• 締切済み

出世の基準

「え~!こんなバカでも出世するのか?!」ってこと、よくありますよね。 NHKの現会長なんか、立場上、言っていいこと悪いことの区別がつかない・言動に品が無い・・・ という社会人として最低限のマナーをクリアしていないのに「なんで、あそこまで??」と思いました。身近でも、市民会議に出たりすると、現役時代の地位を自慢する・ひとの話を聞かない・批判ばかりする・説得力がない・・・けっこう多いです。 小説では、運とか、実力ではなく派閥を泳ぎきる能力とか、ヨイショ力とか書かれていますが、ほんとはどうなんでしょう? もちろん実力も人格も優れている方もいらっしゃるとは思いますが、社会人の皆様の周りではいかがですか?

みんなの回答

  • hallo-2007
  • ベストアンサー率41% (888/2115)
回答No.9

NO5です。 >私は還暦過ぎのただのオバちゃんでございまして社会経験があまりございません。 >私が書いた「出世」とは、ごく単純に会社での上位の役職ぐらいの意味です。 これは失礼しました。私なりに思うところをお話しします。 私の住む自治会では、もうすぐ80歳になるおじいさんがもう十年ほど 務めておられます。 前職での職歴などは聞いたことはありません。大変腰の低い方です。 労働組合での役職があったと聞いていますが、話の筋が通っており 私の経験した労働組合の議事進行と同じで親しくさせていただいています。 先般の運動会で優勝した時は涙を流して喜んでくだいました。 自治会長位(失礼かもしれませんが)でれば、NHK会長とは全く違って 頭の良し悪しより人づきあいと一緒になって感動をしてくれるような人が 良いと思います。 かえって役職があったりした方の方が一般の住民とは考え方が かけ離れていたりしてしっくりいかないのではないでしょうか。 全ての方とは限りませんが、前職で役職があったり先生と呼ばれたりすると その当時の環境で自治体の生活に持ち込まれての理解者が出来なくなるのは 当然だと思います。住民の方がすべて会社勤めの方であれば理解されても 質問者の様に会社経験の少ない方には当然理解できません。 私なりに言わせてももらうと、役職の経験がある方の意見が正しいと思い込む 一般の住民の方も多いのではないでしょうか。 私は、こういった方がおバカだと思います。 ご自身が不思議と思われるところがあれば、きちんと説明を聞くことで ご自身の成長にもなります。 あの人は偉かったから正しいと信じ込む必要はありませんし そういった発想しかできない人の方がさびしいと思います。

  • yama891
  • ベストアンサー率13% (191/1368)
回答No.8

やはり・識見・良識・品性・社会常識弁えた方しか、お逢いした事がないので。 時には、逸脱_発言・非常識な場合も、あるでしょう。 人間社会の魑魅魍魎(ちみもうりょう)ですか。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.7

