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比喩のたくみさに驚嘆!エッセイを書くたしなみの秘訣とは?
- 著者は「エッセイを書くたしなみ」(木村治美・著)で比喩のたくみさに驚嘆していますが、私はその比喩の適切さや説得力に疑問を感じます。
- 「エッセイを書くたしなみ」(木村治美・著)によれば、休筆宣言をしたいと思った著者に対し、大先輩が自動車の例えを用いて否定的な意見を述べました。
- この比喩には説得力があり、著者は休筆をやめることになりました。しかし、私はその比喩が適切でなく、説得力も感じませんでした。皆さんはどう思われますか?
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お礼
回答ありがとうございました。
補足
>賢明ですね。私も、それは説得力があるとは思えませんでした。 著者にとっては、大先輩の忠告は実に参考になったのではないでしょうか。しかし、「比喩のたくみさにまず驚嘆した。なんと説得力があるのだろう」と、著者が確かに思ったとしても、その記述だけでは、そこに違和感を抱く読者がいても何らおかしくありません。むしろ、そういう読者がいて当然です。 >私たちは、こうした執筆者を含めて、本当の文章を書く訓練をしていないからかもしれません。売れたら、それがよいのだということになってしまっています。今どきは、ジャーナリストの文さえ、何を書いているのかと思うほど、いい加減なものもあります。 文章読本の著者の中にも、その書いている文章には意味不明なものがあります。まさにこれは、私たちがまともな「書く」ことの教育(訓練)を受けていないことを証明しています。 ある作家などは、私の指摘に対して「文章がヘタですみません。こんなわけがわからんことを書いていてはいけませんね」と回答しました。その作家は、私の指摘を素直に受け入れたのですが、まったくそのミスを認めようとしない作家もいます。情けない限りです。