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次の《対話》を解釈し解説してください。

atomonadosの回答

回答No.5

>★ 気が触れていると言うあなたに悪意かあるという意味に受け取ります。  ☆ もう五年も六年も同じマチガイの指摘を続けて来ました。神ないし信仰についての勘違いとマチガイであり 指摘は百回を超えるでしょう。これで 相手に悪意がないのならば 気が触れているとしか言いようがありません。 おそらく、あなたの間違いの指摘を多くの人がしてるのでしょう。あなたはその人たちのマチガイの指摘をしているつもりでも。 このことは質問の趣旨に関係するのですか。 > ☆ もしそのことがマチガイでなければ 一たん質問趣旨についての回答を寄せたそのあとのことです。《宇宙は絶対ではなく 相対である》とわたし(=ぶらじゅろんぬ)もその相手である質問者も はっきりと述べているのですから まづその事実を前提として話をすすめ それが一たんけりがついたなら そのあとにそうすべきことです。 第一の回答で、あなたの勘違いだ。と解釈を述べたではありませんか。 読み直しました。「宇宙は存在する」の存在性について絶対か相対かと問われ、相対だとみなした。そのあと宇宙の存在性を相対的としている。 だが、場合わけしたもう一方、宇宙の存在の絶対性は、棚に上げられたままじゃないか。これを無視している。宇宙の存在の相対であることを疑いもせず受け入れてしまっている。 どこにもないでしょう。相手が宇宙は相対であるとはっきり述べているところは。見てみなさい。  ◆ (お礼) ~~~~~~~~~~~~~~  真理のためならたとえ相手がアホであっても導いてあげなさいという心優しきアルケーの教えに従いアホのお相手をします。  宇宙の法則に絶対も相対もありません。  絶対とか相対ってのは人間の考えることである。  宇宙の法則は永遠無限の存在であり、人間が存在する遥か以前から絶対的に存在したものである(第5公理、第6公理)。  公理という言葉の意味もよく考えて。    投稿日時 - 2014-12-13 19:20:11  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 絶対と相対の議論はあなたがしかけて、相手もあなたが思っているように、宇宙は相対だと言っていると錯覚しているのですよ。 なぜ、「まづその事実を前提として話をすすめ・・」と言いながら、「《宇宙は絶対ではなく 相対である》とわたし(=ぶらじゅろんぬ)もその相手である質問者も はっきりと述べているのです」と事実と反することを言うのですか。自己矛盾でしょ。 相手ははっきり述べてはないけれど、 第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である から考えるに、「宇宙は絶対である」と考えていると思いますが。これでもあなたは、相手が「宇宙は相対である」とはっきり言っていると言い続けますか。 このあと >気が触れかかっているとしか見られません。 書かれていますが・・・・・。まっ、どちらにせよこれはほおっておきます。 ================= > ★ 「宇宙が絶対である」と直接あなたが言ったことがこれまでに一度もないのなら謝ります。ですが、本当のところはどうなんですか。  ☆ 言った・言わないの問題ですらないのです。質問の趣旨から まづすべきこととして外れて行っている。こういう問題です。あやまるのは そういう問題をないがしろにしたことについてです。そのあと わたしがもしそういうことを言ったとなお思うのなら 原告が実証すべき問題です。 ================= 質問の趣旨にそって、第一の回答で、あなたの勘違いだ。と解釈を述べたではありませんか。 ================= >☆ 宇宙が絶対であると いつわたしが言ったのですか? 言いがかりもはなはだしい。 ================= 前の返信で、こうあり、あなたが「宇宙が絶対である」と言ったということを否定されたようなので次のようになりました。 =================  ★ 「宇宙は絶対でない」のですか。あなたの判断がどちらであるか明言しないなら。これも屁理屈の一種でしょう。  ☆ ざけんな。趣旨説明を読んでからにしろ。 ================= 恫喝ですか。 質問の趣旨にそって、第一の回答で、あなたの勘違いだ。と解釈を述べたではありませんか。 絶対と相対の議論はあなたがしかけて、相手もあなたが思っているように、宇宙は相対だと言っていると錯覚している。つまりあなたの見解が人の道の見解とことなるのは、あなたの勘違いだという解釈です。私の解釈ですから私の見解に基づいていますが。 ========================== > ★ 絶対たる無限が、数でないのにどうやって割るというのですか。  ☆ ここまでの阿呆だと知らなかったわたしはわるい。  無限が数であると どうして決まっているのか? ========================== 「無限が数であると 決まっているのか」とは言っていない。 数である場合とない場合に分けている。 あなたが言う絶対たる無限は(おそらく)数でないだろう。 その場合に、割ることができないだろう。数でなく割るということは部分に分割するということ。だからあなたのいう絶対たる無限は、部分に分けられないであろうから、割ることができないと自分は思った。それを割るとはどういうことか。