思ったら、「肉食妻帯坊主をどう思うか」という、回答とはまったく関係ないお礼が来て、がっかっりしました。 でも、お礼せずに、情報だけ、かっさらっていく投稿者もいますから、kurnal さんに言わせれば「人権侵害しないでね」でしょう。 ところで本論(脱線?)ですが、アルケー教は、多くの公理を提示してますが、哲学体系として成り立つかが疑問。 私は原書をまだ読んでないので、なんとも言えませんが、ドイツ観念論哲学の一人のフィヒテは「知識学」で下記のようなことを言っているようです。 「知識学とは学問一般の学問であり、他のすべての学問の基礎を与えるような、根本学である。学問とは、ばらばらの知識の集まりでなく、体系的形式を持っており、学問における、すべての命題は、唯一の原則において連関し、ひとつの全体に合一されていなければならない、学問においては、少なくとも一個の命題が確実であって、これが他の命題に、その確実性を伝えるのでなければならない。」 つまり、確実な命題は、学問の哲学体系的結合を可能にするものとして、それに先立って成立しなければ、ならないという、「第一哲学」というもの。 bragelline さんはフィヒテの考えはもう古く、フィヒテの原書を読むのは時間の無駄でしょうか?お礼にて助言くだされば幸いです。 アルケー教さんは、フィヒテに関心がないのなら、NHKのEテレの午後2時20分から10分間放送されている、「高校講座 ロンリの力」を観て欲しい。ほとんど放送は終わってますが・・・。来年再放送? 9/2 9/9 ロンリのちから (9)類比論法 9/16 9/23 ロンリのちから (10)合意形成 9/30 10/7 ロンリのちから (1)三段論法 10/14 10/21 ロンリのちから (2)誤った前提・危険な飛躍 10/28 11/4 ロンリのちから (3)逆さまのロンリ 11/11 11/18 ロンリのちから (4)接続表現・ことばをつなぐ 11/25 12/2 ロンリのちから (5)水掛け論・理由を言う 12/9 12/16 ロンリのちから (6)暗黙のロンリ 12/23 ロンリのちから   (7)仮説形成 では、お礼をお待ち申し上げております。

bragelonne
質問者

お礼

 ううーん。わたしの抽斗(ファイル)が少ないことがバレルかな。  お早うございます。ご回答をありがとうございます。  フィヒテは たしか苦学したんですよね。努力のひと。  《ロンリのちから》が 主要な主題なんですか? つまり《学問一般の学問たる知識学》というのは。  でも毎回の表題を見ると 見方を変えて言えば《コミュニケーション論》でもあるようですね。たしかに古代ローマの昔から 弁論ということが 重んじられて来ています。  じつは わたしは この《交通》論をテーマにしています。《かかはり(関係性)》とじっさいに対面するばあいの《まじはり(交通)》といった切り口で マジハリからあとの具体的な問題が コミュニケーション論でしょうし カカハリに先立つ人間観ないし存在論を基礎にしなくてはならないと見ています。いまは 存在論のさらにマボロシの基礎である信仰論ないし神学論争が多いですが。  《ロンリのちから》関係では 昔からは演繹法と帰納法そして わたしが採っている仮説法(アブダクション)がどうだこうだとやっていました。そして 詭弁術がどうだといった議論をも参照したことがありましたが けっきょくこれまでおこなって来たのは 自己流ですね。無手勝流でしょうか。  1. 必ず結論を出す。出せないなら 理由を述べる。  2. むろん結論をみちびいた論理の筋を明らかにする。  3. この思索の過程について 自分のであれ他人のであれ 徹底的に吟味・検証する。批判は 自由。互いに自由な批判を旨とする。  4. 内容などが判然としないとき 自分には不利に相手には有利に解釈する。  5. あとは 排中律だけでしょうか。自己同一性をまもる。  といったような経験をとおしてつくって来た方法でやって来ました。  うちは まだ地デジにしていなくて BS放送しか見られないのですが  ★ フィヒテの原書を読むのは時間の無駄でしょうか?  ☆ こちらのほうは どうでしょうか。  まづ学ぶことに無駄はないでしょうね。  わたしが交通論を問い求めているのは きわめて単純な・そしてただひとつの動機からです。  人と人とが理解し合えるようにです。  人並みに――学校で・そして時には家庭でも――相互理解を得ることに苦労したということだと思うのですが そして社会に出れば ますますむつかしくなっていることにおどろき そのままずっとこの主題で来たことになります。  つまり言いたいことは わたしの場合は このライフワークともなったテーマがあって いろんな先人の成果を勉強しています。  つまり フィヒテを読むときにも どういう魂胆でそうするか。これは 重要なのではないでしょうか。フィヒテが好きだからでもいいわけで そのような動機のほうが大事であり また効果があるように思うのですが どうでしょう。  でも原書を読もうというまでになったのでしたら やり始めてもよいかも知れません。途中で もしむしろほかのテーマが舞い込んできたとすれば そのときに考えればよいでしょうし。  ★ つまり、確実な命題は、学問の哲学体系的結合を可能にするものとして、それに先立って成立しなければ、ならないという、「第一哲学」というもの。  ☆ ですから このこと自体は それを明らかにした時点で なるほどそういうことであるわいと誰もが思う内容であるわけです。  それでもなお それをみちびいたフィヒテのさらに奥に迫って行こうというのであれば そうするでしょうし。あるいはドイツ語で確認したいといった目的もあるでしょうし。さらには いやいや第一哲学は まだまだ基本を言ったまでだ 学問は ただ理論体系を築いたというだけでは実践的ではないところがある。そのあたりのことを詳しく詰めておきたいのだ。という場合もあるかも知れません。  ただし 単純に趣味で フィヒテをやるのだという場合もありますね そう言えば。  ☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~   ◆ 第1公理 宇宙は存在する   ◆ 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である   《経験的にして相対的な存在である宇宙》は 《絶対である宇宙の法則》と一体である。ことになります。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ と批判したら ねむねこさんからは 《宇宙》と言っているのは そこに《経験世界としての宇宙》とそして《その経験宇宙を超えた非経験の場としてのメタ宇宙》とがふくまれるという解釈が出されました。  だから 目に見えて存在するのは 経験宇宙であり 絶対である《宇宙の法則》と一体であるのは《メタ宇宙》のほうであると。  あとのほうは もはや二つのものではなく 《メタ宇宙》と《宇宙の法則》とは 同じひとつのもの――すなわち神のこと――であるのですが それにしても 《解釈》の可能性は はなはだ広く大きいようであります。しかも 解釈は 自由です。  言いかえると このいまの《第一公理》は 宇宙を経験宇宙とメタ宇宙(=宇宙の法則)とに分けて説明していないからには まだダメということになります。  そういった問題ですよね 《学問一般の学問たる 第一哲学》というのは?  フィヒテをしっかりと読んでいたなら 結論を出したところですが 諸般の事情より こんなかたちになるでしょうかね いまのわたしの段階では。

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