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なからざるべからず~その2~

hakobuluの回答

  • hakobulu
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回答No.13

#12です。 1. >私が意図していたのは、「なから」は「ざる」にのみ係っており、「べからず」は「ざる」をくりかえすことによる最後の否定部分の強調だということです。こう書いた方がわかりやすいかもしれません→「ないことはない、ないんだ」。最後の否定を続けて繰り返すので、「ないことはない、ないんだ」の「ないんだ」が何がないのかというのは意味的に明白でしょう。 : まさにおっしゃるとおりなんですが、「ないんだ=ないことはないんだ」の省略です。 つまり、「ないことはない、ないことはないんだ」と言っていることになりますから、わたしの解釈で合っているように思うのですが・・・。 「ないんだ=そうじゃないんだ」と言い換えた場合でも、「そう=ないこと」でしょう。 2. >これも私の意見を詳しく書かなかったのが誤解を招いているようです。 >私が念頭においているのは「普通そういうものだ」「当然そういうことになるだろう」「当然そういうことがいえるだろう」という推量的意味合いです。 : はい、そういう意味で捉えました。誤解はしていません。 >学研全訳古語辞典では(5)〔当然・義務・予定〕は▽必然的にそうでなければならないという意を表す。とありますので、この(5)は確信をもっての推量や主張とは違います。 : とおっしゃっていただきましたが、「べからず」という禁止形を念頭に置いていましたので、むしろ、この(5)の解釈になる場合が多いのではないか、というのが前回の主張内容です。 少なくとも、永井荷風 一夕に関しては(5)の解釈が妥当と思います。 3. >黄梅こうばいの時節漸く過ぐ、正に曝書ばくしょすべし。偶たまたま趙甌北ちょうおうほくの詩集を繙ひもとくに左の如き絶句あるを見たり。(永井荷風 一夕) のべしは〔適当〕でしょうか?もし〔意志〕だとすると興味深いです。意識の流れを通常描写の合間に挟むという手法をここで取り入れていることになるので。 : どちらにも取れそうですね。 「梅雨もやっと終わったか。書物もさぞ湿気ていることだろうから、虫干しをしたほうが良さそうだ」のように[適当]と解釈しても良いでしょうが、例年の行事にもなっていたであろうことから考えると、個人的には、 「梅雨もやっと終わったか。書物もさぞ湿気ていることだろうから、(早速)虫干しでもしようか」といった[意志]と解釈したいところです。古典の素養は全く持ち合わせていませんので確信はありません。   

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。 1についてですが No12-2-bで >「なから」は、「ざる」と「べからず」の双方に繰り返し(重複して)係っている。 と書かれている部分は私の解釈ではありません。 私の(とりあえずの)解釈は、「ざる」が「なから」に係っているように、「べからず」がその前の部分、つまり、~なからざるの「~」も含めた発言、に係っているということです。ですので「べからず」が「ざる」の前の「なから」にかかっている、と言われる方がまだ私の解釈に近いですよ。 これは意味上の解釈なので、後々私が文法まで詰めて考えることになった場合にhakobuluさんが12-2-bやcでおっしゃっているような方向に変化する可能性はあるかもしれませんが。 つぎに、2に関して私の考えを書きます。 「およそ小説と称するものその高尚難解なると通俗平易なるとの別なく共に世態人情の観察細微を極むるものなからざるべからず。」 これは世間の人から、先生、まだ小説を書き続けているんですか、よく書き続けられますね、ネタが切れないものですかね?と尋ねられることがあり、そういう風に小説家が見られてる事に対する反論を述べている部分の一部です。 実際にその続く部分を訳しますと、 「大体小説と名のつくものは難解なもの通俗的なもの問わず、世間のありさまや人情事を極限まで注意深く観察するという行為の成果物である。高遠な理想を意図的に記している著作には時として全く架空の事件を綴っているものがあるように思えるものがあるとはいえ、そういうものであろうとなかろうと著作物の1行1行には作者の人間世間に対する観察模様が自ずからはっきりと垣間みれるものがある。そうであるから、もし作者が毛俗世間を離れ自然を友にするような心境の変化が起こることがあれば、文才の有無に関係なく、自然と小説が書けなくなるだろう。小説の命は俗なるところにある。人間に接するところにある。」 当該部分の「べし」のニュアンスを解析すると、 「大体小説と名のつくものは難解なもの通俗的なもの問わず、世間のありさまや人情事を極限まで注意深く観察するという行為の成果物である。既刊の著作の大体を考慮する限りそういうことが言える。」 となると私は解釈しています。 これを少し文法を意識して表現しなおせば、「~(当然)でないということがいえる。」という感じになるでしょうか。 hakobuluさんの解釈では学研全訳古語辞典を手にとるなら、  (5)〔当然・義務・予定〕は▽必然的にそうでなければならないという意を表す。 が妥当だということだということですね。 私の解釈ではその(5)は必然であるとあるので違います。学研全訳古語辞典(5)の竹取物語の例文のように、決まっていること、運命、(決定している)予定、というようなケースにその分類が適用されるはずです。(1)が発言者当人の意見、主張であるのに対し、(5)は誰か力のある何かから規定されている、もしくは運命のようなもので決定されている、という風に個人の主観が一切排除された〔当然・義務・予定〕のケースでしょう。 既に前に書きましたが、これは辞書にもよりましょうし、理解の仕方にもよって分類は変わるかと思います。 別の辞書の例文で個人の主張的意味、つまりいわゆる現代人がよくつかう「~べきだ」での〔当然・義務〕の分類例が存在しているのなら、その辞書的にはそれが妥当してくることになりましょう。その場合は賛成です。そういう辞書上の例文を知っていたら参考としてぜひ教えて欲しいです。 3について 私も個人的には〔意志〕のような気がしています。前後の節/文の接続の仕方が〔適当〕を表現しようとする書き方の流れとは違うような気がしますので。

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