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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:この比喩は巧みでしょうか?)

比喩のたくみさに驚嘆!エッセイを書くたしなみの秘訣とは?

Tann3の回答

  • Tann3
  • ベストアンサー率51% (708/1381)
回答No.2

 「マンネリを脱するために方向を変えたいと思うなら、動き続けていることが大事だ」という意味では、うまいたとえだと思います。  「動き続ける」=「仕事の注文を受けながら」「収入を得ながら」「読者からの評価を得ながら」「出版社から忘れられない状態を維持しながら」など、いろいろな意味を重ねているとも思いますし。  もっとも、純粋に文章的、修辞的にというよりは、この筆者の「心の迷い」「探し求めていた出口」にうまく共鳴・共感した、という意味も大きいとは思います。よい文章・表現というものには、そういう側面もあると思います。

muimusaku
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 以下、補足です。 木村氏のその大先輩は、木村氏の休筆宣言を方向転換としてとらえて、それを自動車の方向転換の例を用いて説得しています。確かに、止まっている自動車のハンドルを切って方向転換をすることはできません。 しかし、休筆する場合には一切の執筆依頼に応じなければいいだけであって、時間の流れに沿って生きていくことには何の変わりもありません。自動車の方向転換と休筆宣言することとを同一視することにはあまりにも無理があります。 自動車を例に用いるのなら、休筆宣言することに対して自動車の運転をやめるということを対比すべきです。自動車の運転をやめるという場合なら、最後の運転の後に一切運転しなければいいだけです。その際、自動車の向きを変える必要はまったくありません。 その先輩の言うことに理解を示す限り、休筆宣言することは永遠にできないことになります。「なんと説得力があるのだろう」という木村氏の感覚が私は理解できません。

muimusaku
質問者

補足

自動車を例に用いるのなら、休筆宣言することに対して自動車の運転をやめるということを対比すべきではないでしょうか。 自動車の運転をやめるという場合なら、最後の運転の後に一切運転しなければいいだけです。その際、自動車の向きを変える必要はまったくありません。

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