• 締切済み

維新と言う呼称に関東以北は抵抗感が?

笑い話のようですがNHKが大河ドラマに『八重の桜』を選んだ のは関東より以北、特に東北圏に対して維新の会を潰す為に 選んだのではないかと友人が言うのですが皆さんは何か感じ ますか? 番組選定は民主党解散以前に決まっていたと思うのですが 都議選の結果を見ると参議院は比例代表以外に期待が もてない結果が出てしまいました。 私の考え過ぎでしょうか? 因みに私は勝海舟や新撰組が好きなので微妙ですが。(^^;) 東北復興には『あまちゃん』と『八重の桜』は観光セールスに 多大な貢献をしていると評価しています。

みんなの回答

  • sirousagi1
  • ベストアンサー率35% (717/2010)
回答No.3

維新という呼称に別段の抵抗はありませんし、おもしろい考え方もあるものだと思いました。 関東では、維新=大阪のための政党というイメージが強い。 “大阪の主張をこっちでしてどーなる?”・・・← これほんとのこと。 維新の会で候補に立つと “どこも公認どころか推薦もとれなかったのか” とした見方をしてしまいます。

usagiminnto
質問者

お礼

お礼が遅れました。ありがとうございます。 >維新=大阪 何と無くわかります。都議選は石原代表の無能無策も 敗戦の原因でもありますよね。 自分からすり寄ったのだから東京はまとめるのが責任 だと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#185504
noname#185504
回答No.2

維新は、政党としては自民党に寄り添う新撰組っぽいので、応援になっているのかもしれませんよ。

usagiminnto
質問者

お礼

お礼が遅れました。すみません。 >維新=新撰組 政党勢力的には新政府には生き残れませんかね。 みんなと協力して第2勢力になって欲しかったです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • hideka0404
  • ベストアンサー率16% (819/5105)
回答No.1

実は正月にNHKプレミアムで 火怨・北の英雄 アテルイ伝 というのもやってました。 八重の桜もそうですが、基本的に東北人は温厚で恨まないと思われているようです。 維新をありがたく思っているのは、仰る通りの西の方ですね。 新撰組は西では坂本の敵ぐらいの意識でしょうから。 その点「仁-JIN」はバランス良かったんじゃないでしょうか? 維新の会構想が出たのが、竜馬伝が流行った頃ですからね・・・致し方ないんじゃないですか?

usagiminnto
質問者

お礼

お礼が遅れました。ありがとうございます。 『アテルイ伝』は私も観ました。 昔は西国の方が優勢だった時代が長いですよね。 在日が増えて関西は荒れた感じがしています。 関西では維新の会はもうひと踏ん張りして欲しいと 思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 今更ながら、龍馬伝の、勝麟太郎のセリフですが

     どなたか、教えて頂けませんか?    今更ながらではございますが、NHK大河ドラマの『龍馬伝』の、最終話近くのほうで、    新撰組(原田泰三)達が龍馬を狙って攻めこんできた時、  勝海舟(武田鉄也)が 新撰組に向かって、立ちはだかり、 『ここから先に入ることは、この、オイラが、許さねぇ!』  というシーンがありましたよね。    その時、勝海舟(武田鉄也)が自分の名を名乗ったセリフなんですが、    ただ『勝麟太郎である!』ではなく  『幕府ナントカの、勝海勝麟太郎ナントカのカミである!』と両手をあげて叫んでいました。    その時、勝海舟(武田鉄也)は新撰組に向かって、自分を何と名乗ったか、セリフを覚えていらっしゃるかたはおられませんか?    どうか、教えて頂けますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

  • 大河ドラマ「勝海舟」はどうだった?

    30年ほど前にNHK大河ドラマ「勝海舟」の主役(勝役)が渡哲也、途中代役で松方弘樹だったそうですが、この二人は勝海舟役として良かったですか? 私から見ると、どうしても勝とこのお二人のイメージが結びつかず・・・(^^; 私の中での勝海舟のイメージは自由奔放かつ冷静で、からっとした江戸っ子気質の人・・・といった感じです。 渡さんは勝を演じるには堅物で実直なイメージがありすぎるような気がするし、松方さんは気風は良さそうだけどちょっと腹黒い悪人のようなイメージが・・・。 見た目もイメージとかけ離れていると思います。 数年前の大河「新撰組!」での野田秀樹さんは演技も見た目も結構「おお、勝海舟だ」と思うものでした(ちょっと軽かったけど)。 渡&松方の勝海舟を実際に観た方、どうでしたか?

