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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:この比喩は巧みでしょうか?)

比喩のたくみさに驚嘆!エッセイを書くたしなみの秘訣とは?

hakobuluの回答

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.7

比喩が巧みかどうか、というよりは、的外れの比喩だ、ということでしょう。 木村氏は「気分を一新するために、しばらく休みたい」と思った。 それに対して、大先輩は「自動車だって、止まっていたら方向転換はできないでしょう。動いているから向きが変えられるんですよ」と言った。 これは、「休んだら方向転換はできないよ」と言ったことになりますから、明らかに論点がずれています。 木村氏は別に、「方向転換するために休みたい」と思ったわけではないのですから。 少なくとも、そう思ったとは書かれていませんから、本文の内容だけであれば、読者が違和感を覚えるのは極めて自然な感覚です。 ただ、次のような文(下記【】内の部分)を追加すれば論点のずれが修整されますから、自然な流れになるでしょう。 全体のニュアンスを把握するために全文を記します。 --------------------------------------------------- >十年も前であったろうか、書くものがマンネリ化したような気がして、書き続けるのに嫌気がさした時期があった。気分を一新するために、生意気にも休筆宣言をしてみようと思い立った。原稿の依頼を受けたら、「ただいま休筆中で」などとかっこよく断るつもりだったらしい。 >ところがある大先輩が「それはまったく無意味だね」と反対してくださった。 >「自動車だって、止まっていたら方向転換はできないでしょう。動いているから向きが変えられるんですよ」 【たしかに、わたしは、しばらく休筆することで方向転換が可能になるだろうから、それから改めて書き始めれば良い、と考えていたのだ。気分一新と言えば聞こえは良いが、要するにわたしは逃げようとしていただけであった。大先輩は、そこを見抜いた上で、上のようなアドバイスをしてくださった。漫然と休むだけでは方向転換などできるはずがないのだ。わたしは、そこに気づかされたわけだ。大先輩の言葉はありがたくわたしの胸に響いた。】 >比喩のたくみさにまず驚嘆した。なんと説得力があるのだろう。ほんとうにそうだと思い、休筆するのはやめたのだった。 (以上) ----------------------------------------------------- 比喩が巧みか否か、あるいは説得力があるか、と問われれば、そのときの木村氏がそう感じたのであれば、第三者がとやかく言っても始まらないと思う、と答えます。 まあ、しかし、非常に大げさであることは確かですね。 とはいえ、この文は、「大先輩」の目にも留まることを前提にして書かれたわけですから、それはある程度やむを得ないでしょう。 ただ、個人的には、あまり好感が持てる表現とは言えないようです。  

muimusaku
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

muimusaku
質問者

補足

>本文の内容だけであれば、読者が違和感を覚えるのは極めて自然な感覚です。 著者のその文章の記述で何ら疑問を抱かない読者もいるでしょうが、私は、「あれっ?」と疑問を抱いてしまいました。ですので、そういう読者もいるということを念頭において、著者にはもうちょっと配慮のある表現をしてもらいたいと思います。 >気分一新と言えば聞こえは良いが、要するにわたしは逃げようとしていただけであった。大先輩は、そこを見抜いた上で、上のようなアドバイスをしてくださった。漫然と休むだけでは方向転換などできるはずがないのだ。わたしは、そこに気づかされたわけだ。 実にわかりやすく書き直されています。さすがです。 >そのときの木村氏がそう感じたのであれば、第三者がとやかく言っても始まらない 同感です。

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