出世するためには、出世するための能力が必要です。 それは、 ・長い物には巻かれること ・上司に気に入られること ・ミスをしないこと(←超重要) ・敵を作らないこと ・誰にゴマをすれば出世できるか見極めること(←超重要) ・出過ぎたマネは決してしないこと NHKの現会長は、彼をその立場に就かせた人がそういう思想の持ち主だったわけですから、彼はその人に対してカメラを通じてゴマをすったのです。実に立派なサラリーマンの鑑ですね。彼は国民や一般市民に向かって発言したのではないのです。彼をその位置に就かせた人に対して発言したのです。彼をあの椅子に就かせた人が「従軍慰安婦なんてあるわけねえだろ」と思っているので、彼の発言は「就かせた人の意にかなう発言」だったのです。 今後どうなるかは、彼のボスが決めるのです。もし世論の反発が激しくて「どうもああいう人にああいう発言をさせるのは時期尚早だった」ならばその首をすげ替えればいいだけの話しです。要するに使い捨てられるだけなのですが、ま、いかにも使い捨て要員みたいな雰囲気の御仁ですよね。使う側も「あの程度なら、いくらでも代わりはいる」と思ってるのですよ。 自分が使う側になるとよーく分かるのですが、頭が良い人というのははっきりいって上司にとってあまり面白くありません。一番危険なのは、その頭が良い部下に人望が集まることです。自分の立場をひっくり返しかねませんからね。半沢直樹みたいな「切れるけど、いつ自分に刃向うか分からない部下」なんてのは安心できないのです。 上司にとってもっとも優秀な部下とは、「俺のいうことは必ず聞くが、差し出がましいマネは一切せずに、必ずホウレンソウをする言いなりなやつ」です。 私はこのことに気づいてから、表だって上司に逆らうことはせず(長い物には巻かれる)、細かいことも「一応お耳に入れておいた方がいいと思いまして」と報告するようにしました。いちいち「どうすればよろしいでしょうか」と聞くと「いちいち聞くな」と怒られるので、「このようにしたいと思いますが、よろしいでしょうか」とやると非常に覚えがめでたいです。「こうしておきました」と事後報告するとだいたい「勝手に決めるな」と怒られるのです。ボタンを押す役目は上司に残し、その準備をしておくのがデキる部下の役目です・笑。 人たらしの天才、豊臣秀吉なんぞはあの本能寺の変の直前は毛利軍と戦っていて、もう勝利は確実だったのですが、あえて「勝てそうなのですが、信長さまが御足労頂くと大変心強いです。どうかお指図頂けませんでしょうか」なんてやりました。すると信長は「はぁっはぁっは。そうか、俺がいないとダメだなお前ら」と言いながら上機嫌で秀吉の元に向かったのです。もし本能寺の変がなくて信長がそのままやってきたら、それから少したったら毛利軍は敗北したことでしょう。そうなったら秀吉はすかさず「いやあ信長さまに来ていただいたおかげで勝利できました!」とやるわけです。いやあこれこそサラリーマンの鑑です。

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.6

そうですね~、人格が高い優秀な人が出世するというのは実態をよく知らない人の考えですね。 例えば、上場会社の役員には最高峰の大学を出た人が多いです。しかし、社会人として最低限のマナーをクリアしているかというと違います。それどころか優しさ、人間性、マナーなどない人もよくいます。 何故そんな人がと思うでしょうが、上場企業では最高峰の大学を出た人がたくさんいるのです。皆さん仕事は優秀です。しかし優秀な人が出世するなら全員が役員になってしまいます。それでは役員が何百人にもなってしまいます。そうはいきませんね。そうすると、係長、課長代理、課長、次長、部長というように上がるにしたがって人数を切り捨てていくのです。そして役員には年に1人くらいしかなれません。 では、どういう人が生き残っていくのか、それは最終的には上司へのゴマすりです。 ゴマすりといっても生半可ではないのです。金曜日の業後は上司の酒席に行き、最後までゴマをすり、上席者を自宅まで送り届ける。また翌日のゴルフは早朝から車で上席者自宅まで迎えに行き、ゴルフ中も「ナイスショット」の掛け声を連発し、帰りも自宅まで送り届けるのです。 このような生活を10年、20年と続けなければ役員までは昇れないのです。 では何故そのような人間を上席者が評価するのかですが、このようなゴマすり人間は上席者が嫌がる仕事もやるからです。部長や役員にもなると一般社員に嫌われる厳しい方策もやらなければいけません。こういうときにゴマすり人間はその嫌われ役を買って出るのです。 大きな会社になると、内情はそのようなことがたくさんあるのです。 でも、優秀な一般社員が多くいますので、役員に変な人がいても会社は傾かないのです。 もちろん、役員全員が変な人というわけではありません。あくまで、変な人もけっこういるということです。

