• ベストアンサー

新撰組、甲府入り前に油断?

勝海舟に「甲府に行って官軍を向かえ打ってくれ。それができたら、甲府をお前にあげる。」と近藤勇は言われて甲府に向かいました。しかしその途上、生まれ故郷で接待を受けすぎて、甲府に入るのが遅れてしまい、官軍のほうが先に甲府入りしてしまいました。結果、重要拠点を先取りされ、新撰組(甲州鎮撫隊)は何もできず敗走しました。(以上、NHK大河ドラマより得た知識。長倉新八の手記にも書かれているそうです。)このときの、勇の行動は自分には単なる油断にしか見えないのですが、勇はなぜもっと早く甲府に行かなかったのですか。

  • 歴史
  • 回答数6
  • ありがとう数8

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • fornaoya
  • ベストアンサー率32% (11/34)
回答No.4

>しかしその途上、生まれ故郷で接待を受けすぎて、甲府に入るのが遅れてしまい、官軍のほうが先に甲府入りしてしまいました。 新選組を擁護するわけではありませんが、これは創作や伝説による迷信です。 日野宿の名主であり土方の義兄であり、また新撰組のスポンサーであった佐藤彦五郎日記に、その時の様子が書き残されています。要約すると以下の通りです。 慶応四年三月一日、大久保大和(近藤)らが甲陽鎮撫隊として100名程が江戸を出立 翌三月二日に大久保、佐藤家へ到着。休息し、すぐに出立。八王子宿にて昼飯ののち、与瀬宿に宿泊。 三月三日、与瀬宿出立。猿橋宿宿泊。 三月四日、官軍らしき者が甲府へ迫っており、五日には到着するとの情報あり。大久保らの後衛として彦五郎らも進軍。駒飼町へ到着。しかしすでに官軍は前日甲府へ到着したとの情報。 三月五日、官軍は1200名との情報あり。この情報を伝える為、内藤隼人(土方)が早駕篭にて江戸へ走る。 上記の通り、日野宿には数時間休憩しただけで、すぐに出立しています。どこかに寄り道した様子もありませんし、泥酔して進軍がままならかったというような印象も受けません。官軍は、近藤らが江戸を出立する以前から、先んじて行動に出ていたのです。 彦五郎は故郷で歓待をした側であると共に、当時リアルタイムでこの日記を書いていますので、回顧録のような永倉の手記よりは信憑性が高いかと思われます。 この日記が世に出たのが平成17年であるため、それまでずっと質問者さまのおっしゃるような伝説が一般に信じられており、NHK大河ドラマにも間に合わず、今なおこうした誤解が語り継がれているわけです。

kokutetsu
質問者

お礼

そうでしたか。勇は最後まで全力を尽くそうとしていたのですね。そうでなければ、武士よりも武士らしき男、と言われた局長ではありません。局長は敵が多かったので、このような品格をなくすような創作がなされたのでしょうか。ありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.6

質問の回答からは若干離れますが、事実誤認されている方もおられるようですので。近藤勇は、三多摩の名主階層の家から剣術師範の家に養子に入った人です。少なくとも近藤勇は「多摩の農家の不良息子」ではありません。当時、平民と武士の格差は現代人が想像するようなものではなく、裕福な町人、名主階層の農民、僧侶・儒者・医者・武芸者などの「知識階級」は武士と隔てなく交際していました。 近藤勇の自筆の手紙を見れば、武芸者であると共に、平均的な武士以上の学問を身につけた人であったことが見て取れます。

kokutetsu
質問者

お礼

そうですね。やはり、教養と品位のある人でなければ、大勢の部下をまとめることは、できませんから。どこかの家の壁に勇の書が残ってると聞きました。若干離れますが、新撰組は山南さんを失ったのが、よくなかったですね。ああいう慎重派も必要でした。

