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書道における「かすれ」の美とはどういうものでしょう

独学で毎日字を書いていますが、墨が足りなくなって字画がかすれると美しいとはいえないと思います。高度の修練を積むと、かすれるのも美しくなるのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.1

自分はむしろ、かすれが無いと、筆である必要が無いと思います。活字じゃないんですから。 「書」は「文」である同時に「絵」だと思います。・・・いや、むしろ絵である意味の方が大きいのかもしれません。ただの「文」なら、わざわざ扱いにくい筆なんて使わなくてもいいし、飾って愛でるのもおかしいという話になる。そういう意味で、水墨画とほぼ意義は同じ。 黒と白の境が真っ直ぐクッキリしたところばかりだと、「絵」として単調じゃありませんか。にじみやかすれや濃淡があって、面白みや奥行きが出るのではないでしょうか。モンドリアンの絵のように境界がクッキリして幾何学的な表現もありますが、「書」はそういう趣ではないと、自分は思います。(勿論、あえてそういうのを狙った書というのもアリですが、その方が特殊。) 水墨画(もしくは書、書画)は「宇宙の力」を借りているのだ、と自分は常々感じます。人間が多くの部分を制御する油絵などとは異なり、人間の意図していない「筆や墨や紙の作用」に頼る部分が大きいからです。 にじみやかすれや濃淡は、その「宇宙(自然)」からの贈り物。その宇宙がくれた「美」をより強く感じられるのが、水墨画の醍醐味だと思います。 そういう意味では、日本における古くからの芸術の精神(「自然と共にある」)にとても沿っている手法と言えるのかもしれません。

kaitara1
質問者

お礼

なるほどそういうものなのですね。少し考えてみます。ご教示ありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.2

書道には書体や字体がさまざまありますので、 それぞれの基本が重要です。潤渇ですね。 書の個展とかもあると思いますし、巧い人の 作品をしっかり見てみる事が重要ではないかな? あと、書道漫画の「とめはね」も読んでみましょう。 上記の潤渇についても記載されていますよ。 あと、足りなくなってというのは、わざとそうして いるのか、ただ足りなくなってしまっただけなのか、 そのあたりの区別ぐらいは必要でしょうw

kaitara1
質問者

お礼

お勧めの本を読んでみます。ご教示ありがとうがとうございます。

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