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なからざるべからず~その2~

OKATの回答

  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.17

No.16の方に教えてもらって検索しました。   「あらざるべからず」・「あらざるべからざる」を正統派として6例ありました。 「文學に於ける虚構」 折口信夫 「将来の日本 」    徳富蘇峰 (3カ所) 「誰が罪」    清水紫琴 「従軍紀事」   正岡子規 「思想の聖殿」  北村透谷 「外科室」    泉鏡花  一方の「なからざるべからず」・「なからざるべからざる」を変則派として8件ありました。(さらに増えました。) 「文明教育論」  福沢諭吉 「愛と婚姻」   泉鏡花 「妖怪玄談」    井上円了 「一夕」 永井荷風 「矢立のちび筆」 永井荷風 顕治をその二階借りする部屋に訪れ、女を口説くにはフットボールの心がけ<なからざるべからず>。タックルせざるべからずなど例の高声にひとりうち語る。  「獄中への手紙 一九四〇年」 宮本百合子   自然律によって、一切の生は終り<なからざるべからず>ですからね。   「かもめ」 アントン・チェーホフ 神西清訳 (口語体) 沙翁劇を看んとせば英文学の予備知識<なからざるべからず>。    「江戸芸術論」  永井荷風  注 口語体と書いたのは、全文は口語体で書かれているなかで、慣用句のように使ったものです。  さて、この両派に属している「泉鏡花」の例外はあるのですが、ほとんどはどちらかに決めているようです。「あらざるべからず」に決めた人は正統派と言いましたように、「あり」の二重否定は「あり」の強調と考えて当然のことです。それに対して変則派の人は「あらざるべからず」では、みずからの意図は現せていないと感じたのでしょう。これが感覚的な問題であることは、皆さんご同意くださるものと思います。  「あらざるべからず」のどこに意図する所とズレを感じたのか。わたしは、それは「あらざる」にあると思います。みずからは「あり」を強調するつもりなのに「あらざる」と言い出すのは抵抗があり、その気持ちが「なからざる」に変えさせたと考えます。それは否定の否定というような理論上の意識ではなく、頭の中の記憶にある「なからざる」への気持ちの動き、または聞いたことがある「なからざるべからず」が先に立ってしまったのかも知れません。要するに、否定の否定というようにいちいち確認しながら書いたものでなく、それでよかろうと考えて書いたものに違いありません。  現代のように、文法に気を付ける人も少なく、発表されたものを批判する人も少なかったから、見逃されてきた語法でしょう。

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質問者

お礼

回答と更なる調査ありがとうございます。 否定呼応の問題は重要かどうか分からないですがまったく手をつけていません。 この「あらざるべからず」と「なからざるべからず」比較の問題も手をつけるのが遅れて返答が送れるかもしれませんのでご了承ください。

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