  • hallo-2007
  • ベストアンサー率41% (888/2115)
回答No.5

質問者は、まだお若い方でしょうかね。 出世=実力がある・頭が良い とういう図式ではありません。 出世して、実績を上げたら、あの人はすごい人だったといわれる事例もあります。 一例ですが、 東国原宮崎知事は如何でしょうか。 お笑いタレント出身で、出版社を襲撃するなど犯罪歴もある 一般常識では、おバカな方ですが 知事就任後は、作業服で出勤、宮崎弁で話すなど、過去の知事のイメージとは 全く違ったキャラクターで宮崎県を引っ張り続けました。 しかし、同じ方なのに 維新の会の比例区で一位当選し広報委員長に就任すれども、何も実績を出せず 議員辞職しました。 同じ人間なのに組織と立場が違うだけでこれだけ結果が違います。 大阪市の橋下氏の場合はどうでしょう。こちらは頭が良い人だと思われますが いまだに結果を出すことが出来ていません。 それだけ組織を変えるとか改革を行うことは難しいことなのです。 猪瀬都知事の例を見てみましょう。石原都知事の時代に副都知事を務め 出世街道通りに都知事になりましたが、徳洲会グループの毒牙にはまりました。 副知事時代にも、副都知事室トイレに450万円も使った人ですから元々人格にも問題が あったとは思います。 埼玉の上田県知事が秩父市の豪雪問題で自衛隊派遣依頼を受け入れずに、県主催の クイズ大会に出席している問題もこれから話題になると思います。 上田知事の心境を察するには、何十年に一度の豪雪が自分の知事時代に起きた事を 不幸だと思っているでしょうね。 私が見たある事例ですが、200人ぐらいを束ねるある職場の責任者が代わりました。 最初は副の責任者は同じ宿場の方が引き継ぎましたが、徐々にいなくなり 明らかに能力が劣る人を上級職に置くようになりました。 その責任者から昇格させてもらった幹部達ですので誰も文句は言いません。 その職場はその責任者が牛耳り強い指導力の元、大きな部署に成長します。 しかしその責任者が定年退職時ですが後任が決まりません。 部下が成長していないのです。他部署から人事を行いましたが、 いくつもグレーが見つかり何度も人事異動が繰り返された事があります。 部署をまとめるのに、対等な人物を排除し能力の劣る人材を評価することで 団結心が出来ますが、安直な独裁が後々に遺恨を残します。 逆に部下を成長させることに力を入れて実績を出せなかった上司もいると思います。 近年の企業の事例で上げるとJALで勉強してみてください。 2年程前ですが、JALの再建ということで民間から稲盛氏が就任しました。 彼が行ったことは組織改革と社員の意識改革です。 もちろん考え方が合わない幹部は会社を辞めたと思います。 たぶんにハンコを押すだけの幹部はこの変革にはついていけなかったでしょう。 小手先の経営戦術でJALを立て直すのではなく、民間の考え方をJALに植え付けたのですから 稲盛氏が退職後もJALのは強いものが残るでしょう。 そのような見方をしていますので NHKの現会長や百田氏の発言も言葉遣いは反省点があるものの その内容は悪いとは思いません。 逆に、今までのNHKの上級管理者が借りてきた猫のように言われたまたハンコを 押してきた役員の方が人間性を欠くと思います。 NHKの放送内容ももっと柔軟性をもって多くの人の意見を放送すればよいと思います。 国営放送なのでそれが出来ないのであれば、NHK受信料をなくすなり安くするなり 改革が出来ないのか思います。 過去に国鉄(現JR)や電電公社(現NTT)は改革の荒波の中にはいりました。 未だにNHKには、その意識がないことが不思議です。 質問者の方もこれから長い人生があると思いますが、目先の関係でなく 素晴らしい人徳と考え方を持つ人の下で、厳しくとも自分を成長させてくれる方と おつきあいしてください。 そういう方が必ず出世しているとは限りません。

ekopon
質問者

お礼

丁重なご回答ありがとうございます。 私は還暦過ぎのただのオバちゃんでございまして社会経験があまりございません。 私が書いた「出世」とは、ごく単純に会社での上位の役職ぐらいの意味です。 ボランティアで市民会議のメンバーなのですが、質問に書きましたように さぞ上位まで行かれたらしい方の言動が???なことが多いのです。 過去を自慢したくてこの場に出てきたのかしら・家に居場所がないのかしら…と。 他の自治体でも同様らしく担当の職員はいろいろ苦労されています。 また、NHK会長の発言については内容のことを言っているのではなく、 「立場を弁えない」ことに疑問を持ちます。 受信料支払い拒否が増えたり、苦情への対応に忙殺されて本来の仕事ができず、職員は「もう辞めてほしい!」と言っているそうです。NHKに勤める知り合いから聞きました。 (個人的は、NHK-BSの自然番組が大好きなのでむしろ受信料は安いくらいだと思っています) 昔は前田会長という方が時々会見をされていましたが、外見も物腰も話し方も内容も品格があって 子供心に「こういう人を紳士というんだな」と思ったものです。 実力と品格のある方が社会で重んじられて欲しいものだなあ~という思いから、 実際はどうなのか?と、質問させていただいた次第です。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.4

