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宅間守の捨て台詞

宅間守は 法廷で遺族に向かって “おい、くそガキの親! おまえらのガキの8人分の命は ワシ一人を殺して終わりの程度の価値やったんやぞ! エエ学校に行かせて偉そうにしとったから死んだんや! ガキどもが死んだ原因はおまえらあるんや! せいぜい一生反省せいよ! あの世でもおまえらの子供しばき倒したるからな! あははははは!あははは!こらおもろい!” と捨て台詞を吐き、遺族たちの感情を逆撫でしました。 そして、宅間は異例の早さで死刑が執行されました。 まあ、宅間を生かしておくのは言語道断だとして、でも、死刑が執行されたことで 遺族たちは 宅間に対する憎しみも緩和され、少しは気が晴れたかもしれませんが、宅間の思い通りになって 却って 虚しさや 屈辱感や 敗北感を感じただろうと思います。 しかし、こういうのって、どう解釈したらいいんでしょうか? 宅間と遺族の思惑が一致してドローなのか、8人の児童が生贄になって 宅間という悪魔を倒したと考えるべきか....

みんなの回答

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.10

No.9gouzigです。 「池田小の遺族の中には 宅間の思う壺になって悔しいと漏らした人もいたようです」1人そのようなことを漏らした被害者遺族がいたのは知っていますが、ほとんどの遺族は違います。 Erdbeerkegelsさんは1を10に拡大していうのですが、逆に説得力が低下してしまいますね。 恣意的というのは人から疎んじられます。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

何度もありがとうございます。 >「池田小の遺族の中には 宅間の思う壺になって悔しいと漏らした人もいたようです」1人そのようなことを漏らした被害者遺族がいたのは知っていますが、ほとんどの遺族は違います。 いや、他も遺族も少なからず そういう気持ちはあったと思いますよ。でも、たとえ、宅間の思う壺になっても 宅間に死んでもらいたいと思ったはずです。私も 死刑という制度がある以上、過去の判例も鑑みたら 例外を作るほうが問題があると思います。 ただ、顰蹙を覚悟で書かせてもらえば、日本人の死刑賛成の理由に遺族感情を挙げる人が多いですが、あれだけ宅間が潔いと、遺族が醜く見えてしまいました。 >Erdbeerkegelsさんは1を10に拡大していうのですが、逆に説得力が低下してしまいますね。 たしかに。しかし、これは gouzigさんも含めこのサイトの質問者、回答者全般に言えることじゃないですか? それに、どうして 噛みついた回答をされるのでしょうか? ここは議論のフォーラムじゃないので、連投はなるべくご遠慮願います。

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.9

No.8gouzigです。 「死刑判決に勝者はなく、犯罪が起こった時点で、皆、敗者です。自分の人生を絶たれてしまうような被害者がいなくなることを切に願います」とのことですが。 再度読み返しました。 やはり、どこにも木村さんが敗北感を味わったなどと書かれていませんね。 Erdbeerkegelsさんは「拡大解釈でしたかね?」と書いていますが、木村さんを利用するのではなく、Erdbeerkegelsさんご自身がそう考えいるということあればいいと思います。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

何度もありがとうございます。 話は戻りますが、池田小の遺族の中には 宅間の思う壺になって悔しいと漏らした人もいたようです。

Erdbeerkegels
質問者

補足

ところで、gouzigさんは死刑についてはどう考えていらっしゃるんでしょう?

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.8

No.6gouzigです。 何度も読み返しました。 どこにも、木村さんが敗北感を味わったなどと書かれていませんね。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >どこにも、木村さんが敗北感を味わったなどと書かれていませんね。 「死刑判決に勝者はなく、犯罪が起こった時点で、皆、敗者です。自分の人生を絶たれてしまうような被害者がいなくなることを切に願います」 の部分です。加害者が最初 死刑にならなくて、木村さんの執念で死刑になったようなものですが、それでも「敗者」だと表現していました。拡大解釈でしたかね?