  • komes
  • ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.5

勝安房からどのような情報が与えられたかは解りませんが、甲府には幕府直参が詰めており、一応の守備がある筈でした。 従って近藤が急いで甲府に向かえば間に合う筈でした。 近藤としては幕府から支給された大砲を引き、隊を率いていましたが新選組も戦力が低下しており、故郷で募兵強化する思いがあったとおもいます。 事実志願するものがあったといいます。 近藤には戦闘眼はあったでしょうが戦術眼はなかったでしょう。 従って甲府の重要性は理解出来ていなかったと思われます。  これに対し、官軍側は甲府城がほぼ無防御状態であることを知り、幕府側の増援部隊が到着する前に占領すべく急行軍し先に甲府を占領したのです。 幕府側が急造部隊であったことは、甲府城外で遭遇戦となった時、士官が別の宿舎にいて、指揮がとれず大砲の砲弾の安全装置の解除を忘れて 砲撃したので砲弾が爆発せずに官軍を阻止出来なかったという話が残っています。  官軍側の戦意が高く、幕府側を圧倒したのです。 近藤の油断というのは酷といえましょう。

kokutetsu
質問者

お礼

勝はとにかく、新撰組が邪魔だったので、「ゆっくり行っても大丈夫」などとミスリードしていたかもしれません。くわしいご回答ありがとうございました。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.3

近藤勇をはじめ新撰組の面々は多摩の農家の不良息子たちでした。彼らは剣術という「なんの役にもたたないもの」に夢中になり、「いつか武士になりてえなあ」と夢みたいなことをいっていたのでした。当時は身分制度がありましたから、農民が武士になるなんて近所の野球少年がメジャーリーガーになるくらい確率の低い話でした。 それがなんと幕府に雇われて、しかもなんとなんと「将軍様の親衛隊」という大変な役をおおせつけられて(本当は海千山千の勝海舟の口車に乗せられたのですが)故郷に凱旋してきたのです。故郷に錦を飾るというのはまさにこのことです。 だから地元の人たちは近藤らを大歓迎したのです。ちょっと考えてみてください、かつては自分たちを「あの不良どもが」とバカにしていた連中が「いやー近藤ちゃん、すっかり立派になっちゃってえ」ともみ手でやってきて「宴席を用意したよ、せっかくだから寄っていきなよ」っていうんですよ。それで「じゃあ、ちょっとだけ」と思って寄ったらみんなが待ち受けてかつての親戚知人友人が「いやー立派に出世してえ」というんです。これで舞い上がるなってほうが無理ですわね。 近藤たちは宴席で友人たちに「俺が大名になったらお前を家老にしてやる」なんていっていたそうです。 結局のところ、勝海舟は元から近藤たち新撰組連中を使い捨てにするつもりのようでしたし、どんなに頑張ったところで倒幕の流れは止められなかったし、この後すぐに近藤は追い詰められ、土方も死に場所を求めて五稜郭へ向かっていくわけですから、故郷で一度くらいバカ騒ぎをしてよかったのではないでしょうか。

kokutetsu
質問者

お礼

そうですね。彼らは、会津や長州の志士のように、藩校でみっちり教育を受けたわけではないので、この手の誘惑には弱かったのですね。誠の旗印が泣いてるぜよ。

  • bossnass
  • ベストアンサー率44% (176/394)
回答No.2

すいません。回答というより司馬遼太郎氏の雑記から引用ですが・・・。 近藤勇は、勝から「甲州をやるから甲府で官軍を迎え撃て」と言われた 時は「これで大名になれる」と喜んだものの、 どう見ても瓦解している幕府の元ではその地位も三日天下だと、 同地に向かう道中で気づいた。 (近藤勇は、勝が敗戦処理を将軍から任されていることも 知っているし、自分たちが江戸にいたのでは邪魔だということを感づい ていたのも想像できる。) それならば、軍資金としてもらった大金を使って甲州街道沿いの 故郷の人達の前で「どうせ負けだから最後にいい格好したい」と 彼(および同行の隊士)が思ったのも自然ではないだろうか。 実際、道中毎日のように宿泊場所でどんちゃん騒ぎしていますから。 故郷のみんなが「すごいなぁ」とあがめてくれるのも、うれしかった だろう。 しかし、まだ現実を認めない、または戦いに身を投じて一花咲かせたい と願う土方や永倉には、そのような近藤の態度は許せなかったのだろう 、この戦いのあと、近藤と袂をわかちあっている。 と司馬遼太郎氏は記述しています。 諸説あるでしょうが、個人的にも私はこの説が気に入ってます。 近藤勇や土方たちのその時の心情が、すごく理解できるし実感できる からです。 「こっけいさ」と「哀しさ」と「時代や人のリアリティ」を しみじみと想えるからです。

kokutetsu
質問者

お礼

なるほど、そのような考え方もあるのですね。しかし、そう考えると、ずいぶん無責任な局長のようにも思えますが、その中にいないとわからない部分もあるでしょうね。ありがとうございました。

