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次の《対話》を解釈し解説してください。

atomonadosの回答

回答No.4

> ☆ 《西から上がっていないから 気が触れている》と言っています。言葉による表現にかんしてその意味するところというのは 論理だけでの問題ではないと知るべきです。 気が触れていると言うあなたに悪意かあるという意味に受け取ります。 >☆ 屁理屈だという論証が出来ていません。 論証は必要ありません。屁理屈だと私が思った事実。あなたを屁理屈をよく言う人だという印象を私がもっているという事実を言明したのです。 >☆ 宇宙が絶対であると いつわたしが言ったのですか? 言いがかりもはなはだしい。 宇宙の公理について、そういう議論領域で絶対の話をしていれば、宇宙にその絶対を適用して解釈するのは妥当なことでしょう。 「宇宙が絶対である」と直接あなたが言ったことがこれまでに一度もないのなら謝ります。ですが、本当のところはどうなんですか。 「宇宙は絶対でない」のですか。あなたの判断がどちらであるか明言しないなら。これも屁理屈の一種でしょう。 >☆ 絶対たる無限を 二で割ったり三で割ったりすると 商はやはり無限なのです。これが どうして人によって違う想定なのですか? いちゃもんをつけるのなら もっとましな話にしなさい。 絶対たる無限が、数でないのにどうやって割るというのですか。 数だとしたら、全体に一致しない部分の存在は明白です。たとえば自然数は無限にありますが、一桁の自然数はその部分です。 、 >======================= ☆ どうして次のように言えないのですか?  ★ 同意できません。「《絶対》ということを知らない」と、どうしてあなたがいえるのですか。 ======================= あなたの非知と、あなたの《絶対》は別なんですね。あなたはそう言いたいのかもしれない。あなたの《絶対》は補助線思考だと。その補助線思考は非知なる設定のもとに生じているのでしょう。 そしてあなたは、あなたの《絶対》がり知り得るものだと思っている。自分が知っているのだから他人にも知り得る。そしてあなたの《絶対》を知らなかったら阿呆呼ばわりですか。 あなたの《絶対》はどうして他人に受け入れられないか考えたらどうです。私が阿呆だからですか。私が気が触れているからですか。 >★☆ いい加減にして下さい。 オウム返しですか。 >これぢゃ 哲カテは 阿呆と気ちがいの遊園地であると 外から見ても中から見ても なるおそれが出て来ました。 ・・・・・・諸悪の根源はあなたでしよ。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 気が触れていると言うあなたに悪意かあるという意味に受け取ります。  ☆ もう五年も六年も同じマチガイの指摘を続けて来ました。神ないし信仰についての勘違いとマチガイであり 指摘は百回を超えるでしょう。これで 相手に悪意がないのならば 気が触れているとしか言いようがありません。  ★ 宇宙の公理について、そういう議論領域で絶対の話をしていれば、宇宙にその絶対を適用して解釈するのは妥当なことでしょう。  ☆ もしそのことがマチガイでなければ 一たん質問趣旨についての回答を寄せたそのあとのことです。《宇宙は絶対ではなく 相対である》とわたし(=ぶらじゅろんぬ)もその相手である質問者も はっきりと述べているのですから まづその事実を前提として話をすすめ それが一たんけりがついたなら そのあとにそうすべきことです。  気が触れかかっているとしか見られません。  ★ 「宇宙が絶対である」と直接あなたが言ったことがこれまでに一度もないのなら謝ります。ですが、本当のところはどうなんですか。  ☆ 言った・言わないの問題ですらないのです。質問の趣旨から まづすべきこととして外れて行っている。こういう問題です。あやまるのは そういう問題をないがしろにしたことについてです。そのあと わたしがもしそういうことを言ったとなお思うのなら 原告が実証すべき問題です。  ★ 「宇宙は絶対でない」のですか。あなたの判断がどちらであるか明言しないなら。これも屁理屈の一種でしょう。  ☆ ざけんな。趣旨説明を読んでからにしろ。    ★ 絶対たる無限が、数でないのにどうやって割るというのですか。  ☆ ここまでの阿呆だと知らなかったわたしはわるい。  無限が数であると どうして決まっているのか?  ★ 数だとしたら、全体に一致しない部分の存在は明白です。たとえば自然数は無限にありますが、一桁の自然数はその部分です。  ☆ その無限は いま想定している無限――真無限――ではありません。  円周率は 3と4とのあいだにおさまるからには いくら限りなく数値がつづくと言っても 有限であり相対なのです。その場合の限りなく続くというのは 可能無限のことです。宇宙もそうです。(推量ですが)。  真無限は 人間がそのアタマで(想像において)これを二つに割ろうとした場合 仮りに割れたとしても その半分づつの部分は いづれもじつは初めの全体である無限にひとしいのです。そういうふうに想定を交えて定義されています。  ★ あなたの非知と、あなたの《絶対》は別なんですね。・・・あなたは、あなたの《絶対》がり知り得るものだと思っている。  ☆ どこをどう読めば そんな受け取り方になるのか? つき合い切れません。  ★ そしてあなたの《絶対》を知らなかったら阿呆呼ばわりですか。  ☆ 絶対という概念認識が出来ていないと言っています。絶対そのものを知ることが出来るわけないぢゃないですか。

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