出世する能力と仕事が出来る能力、それから 人格者かどうか、などは別物です。 仕事が出来ない人が出世するのは希ですが 仕事が出来るから出世するとは限りません。 仕事が出来る人が出世する企業は業績を 挙げられる企業です。 私の経験ですが、人格者はあまり出世出来ない と思います。 人に嫌われるような人も、出世は難しいです。 それから、清濁併せのむような人は偉くなります。 一般に言われている出世の条件に、運、鈍、根 というものがあります。 運は説明不要でしょう。 鈍というのは、鈍いような人の方が偉い人に可愛がられて 出世する、ということです。 根は根性です。 ”小説では、運とか、実力ではなく派閥を泳ぎきる能力とか、  ヨイショ力とか書かれていますが、ほんとはどうなんでしょう?”       ↑ 大きな会社では派閥は重要です。 良い派閥に入らないと、いくら出世の能力があっても だめです。 ヨイショはどうですかね。 ワンマン社長の中にはそういう人を偉くさせる人も いるかも知れませんが、そういう人はバカにされますよ。 軽蔑されるような人は出世しません。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3287)
回答No.3

出世の基準ですか。簡単です。 中間管理職までだったら、まじめに働いてそこそこ能力があり、かつ人間関係が円満だったら、たいてい大丈夫です。 それ以上(社長とか取締役、あるいは起業して成功するなど)になると、はっきりいって「運」です。 人格なんかあまり関係なく、運がよいか悪いかそれだけです。 仕事の能力はあるに越したことはありませんが、そこそこレベルでも運さえあれば何とかなります。 まあ、運の良し悪しは生まれた瞬間で半分決まってしまいますが、後天的な努力で取り返すことも不可能ではありません。 質問者さんも、これから出世を望むのであれば、とにかく「運」がよくなるような行動をしましょう。 それでは、頑張ってください。

回答No.2

真実とか真理を追究できる人が居たとして、そういう人が既成の組織内で出世すると思いますか。そういう人の出世など有り得ず、白を黒と言う上司に逆らわない人が可愛がられて、結局、出世します。真理とか真実とは関係ない生き方をしている人だけが、昔から、出世をして、知名人ということにもなります。本当の求道者は、常に、一般大衆にも厳しいので、大衆には受け入れられず、不遇のまま世を去ります。

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.1

「NHK会長は、素晴らしい方だと思います。いままで正論を言ったために処分を受けた方もいるなかで勇気ある言動だと思います。百田尚樹氏もすばらしいですね。」 と私は思います。 まあ、こんな感じで、価値観、歴史観の相違により、評価はイロイロな意見となるでしょう。 でも >>現役時代の地位を自慢する・ひとの話を聞かない・批判ばかりする・説得力がない・・・けっこう多いです。 こういう方に対する評価については、多くの方は一致しそうですね。 とはいえ、一般的に、日本では、「声が大きいものが、その場を支配する」って傾向があります。 宗教心があれば、たとえ声が大きな人、利益誘導をする人、威圧的な人が変なことを言っても、宗教的な価値観から「それはダメでしょう!!」と判断して言えますけど、無宗教の人であれば、自分がマイナスになるかも?と思えるとき、あえて声を上げることはないでしょう。しっかりした価値判断基準がないですからね。 あえていえば、経済的メリットがあるか、無いかという価値基準でしょうか?反対を言うことでマイナスにはなれど、プラスにならないのが分かっていたら「ダンマリ」を選択するのがほとんどでしょうからね。 自分のまわりでも、「こんな人が出世するんかい!」と思うことありましたけど、しばらくしたら仕事ができないことが露呈して、退職してゆきました。