どうやってそれを割るというのか。 ========================== > ★ 数だとしたら、全体に一致しない部分の存在は明白です。たとえば自然数は無限にありますが、一桁の自然数はその部分です。  ☆ その無限は いま想定している無限――真無限――ではありません。 ========================== 当然そうなるだろう。あなたの無限は、この無限でないとわかった。 ========================= 円周率は 3と4とのあいだにおさまるからには いくら限りなく数値がつづくと言っても 有限であり相対なのです。その場合の限りなく続くというのは 可能無限のことです。宇宙もそうです。(推量ですが)。 ========================= 数学はあまり得意ではないが、円周率が、2と3の間にあるというような小学生レベルの間違いをする私ではないよ。という皮肉です。 > 真無限は 人間がそのアタマで(想像において)これを二つに割ろうとした場合 仮りに割れたとしても その半分づつの部分は いづれもじつは初めの全体である無限にひとしいのです。そういうふうに想定を交えて定義されています。 全体を自然数として、自然数の無限、偶数の無限、奇数の無限、をみたとき、偶数や奇数は自然数の部分であり、だからといって無限が半分の無限かというと、全体の無限と同じ無限。濃度が等しいということくらいは分かる。真無限というのか実無限というのか知らないが。 で、あなたの真無限が、あなの無限ですか。全体と部分が一致するのはこの真無限においてだと。しかし「無限が数であると どうして決まっているのか?」だと。どういうことなのか分からん。 > ★ そしてあなたの《絶対》を知らなかったら阿呆呼ばわりですか。  ☆ 絶対という概念認識が出来ていないと言っています。絶対そのものを知ることが出来るわけないぢゃないですか。 あなたはこう言った、 >☆ ここがマチガイである。《絶対》ということを知らない阿呆である。ということでしょう。 ここであなたは「《絶対》ということを知らない・・・」と言ったが、それは「絶対という概念認識ができていない」ということだ。そして「絶対そのものは知ることができない」 こういうことだろう。で、あなたの絶対についても概念認識が出来ていなければ阿呆呼ばわり。 やれやれ。他人の概念認識がどうであるかはなかなか分からんものです。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ どこにもないでしょう。相手が宇宙は相対であるとはっきり述べているところは。見てみなさい。  ☆ 開いた口が塞がらないけれど 応えなくてはならない。  ◆ ~~~~~~~~~~~~~~~~  第1公理 宇宙は存在する  第3公理 宇宙における全ての現象は宇宙の法則に支配される  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは 明らかに宇宙が経験現象であることを語っています。それとも この経験世界が 相対ではなく 《絶対》だとあなたは言いたいのですか?  このひとつの事を取り上げただけでも いかにむなしいやり取りであるか 分かるというものです。    このふたつの《公理》といっしょに次の文章を読んでみてください。  ◆ (お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~  宇宙の法則に絶対も相対もありません。  絶対とか相対ってのは人間の考えることである。  宇宙の法則は永遠無限の存在であり、人間が存在する遥か以前から絶対的に存在したものである(第5公理、第6公理)。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この《お礼欄》だけでも 世界一おかしい。  ◆ 宇宙の法則に絶対も相対もありません。  ◆ 宇宙の法則は永遠無限の存在であり、人間が存在する遥か以前から絶対的に存在したものである  ☆ そしてこの《絶対である 宇宙の法則》は 《存在し現象する宇宙》と《一体である》と言っています。気が触れたのでなければ 決して言えるものではありません。  しかもこのように議論をみちびいて来ながら アルケー教徒なのかどうかは知りませんが その教祖の考えにしたがって次のように述べる。:  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  相手(=教祖)ははっきり述べてはないけれど、   第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である   第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である  から考えるに、「宇宙は絶対である」と考えていると思いますが。これでもあなたは、相手が「宇宙は相対である」とはっきり言っていると言い続けますか。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ つまり 《「宇宙は絶対である」と考えていると思います》ところのその《宇宙は存在し現象する》と言っているのです。  こんな議論をしなければならないとは われながれ恥づかしくなって来ました。  日本人の歴史において 最大の恥ぢとなる事件でしょうね。

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