  • 大河ドラマ「八重の桜」見てますか?

    大河ドラマ「八重の桜」ってどうなんですか? このドラマって私は数回見ましたが、 正直私の感想としては「つまらない」という一言です。 私の会社の上司(女性)が言ってました。 主人公は綾瀬はるかなのに西島秀俊ばかりが目立ってる。 篤姫みたいな内容だと思ってたのに新選組が出てきたり 戦のシーンが多すぎる。女性受けを狙ってるのだったら戦のシーンは控えるべきだと。 平清盛から一新させたというが、私的には平清盛とたいして変わってないと。 上司はそう言っておられました。 このドラマ見てる方、ぶっちゃけこの「八重の桜」という今回の大河ドラマどう感じますか?

  • 30年前の大河ドラマ勝海舟

    30年前のNHK大河ドラマ勝海舟で新撰組の近藤勇の役を演じた俳優さんは誰だったか覚えておいでの方はいらっしゃいませんか?それと沖田総司役がたしか番組プロデューサーをする久世光彦さんだった様な気がするのですが。気になってますンで。

  • 新撰組、甲府入り前に油断?

    勝海舟に「甲府に行って官軍を向かえ打ってくれ。それができたら、甲府をお前にあげる。」と近藤勇は言われて甲府に向かいました。しかしその途上、生まれ故郷で接待を受けすぎて、甲府に入るのが遅れてしまい、官軍のほうが先に甲府入りしてしまいました。結果、重要拠点を先取りされ、新撰組(甲州鎮撫隊)は何もできず敗走しました。(以上、NHK大河ドラマより得た知識。長倉新八の手記にも書かれているそうです。)このときの、勇の行動は自分には単なる油断にしか見えないのですが、勇はなぜもっと早く甲府に行かなかったのですか。

  • 女がするものじゃない

    NHKの大河ドラマで新しく「八重の桜」の放映が始まりました。 女が砲術なんぞするものではない…と、 最初はなかなか銃にも触らせてもらえなかった主人公八重。 女がするものじゃない…、女性には無理だ…、女のくせに… 女性の方、こんなことを言われたことがありますか? それはどんなことだったのでしょう? そして、結果的にどうなりましたか?

  • 勝海舟の人物像

    幕末・維新の簡単な通史を読むと、勝海舟について、概略、以下のようなことが出てきます。 (1)ペリー艦隊の来航(いわゆる黒船来航)時に、海防に関する意見書を提出した。 (2)幕府の遣米使節派遣時に、護衛と言う名目で咸臨丸も渡航し、遣米使節の補充員として乗船した。 (3)徳川慶喜に第二次長州征伐の停戦交渉を任される。勝は単身で談判に臨み長州の説得に成功した。 (4)明治元年、官軍の東征が始まると、旧幕府方を代表する役割を担う。早期停戦と江戸城の無血開城を主張、歴史的な和平交渉をなしとげる。 (5)明治維新後は、参議、海軍卿、枢密顧問官を歴任し、伯爵に叙せられた。 しかし、何故か、勝海舟の人物像というのが浮かんできません。勝海舟を主題にした小説を読んでいないからだと思いますが、幕末・維新史への登場が断片的な気がするのです。 ウィキの記述や参考書から、その人物像の一端を、私なりに整理してみました。(下記) (1) 幕府の要人でありながら、明治32年まで生きたということは、それなりに世渡りが上手かったのか?そのことが、関連するかどうかは分かりませんが、旧幕臣の代表的人物でありながら、なぜか榎本武揚をはじめとした旧幕臣からの信頼も薄いようにも見受けられます。徳川慶喜の信頼は厚かったようですが。 (2) 『明治維新後改名して安芳。勝本人は「アホウ」とも読めると言っている。』……発言の意図は分からないが、多少のユーモアのセンスがあるのか?あるいは、卑下しなければならないような理由・経歴があるのか? (3) 神戸の港湾としての発展を見越して、付近の住民に土地の買占めを勧め、勝自身も土地を買っていた……お金に無頓着ではなかったということか? (4) 徳川家の取扱いに関する交渉に当たり、江戸の町もろとも敵軍を殲滅させる焦土作戦の準備をして西郷に決断を迫った。……外交的、戦略的センスがある人物か? (5) 旧幕臣たちによる「徳川氏実録」の編纂計画を向山黄村を使い妨害している。……幕府の要人であったにもかかわらず、このような行動をするということは、彼の活動の中に、何か後ろめたいものがあるのか? (6) 「氷川の大法螺吹き」となじられることもあった。……(4)とも関連するが、適切な表現が見つかりませんが、「見栄っ張り」の性格を持っていたのか? ここで質問なのですが、 (1) 勝海舟の人物像として、上記の(1)~(6)について、どう思いますか? (2) 勝海舟の人物像について、あなたが知っていること、考えていることを教えて下さい。 (3) 勝海舟の人物像がよく理解できる小説をご存じであれば、紹介して下さい。 ご回答は、上記(1)~(3)の一つだけでもかまいません。