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    20代半ばの女です。 自分は自己愛性人格障害ではないかと思っています。 そして、その原因が自分の親の育て方のまずさだったのではないかと思っています。 でもこの嫌な性格、ひん曲がった性格を直したいです。 自分は昔から「自慢」する癖があります。 それはすごくみっともなく品がないことであるし、他人からも嫌われるのでやめたいと思ってはいますがやめられません。 自分は異常に多弁で、自分のことばかり、しかも「私はすごい」というようにしゃべってしまいます。 異常に負けず嫌いで、何事にも「本気」になってしまうし、とにかく負けることが大嫌いで すべてに於いてではないですが、自分の「コレ」と思うことには1番じゃないと気がすまない性質です。だから、時には異常なほど努力もします。 だから、他人にバカにされるのが大嫌いです。 あと、他人にも自分にも厳しいと思うので、自分で自己否定をすることは常ですが、同じくらい他人を否定的に思ったり批判したり、時には悪口を言ってしまったりもします。 多分私のこの性格だと、周りから傲慢なヤツ、実力もないくせに嫌味な奴、ウザイ奴、浅薄な奴etcと思われ、誰からも好かれることがないと思います。 というのも、よく他人に批判されがちで、例えば私が何か言うと「ちがうって」とか「それはないだろ」とか友達は私を否定することが多いと思います。 こんな性格が嫌で嫌でたまらず、どうして自分はこんな性格になってしまったのかずいぶん悩んできました。 そんな時ふとネットで「自己愛性人格障害」というものがあることを知りその多くが自分に当てはまると思いました。 (自分は万能だとか美しいは 思いませんが) その原因というところに「親に認められなかった」という項目がありとても気になりました。 私は1人っ子なのですが、世間の一人っ子とは全く違ったと思います。 昔から親から「1大人」であることを強要されてきて、常に否定されて育ってきました。 そして、つい最近までそれが極当然であると思っていました。 「お前は間違っている」「お前はおかしい」「お前は異常だ」「お前は性格が悪い」「お前はみんなに嫌われている」「お前は○○(みんなに嫌われていると親がいつも言っている人)みたいになる、そっくりだ」「お前は何をやっても失敗する」「お前は、親の言うことを聞かないと何もできない」「お前は頭が悪い」「お前は調子に乗りすぎだ」「お前は誰からも相手にされない」「お前は運が悪い」「親はいつも正しくお前はいつも間違っている」 もう、書ききれないほどの否定の言葉を物心ついた頃から浴びて育ってきました。 学校や近所でどんなに理不尽な目にあっても(大人になった今冷静に考えても明らかに相手に非があるようなこと) 「それはお前の性格が悪いからだ、お前がちゃんとしなかったからだ」 物事の原因はすべて「お前が悪いから」でした。 いじめられて親に泣きついて「そうかそうか、かわいそうに」といわれている子や、当時の私から見て、大した事ではないこと (例えば、私は満点とってもけなされるため、80点取って喜んでいる子など)で、親からほめられている子を見て 心の中で、うらやましかったり、不思議だったり、一方でなんしか「くだらない、レベルが低い」等の ゆがんだ感情も芽生えてきたと思います。  小さい頃から「なんて自分は悪い奴なんだろう」と思って生きてきましたし、「どうせ自分は嫌われ者なんだ」「自分は何もできない人間なんだ」「自分は何をやっても幸せにはなれない」と心底思っていますが その反面「誰かに自分のことを認めてほしい」という欲求が、鬱陶しいくらいに存在しているのも事実です。 だからきっとくだらない自慢話を延々してしまうのかなぁとも思います。  20までの私はがんばりました。公立校から、国内では5本の指には入る難関大学にも進学しました。 私は頭が良くないので、人の何倍も努力したと思います。親もそれを知っているとは思うのですが、 「たまたま運がよかっただけ」「運で入ったから卒業できない」「誰だって入れる」 などといい、少しもほめてもらえませんでした。(ちなみに親は高卒) 結局、1度も褒めてもらったことはないと思います。 どんなに頑張ってもけなされましたし、自分の人格を認めてもらったこともありませんでした。 しかし、世間は学歴を言うだけで、手のひらを返すように褒めてくれるし、扱いもよくしてくれるので 正直私は学歴が大好きですが、その一方でそんな自分が大嫌いでたまりません。 長くなりましたが、こうやって長年かけてゆがんできた心の貧しい自分ですが、今更まともになることはできるでしょうか? 普通の人のように、敵意をむき出しにしたり嫉妬したり自慢したりすることなく生きて生きたいのですが、よい方法はないでしょうか?

  •  《自然に帰れ》!?