  • nukaduke
  • ベストアンサー率36% (7/19)
回答No.7

どう解釈したらよいか?というご質問対して、明確な回答はできませんが敢えて言うなら、「人の道を踏み外した外道が向かう先は地獄以外あり得ない、何の罪もなかった子どもたちはきっと天国に行ったから宅間の思い通りにはならない」と解釈してみるのはどうでしょうか。 もしかしたら宅間は逆に死ぬのが怖くて、あのように去勢を張っていたのかもしれません。一度そう考えてしまえば、「死刑」は間違いなく宅間にとっての「罰」になったでしょう。まあ、被害者家族の感情は計り知れないものですから、こういうのはただの言葉遊びかもしれませんが・・・

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >何の罪もなかった子どもたちはきっと天国に行ったから宅間の思い通りにはならない」と解釈してみるのはどうでしょうか。 どうでしょかね。仏教でもキリスト教でも 宅間の死刑執行を望むことが亡くなった児童たちへの弔いになったでしょうかね。 >一度そう考えてしまえば、「死刑」は間違いなく宅間にとっての「罰」になったでしょう。 これもどうでしょうかね。宅間は死にたいと思っても死への恐怖も少しあり、背中を押してほしかったんでしょう。私はどちらかと言うと、自分が申し込んだ面接やオーディションで自分の番が来て 逃げ出したくなったような感覚に近いのではないかと思います。仮に 罰になったとしても 自分が犯した罪に対し 万分の1にも満たないし、到底 後悔はしてなかっただろう。

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.6

No.5gouzigです。 Erdbeerkegelsさん、光市母子殺害事件の木村さんも敗北感など味わっていませんよ。 作り話はよくないと思います。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

こちらを参考ください。 http://blogos.com/article/32350/

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.5

Erdbeerkegelsさん、ご遺族が「宅間の思い通りになって 却って 虚しさや 屈辱感や 敗北感を感じただろうと思います」ということはないと思いますよ。 怒りはしたでしょうが敗北感はないでしょう。 ほとんどのご遺族は執行で無念が晴れたことでしょう。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >怒りはしたでしょうが敗北感はないでしょう。 どうでしょうかね。光市母子殺害事件の木村さんでさえ、加害者が死刑判決になっても敗北感を味わったそうですからね。 ただ、亡くなった児童たちがあの世で宅間と合流しないか心配ですね。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10479/32963)
回答No.4

勝ち負けって考え方をさせた時点で、そういう意味では宅間の思う壺なんじゃないでしょうかね。何も悪いことをしていないのに子供を殺された方からすれば、最初から自分たちの勝ちがない勝ち負けの考え方なんで、何の意味もないですよ。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >勝ち負けって考え方をさせた時点 でも遺族たちが勝ち負けを考えさせないことって不可能だったのではないでしょうかね。というか、 世論に反して遺族たちが 罪を憎んで人を憎まずで 宅間の死刑中止を嘆願し、自分たちも反省し、なぜ 宅間のような人間が出来てしまったのか、再発防止に向けて精進し、宅間の謝罪を根気強く待ち続けるなんて、よほど殊勝な神様みたいな人間でもない限り絶対に無理でしょう。

回答No.3

>どう解釈したらいいんでしょうか? あえて勝ち負けで言うなら、 どう解釈しようが大切な子供の命を 奪われたんですから負けです。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • burakku
  • ベストアンサー率27% (20/72)
回答No.2

反省しようが、何しようが死刑は免れないと思えば人間の本性が出ます。 1人や二人の殺人事件などではもしかして死刑回避またバカ裁判官に当たればもしかして有期刑かもと 思われるような場合は反省します。 死刑になるかもしれない人が反省しようがどうでもよいことなんですけど、 日本の裁判は事後の反省を重視しています。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 宅間の場合は 死刑を覚悟というか死刑になりたくてあんな大それたことをしたので、最初から本性を丸出しでしょう。

  • yama891
  • ベストアンサー率13% (191/1368)
回答No.1

*** 社会に、害悪・不条理・自己中心・悪魔意識・・・・ ***

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