  • 吉田松陰と勝海舟

    吉田松陰の『幽囚録』(内容は下記URLをご参照下さい) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0 http://www7a.biglobe.ne.jp/~katatumuri/yosida/syoin60.htm を読むと、筆者の名前を伏せれば石原莞爾か東條英機の主張としても通じそうな内容で、事実、松陰の薫陶を受けた伊藤博文、山県有朋らの長州閥の手により始められた日清・日露戦争を経てやがて日中・太平洋戦争へと突入していく帝国主義の道を歩んでいったことは、改めてご説明するまでもないと思われます。 一方、幕臣でありながら薩長との早期停戦、江戸城無血開城を主張した勝海舟は、維新後、明治政府で参議、海軍卿の要職を務めながらも、軍事力強化に興味がなかったのか、仕事に精を出さず、また、自ら育てたとも言える海軍が日清戦争に参加するのに終始反対しました。三国干渉で窮地に立たされた時も、「政府のやることなんてぇのは実に小さい話だ」と批判しています。(出典は下記URL) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E6%B5%B7%E8%88%9F もっとも聞いた話ですが、西郷と親しかったせいか、征韓論には賛成したそうです。 勝海舟には、中国に進出すれば必ず欧米列強と対峙(利権をめぐる衝突)せざるを得なくなり、中国を植民地化することはおろか逆に列強から日本の独立自体を侵されかねないという考えがあったのでしょうか? 歴史は皮肉にも吉田松陰の敷いた路線をひた走った結果、勝海舟の予想通りになってしまったわけですが、もし日本が帝国主義路線でなく勝海舟の主張通り中国進出を行わず、せいぜい朝鮮半島留まりであったならば、欧米列強、殊に米国と敵対することもなく、あのような未曾有の戦禍を免れ、明治維新から現在に至るまで東洋の一小国としてささやかな繁栄を謳歌する独立国たり得たのではないかと考えるのは、穿った見方でしょうか?

  • 「八重の桜」月代のある人ない人の意味は?

    八重の桜を観ていると、月代のある人ない人がいます。

八重の桜の時代にまげを結う際、月代のあるなしに何か意味があるのでしょうか?
八重の兄、覚馬は京都にいたころまで月代がありましたが、長崎に行ったころから月代がなくなりました。

 http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/cast/story02.html 八重の桜の登場人物を見ると

会津藩家臣、家老の佐川官兵衛には月代がありません。

同様に会津藩家臣、軍事奉行添役、秋月悌次郎(北村有起哉)にも月代がありません。

西郷隆盛(吉川晃司)にも月代がありませんが、脱藩しているからなのでしょうか?

久留米藩出身の真木和泉(島田久作)にも月代がありません。

勝海舟(生瀬勝久)は幕府の人物とおもいきや月代がありません。

佐久間象山(奥田瑛二)は信州・松代藩士、吉田松陰(小栗旬)は長州藩藩校・明倫館の兵学教授ですが月代がありません。

長州藩の木戸孝光(桂小五郎) 及川光博も今週も月代がありません。 (なぜかHpでは月代があるのですが…)

今週、川崎尚之助は会津藩にとりたてられる場面がありましたが、月代はないままです。

まさか役者の事務所の意向で月代のあるなしを決めているのではないと思いますが、詳しい方、よろしくお願いいたします。 


  • 関東以北について

    基本的な質問になりますが… 関東以北とは関東より北に位置する都道府県という事で合っていますか?ネットで調べたんですが良くわかりません… 良ければ、関東以北の都道府県を教えていただけませんか?