     《自然に帰れ》!?  とルウソは言ったとか言わなかったとか。自然に帰るあるいは人間的自然を取り戻す これは 必要で大事なことでしょうか?  《人間》の社会におけるすがたを次のように捉えて その《自然》の問題を考えます。  1. われわれ人間は 社会を成して共生するらしいが そもそもどういう存在であって どういう存在の関係をむすび かつその関係の錯綜して過程する総合としてどのようなあり方になっているのか?   2. 社会人を スサノヲ市民およびアマテラス公民に分けます。しかも この市民( S )と公民( A )のそれぞれ要素は ひとりの人間に――当然でしょう―― そなわると捉えます。  3. このような概念装置を持って マルクスを読みます。  ▲ ( K.マルクス:ユダヤ人問題によせて) ~~~~~~~~~~   結局のところ   ( S ) 市民社会の成員としての人間(* つまり生活者市民スサノヲ)が 本来の人間とみなされ   ( A ) 公民 citoyen (* 人格の全体でもっぱら公共の仕事に就くアマテラス公民)    とは区別された  ( S ) 人間 homme とみなされる。  なぜなら   ( A ) 政治的人間(* アマテラスのそういう側面)がただ抽象された人為的につくられた人間にすぎず 比喩的な精神的人格としての人間であるのに対し   ( S ) 市民社会の成員としての人間(* スサノヲ)は 感性的な 個体的な もっとも身近なあり方における人間だからである。  【 S‐A 連関】 《現実の人間》は  ( S )  利己的な個人の姿(* もしくは 感性を自由気ままに発揮しあやまちうるスサノヲ人間語)においてはじめて認められ   【 A‐S 連関】 《真の人間》は  ( A )  抽象的な公民の姿(* もしくは アマテラス人格語ないし学術概念語)においてはじめて認められるのである。                   (城塚登訳)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ここで S:スサノヲと A:アマテラスとの連関のあり方は 次のふたつの形態があり得ます。   《 S‐A 》連関のかたち=《現実の人間》:      あやまちうるスサノヲ人間語を基礎としてその土壌の中から――     あたかもその泥の中から―― アマテラス規範語を磨き上げ そこ     に花咲かせる人間のすがた。   《 A‐S 》連関のかたち=《真の人間》:      簡単に言えば 理性ないしコギトがすべての意志行為を引っ張る     かたちのアマテラス人格語かつアマテラス学問語にもとづく人間の     すがた。この人間は 《あやまたない》と言われるようになる。      つまり無謬性・不可侵の神話を帯びる。  ☆ たぶん《 〈 S‐A 〉連関のかたち》=《現実の人間》の描像のほうが のぞましいと思うのですが それには 《スサノヲ的自然》を取り戻す必要があると考えられます。どうすればよいでしょう? あるいはすでに回復していましょうか?

  • 他人と感覚が違うって、比較できますか?

    社会で生きていくには適応するって大切ですよね。今更ながら「適応」っていうことの意味を思い知らされました。自分の感覚が他人とズレてることを自覚することのようです。これって、自覚できたらタイシタものだと、最近ようやく悟ったわけで、そのおかげで「もう死んでもいい」とさえ思えるのでした。残念ながら、死ぬことを怖がるっていうとこだけは、感覚っていうより本能というものに支配されちゃうらしくて「それではサヨーナラ」と簡単には死ねないものらしくて、こんな文章書いてます。と、前置きが長くなりました。例えて言えば人が見ている色がみんな同じだとは限らないようなささいなことなんかに気付くことです。十分に重大な事実のようだと思われるかもしれませんが、至ってお気楽なんですよ、実は。一人の人間、生まれてからずっと、自分の目に見える色が正しいと思って疑わない。「色の区別がつかない」んなら障害として認識できるんですが、単純に感じるものの違いなんか、脳を入れ替えて見ないと比べられないって、ちょっとしたパラドックスなんですが、わかりますか? このことをぶんしょうでどう記述したら万人に「何となく解る気がする」と感じてもらえるのかな? っと、これも「感じる」ものなわけだから、人間って結局、共通認識なんてありえいのですね。少なくとも近似値はあるから社会が成り立つわけなんでしょうけど…。ひょっとしたら、金運とか出世運なんか、以外とこんな「ささいな」感覚のギャップが作用して存在してるんじゃないの?なんて思います。哲学専攻か精神医学専攻で、この事に関係した内容をご存知の方、どうか教えてください。