  • sinkyou
  • ベストアンサー率39% (212/531)
回答No.1

官軍の進軍が予想されるより早かったことが挙げられると思います。 隊の名称ですが、甲州鎮撫隊で出ていましたか?正式には、 甲陽鎮撫隊なのですが…。 近藤ら、天然理心流の仲間は京都で不逞浪士取り締まりに追われ、故郷の多摩が懐かしかったのではないでしょうか。 思えば、道場主から、幕府直参に。そして、甲府をとれば大名格の待遇に夢を見ていたのかもしれませんね。

kokutetsu
質問者

お礼

そうでした。甲陽鎮撫隊でした。やはり、勇も人の子。故郷の誘惑には勝てなかったということでしょうか。ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 新撰組

    昨年の、大河ドラマ、新撰組の最終回は、近藤勇が、斬首されるシーンで終了しています。しかし、新撰組は、土方歳三が函館で、戦死するまで、存続しています。近藤勇の生涯を描いた作品ではないのに、なぜ、五稜郭まで、ドラマが、進まなかったのでしょうか、また、ドラマに、出てきた、捨て助は、実在の人物でしょうか

  • 新撰組の4人とは

    古い映画の記憶なのですが、新撰組の偉い人が4人並んで道を行くシーンがありました。近藤勇、土方歳三、沖田総司は必須として、最後の4人目は誰だったのでしょうか? 永倉新八?斉藤一?、長槍を持っていた様なので原田でしょうか?

  • 新撰組!について

    新撰組が好きな者です。 来年度の大河ドラマが新撰組なのでとても楽しみにしています。いきなり質問なのですがこの大河ドラマ、脚本は三谷幸喜さんですが、原作は司馬遼太郎の「燃えよ剣」なのでしょうか?しかしこの本は土方歳三がメイン。大河ドラマの主人公は近藤勇ですよね。今日友人とそのような話をして疑問が生じてしまいました。原作は何なのか知っている方がいらしたら教えて下さい。

  • 大河ドラマ‥新撰組について

    おバカな質問かもしれませんが‥よろしくお願いします。 学生の頃、新撰組がとても流行っていたのですが、回し読みされていた新撰組に関する本を読んでいません。 なんとなく断片的に知っているのですが、興味はずっとあり、今回大河ドラマでやっているので、これを機に最後まで見るつもりです。 なので、私にとっての新撰組は三谷幸喜のドラマから始まりそうです。 前置きが長くなりましたが、、慎吾ちゃん扮する「近藤 勇」がとても優しい普通のお兄ちゃんと言った感じで、私が思ったイメージと大分違います。 近藤 勇は本当のところ、初めはこんな感じだったのでしょうか??  写真を見るととてもごつくって、なかなかの貫禄に見えるんですよね。。 今のところこんな感じで大丈夫かってつっこみたくなるぐらい普通なんでヤキモキしてます。

  • 30年前の大河ドラマ勝海舟

    30年前のNHK大河ドラマ勝海舟で新撰組の近藤勇の役を演じた俳優さんは誰だったか覚えておいでの方はいらっしゃいませんか?それと沖田総司役がたしか番組プロデューサーをする久世光彦さんだった様な気がするのですが。気になってますンで。

  • オススメの新撰組の本

    オススメの新撰組の本(歴史小説)を教えてください! 元々、少しだけ新撰組に興味があり2冊だけ本を読んだことがあったのですが、 大河「新選組!」を見て、すっかりハマってしまいました。 (読んだのは、偶然家にあった池波正太郎の「近藤勇白書」と「幕末新撰組」です。) とくに斎藤一が好きなので、斎藤中心の本があれば読みたいと思っています。 他には主に新撰組幹部が好きです (土方・沖田・永倉など) よろしくお願いします。

