宅間守と加藤智大の死刑志向と犯罪心理について

このQ&Aのポイント
  • 宅間守と加藤智大の死刑志向について、なぜ彼らは連続殺人を犯したのか疑問に感じます。
  • なぜ彼らは自殺せず、死刑執行の手続きを経るのでしょうか?また、なぜ無期懲役を選ばずにこの危険な犯罪に手を染めたのかも不可解です。
  • 犯罪者の自白がすべて真実であるならば、多くの犯罪者が釈放されることになります。また、死刑反対派の感覚から見れば、彼らの犠牲が廃止運動に貢献する偉業とも受け取れるでしょう。しかし、私は彼らの行動について性善説と性悪説を混ぜる考え方を持っています。あなたはどのように彼らを犯罪心理学的に分析しますか?
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宅間守と加藤智大

この二人は 死刑になりたくて、連続殺人を犯したというが、 死にたい人間が犯罪など犯すわけがないだろうと思います。 とっとと自殺すればイイだけじゃないか、なんで回りくどく死刑執行の手続きを経なきゃならないんだろう? 下手すれば無期懲役になって死ねなくなるかも知れないのに、なんでそんな危ない橋をったんだろうか。 だいたい犯罪者の自白が全部ホントなら大半の犯罪者は釈放しなければならなくなくなると思うんです。 あの麻原彰晃(松本智津夫)だって「自分が命じたのはポア(救済)であって殺人ではない」とか言っています。 私に言わせればあんなゲスな輩など一人で勝手に死んで欲しかったですね。 だが、死刑反対派の人の 感覚では宅間守の23名死傷、加藤智大の17名死傷が素晴らしい偉業に見えるかもしれませんが。 これだけの犠牲者も、ニュースになって死刑の廃止に役立つのなら偉大なる功績と言うのなら、呆れ果てた感覚ですよね。 そこで質問ですが、私の考え方が 性善説と性悪説を混ぜたようで お目出度いでしょうか? みなさんは、この二人について 犯罪心理学的にどう分析しますか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • benesuto
  • ベストアンサー率28% (12/42)
回答No.1

まず、加藤智大死刑囚の動機は自殺願望ではなくて、掲示板で自分に扮する人から嘲笑され、他の利用者も彼を偽物扱いしだしたので、自分が本物であると証明するために凶行を行ったと裁判で語っています。また、故宅間守さんは、自分はこのまま将来性のない人生を終えようとしているのに、裕福で将来性のある子供が憎いので殺した、と語っています。 また、国賊である松本がしていた宗教において、修行して死ぬと極楽へ行く、生きるというのは地獄の苦しみであると教えていました。松本の大まかな考え方は大半の人が持っている考え(死ねば極楽へ行く)で、ありふれた考えです。ただ、殺人は悪いことだが松本自身が命令した殺人で、亡くなった人は修行をせずとも極楽へ行くという独自の教義は、理解されにくいです。 加藤智大死刑囚は、死刑執行の停止を求めて申請を行っているので、「死刑になりたい」発言は気の迷いだと思います。故宅間さんは、人生に絶望して凶行を行いましたが、その根底には自殺者の「救われたい」ではなく、「幸福な奴らを許せない」という嫉妬や憎悪があるのだと思います。実際、「死刑になりたい」という理由で殺人を行う人の多くは、幸福そうな奴らが許せない、という嫉妬があるのでしょう。なので、自殺者の救われたい、幸福になりたい、という感覚と別個で考えるべきでしょう。 余談になりますが、もしも犯罪者の自白を信じたら、大半の人が冤罪で収監されることになります。日本の司法は自白至上主義で、そのために拷問を行うのは、国際的にも有名です。人権委員会からも、何度も辞めるように勧告を受けています。

luna_mond
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なかなか深い分析ですね。

その他の回答 (1)

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.2

"死にたい人間が犯罪など犯すわけがないだろうと思います"  ↑ ん、なことはないでしょう。 死にたいけど、自分でやるのは怖い。 どうしても勇気が出ない。 だから、大きな犯罪を侵して、国家に 無理やり殺してもらおう、てことはありえる んじゃないですか。 ”だいたい犯罪者の自白が全部ホントなら大半の犯罪者は  釈放しなければならなくなくなると思うんです。”     ↑ これは自白の意味を誤解しています。 自白というのは、主要な犯罪構成事実の全部、または一部を 認める旨の供述をいいます。 俺は何もしていない、無罪だ、というのは自白では ありません。 だから、自白がほんとなら大半の犯罪者は有罪に なる理屈です なお、犯罪者の多くは自分に有利なことしかしゃべりませんし そのためには嘘も平気でいいます。 反面、不利な自白は信用性も高いわけです。 そのため「自白は証拠の王」と言われました。 ”麻原彰晃(松本智津夫)だって「自分が命じたのはポア (救済)であって殺人ではない」とか言っています。”     ↑ 殺人というのは自然の死期に先立って、人を殺すことを いいます。 だから、その名称がポアだろうがアホだろうが法的には 殺人と評価されます。 したがって、これは自白とは何の関係もありません。 ”死刑反対派の人の 感覚では宅間守の23名死傷、加藤智大の 17名死傷が素晴らしい偉業に見えるかもしれませんが。”     ↑ そうですね。 彼らは、こんな犯罪が発生したのは、宅間や加藤が悪い のではなく、社会、国家、自民党が悪いからだ、という ことになるのでしょう。 ”これだけの犠牲者も、ニュースになって死刑の廃止に役立つのなら  偉大なる功績と言うのなら、呆れ果てた感覚ですよね。”      ↑ 死刑廃止派が一番望んでいるのは、死刑になった後で 冤罪が発覚することです。 情緒的な日本人です。 こういう事件が発生すれば、世論はあっという間に死刑廃止に 傾くでしょう。

luna_mond
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >だから、その名称がポアだろうがアホだろうが法的には 殺人と評価されます。 しかし、ポアと死刑と動物の殺処分の違いってなんでしょうかね? でも、hekiyuさんは筋金入の死刑賛成派ですが、死刑反対派の人の考えとも多く通じる部分がありますが、hekiyuさん自身、死刑の不条理さを認識している部分もあるのではないでしょうか?

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