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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:この比喩は巧みでしょうか?)

比喩のたくみさに驚嘆!エッセイを書くたしなみの秘訣とは?

kamobedanjohの回答

回答No.3

誰にでも当て嵌まる比喩とは言えないでしょう。 筆者の性格など良く知り抜いた大先輩だからこそ、筆者に最適な比喩を用いることが出来たわけです。相当な親交がなければ、筆者の迷いに最適な助言など出来ませんから。 筆者と大先輩の間で、心の波長が上手くマッチングした程度かと思います。 余計なことかも知れませんが、NO.1 さんへのあなたの補足には、事象の捉え方に行き違いがあります。 NO.1 さんは、自動車の原理として、停車中の車はハンドルが切りにくいことを指して居られますが、 あなたは、筆者が運転作業を止めてしまうことと理解されています。 引用文の解釈からすれば、運転を止めてしまう意味では無く、止まっている車の方向転換作業が困難とする、NO.1 さんのご理解が正しいと感じますが・・・

muimusaku
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 以下、補足です。 木村氏のその大先輩は、木村氏の休筆宣言を方向転換としてとらえて、それを自動車の方向転換の例を用いて休筆宣言が意味がないことを説明しています。確かに、止まっている自動車のハンドルを切って方向転換をすることはできません。 しかし、休筆する場合には一切の執筆依頼に応じなければいいだけであって、時間の流れに沿って生きていくことには何の変わりもありません。自動車の方向転換と休筆宣言することとを同一視することにはあまりにも無理があります。 自動車を例に用いるのなら、休筆宣言することに対して自動車の運転をやめるということを対比すべきです。自動車の運転をやめるという場合なら、最後の運転の後に一切運転しなければいいだけです。その際、自動車の向きを変える必要はまったくありません。 その先輩の言うことに理解を示す限り、休筆宣言することは永遠にできないことになります。「なんと説得力があるのだろう」という木村氏の感覚が私は理解できません。

muimusaku
質問者

補足

>筆者と大先輩の間で、心の波長が上手くマッチングした程度かと思います。 「なるほど」と思います。著者が納得したと言っていることに対して私は異論を唱えようとは思わないのですが、著者がそのことを本で書いていることに対しては、読者として違和感を覚えずにはおれません。 著者は次のように書いています。この「だったらしい」も私はおかしいと思います。自分のことなのにそういう言い方はないのではないでしょうか。 >原稿の依頼を受けたら、「ただいま休筆中で」などとかっこよく断るつもりだったらしい。

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