  • 新撰組隊士のイメージを教えてください

    今、私は学校の卒業論文にて『各媒体における新選組の社会的影響』というものを調べています。 どういうことかといいますと、今まで様々な形(小説や大河ドラマ、舞台劇等)で新選組というものが人々に伝えられてきました。それらのものは、一つの新選組というものを伝えていながらもそれぞれ違った「新選組」や「各隊士」のイメージを人々に与えていると考えました。 例えば、1965年に放映された時代劇「新選組血風録」とNHK大河ドラマ「新選組」では、近藤勇の性格や人柄の設定はまったく違ったように思えます。 それが、社会にのどのような新撰組の印象を与え、その結果どのような社会的影響を及ぼしたのかを考察しております。 と、堅苦しい説明をしてしまいましたが、簡単に言わせていただきますと、 新撰組の各隊士に皆さんが抱いているイメージを教えていただきたいと考えております。 ご協力していただける方は是非ともお願いいたします。 どんな些細な事でも構いません。(たとえば、「沖田総司はイケメン」等でも構いません。)イメージですので事実と違っていてもまったく問題ありません。お気軽にお願いいたします。 (1)見たことのある主な新選組関連の時代劇・小説等を教えてください。 (作品の一覧がこちらにありますので参考にしてください。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%92%B0%E7%B5%84#.E6.96.B0.E9.81.B8.E7.B5.84.E3.82.92.E9.A1.8C.E6.9D.90.E3.81.AB.E3.81.97.E3.81.9F.E4.BD.9C.E5.93.81) (2)その中で特に印象に残った作品・新選組を好きになったきっかけとなった作品を教えてください。 (3) (2)でお答えになったものそれぞれについて ・その作品から感じ取った近藤勇の印象や性格、思ったこと ・その作品から感じ取った沖田総司の印象や性格、思ったこと ・その作品から感じ取った土方歳三の印象や性格、思ったこと ・その作品から感じ取った井上源三郎の印象や性格、思ったこと ・その作品から感じ取った山南敬助の印象や性格、思ったこと (例えばNHK大河と燃えよ剣を見たことがある方はNHK大河での近藤勇の印象と燃えよ剣での近藤勇の印象をそれぞれお願いします。)これが重要です。各作品についてそれぞれお答えください。印象に残ったシーンなどを挙げていただけるとなおよしです。 (4)なにか今回の研究に対して思うことや、アドバイスなどありましたらお願いいたします。 大変かとは思いますが、どんな些細なことでも構いませんので、よろしくお願いいたします。ぜひともご協力ください。

  • NHK新撰組に坂本龍馬が!?

    今NHKの今年の大河「新撰組」の番組宣伝を見ていて仰天したのですが、なぜか坂本龍馬と近藤勇が相撲をとったりしていました。 ありえないですよね?? 三谷幸喜のシャレなんでしょうか。 テレビなのでいいのですが、ちょっと気になったので・・。

  • 新撰組と坂本竜馬、桂小五郎は会っていた?

    NHKの大河ドラマで新撰組(近藤勇その他数名)と坂本竜馬、桂小五郎が座敷で酒を飲みながら議論を戦わせていました。 両者は敵同士だと思っていたので意外の感がありました。 これはフィクションなのでしょうか? それとも元々旧知の間柄であったのが、年月が進むにつれて仲が悪くなっていったのでしょうか?

  • 長州藩・新撰組の人物で面白いエピソード

    初めまして。 初心者です。いきなり本題ですが、 長州藩・新撰組の人物で面白いエピソードってどんなのがありますか? 調べればエピソードは書かれていても面白くはないんです・・ お願いします。教えてください。 余談 コレだけ頼んでおいて・・なんですが、特に知りたいのは 桂小五郎・高杉晋作・来島又兵衛・武市半平太・沖田総司・土方歳三 近藤勇・永倉新八・原田左之助・斉藤一です。 よろしくお願いします