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新撰組と坂本竜馬、桂小五郎は会っていた?

NHKの大河ドラマで新撰組(近藤勇その他数名)と坂本竜馬、桂小五郎が座敷で酒を飲みながら議論を戦わせていました。 両者は敵同士だと思っていたので意外の感がありました。 これはフィクションなのでしょうか? それとも元々旧知の間柄であったのが、年月が進むにつれて仲が悪くなっていったのでしょうか?

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回答No.2

私も、旧知であったことが事実とは思いませんが、 同時代に、竜馬や桂は江戸の有名道場の塾頭だったりしたわけで、近藤らも江戸在住時代に彼らの名前を知っていてもおかしくなく、ドラマの設定で知人であったことにするのが行き過ぎとも思いません。 黒船以降しばらくの間は、攘夷か開国かが議論のポイントであり、倒幕か佐幕で争うのはまだ後の話で、この時点では天領多摩の住民と長州・土佐の藩士が敵同士になる必要はありません。 #1さんが >新選組や近藤勇、土方歳三らの名が京に轟き始めたころには坂本竜馬や桂小五郎は新選組を見れば逃げなければならない立場になってたはずです。 と書いてますが、 今のドラマの進行ではまだその時期まで行ってないですね。もうすぐおこる禁門の変で公武合体派が、攘夷急進派公卿や長州勢力を京都から追い出し、浪士組が「新選組」の名前を与えられた頃以降なら桂も逃げるかと思います。竜馬が逃げるとしたらその後で、当初は長州と対立していた公武合体派薩摩を、討幕派長州と結びつける活動をしだした頃以降か。 もし禁門の変以降にも近藤と桂が親しくしていたら私もおかしい設定だと思います。 去年の「武蔵」でも史実がどれだけあったか。大河ドラマで吉良上野介が浅野内匠頭をいじめなかったのもようやく数年前の石坂浩二の時だけです。そういえばその時、大石内蔵助と吉良側の上杉家家老が旧知の間柄という設定でしたが、史実の裏付けがあったのかどうか。

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 歴史的事実を調べてみました。 1963年文久3年    2月27日京都で新撰組誕生    4月13日清河八郎が江戸で暗殺される    5月10日長州が下関で外国船を砲撃    8月13日大和屋焼き討ち    8月18日の政変 長州御所から締め出し 1964年元治元年    5月20日大坂町奉行与力の内山彦次郎を殺害    6月5日長州藩士ら16名を殺害(池田屋事件)    8月20日禁門の変 番組の新撰組と竜馬・桂会談は、文久3年4月のことらしいです。微妙な時期ではあります。 8月18日の政変以降はありえないでしょう。 「放送内容と新撰組年表を見比べてみよう」 http://www.rbsaika.com/shinsengumi/index002.html

その他の回答 (4)

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回答No.5

#2です。すいません。 >歴史的事実を調べてみました。 禁門の変=蛤御門の変でしたね。あまり調べずに書いたので、8月18日の政変と間違えて書きました。私の書いた禁門の変は8月18日の政変と読み替えてください。 ちょうど今回5/24の放送の冒頭で、各自が尊皇攘夷から、開国・佐幕攘夷・反幕開国・反幕攘夷等に分かれていったという解説が入ってましたね。

  • mitunai
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回答No.4

 近藤勇と坂本竜馬、桂小五郎、確かにそのときに生きていた人がいないので、100%とは言えませんが、旧知の間柄ではないでしょうね。記録として残ってないと思います。でも新撰組は坂本竜馬は知っていたこと間違い無いでしょう。知らないのに斬ったとされるのもおかしい?ように思います。  はじめに原作 三谷幸喜(字あってるかなぁ?)と出ているので、これは史実に正確というようなことを考えずに単なる物語として読むべきですね。私も毎回ワクワクしながら楽しく見ています。  子供からも質問を受けることがありますが、黒船を見たなんてこともありそうにないし…でも人物描写としてはよく描かれているように思います。  近藤勇には名参謀の土方歳三がいたことは間違いもないでしすね。また、桂小五郎が私にも止められないという辺りはそうであったと思いましたね。動き出したら、誰にも止められないでしょう。  新撰組関係の書物で面白かったのは、私は壬生義士伝ですね(浅田次郎著)。

回答No.3

こんにちは。  今回の大河では、始めから坂本竜馬と近藤勇の交流を描いていて、そのことが一斉に  「新選組!は史実無視のメチャクチャなドラマだ!」  という非難を呼ぶきっかけだったような気がします。  しかし、この番組の時代考証を担当している方のインタビュー記事を読んだことがあるのですが、「確かに竜馬と勇が会っていた記録はどこにもない。我々の仕事は、そういう『フィクション』を三谷氏が書いてきたことに対し、それが可能だったかどうかを調べ、検証することだ」と。  まさに、その通りだと思いました。  つまり、その時期・時刻に両者が江戸で会っていてもおかしくないか、ということですね。今回の会談?会食?の場面についても、当然その検証がなされているはずです。  さらに、三者が「旧知の間柄であった」というのはフィクションですが、思想的に始めから敵同士だったかというと、それは違いますよね。尊皇攘夷という発想が反幕さらには討幕へと進むのはこれから。攘夷が不可能だとやっと長州が思い知らされるのもこれから。新選組の若者たちは幕府という枠組みをどうしても越えられなかっただけで、最後まで武力討幕に否定的だった竜馬と、もし本当に出会っていたら、今回の大河のような心の交流が持ててもおかしくない・・・・と自分は思います。  少なくとも、その辺の小説やマンガのイメージで語られる新選組像より、遙かに史実に忠実に描かれているのが今回の大河です。決してめちゃくちゃではないので、また観てみて下さい!  ・・・って、自分NHKの回し者じゃないっす。念のため(^^;)

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 冷静に考えれば、有名人の誰と誰が知り合いであったかは、平和な明治になってからわかるはずです。 彼らには生き残ったたくさんの友人、知人がいますから。 また当時の人は筆まめで手紙がたくさん残っていますね。 ですから交流があったかどうかは、比較的簡単に分かることだとおもいます。

  • takkn
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回答No.1

歴史小説などは、誰が何を言ったかなど、ある程度創作しないと成り立たないものですが、歴史的事実は曲げない、わかっている言い伝えや記録は尊重することが暗黙のルールとなっていますので、読めば勉強になりますが、今回の大河ドラマ新撰組!はめちゃくちゃです。 旧知でもなく、新選組や近藤勇、土方歳三らの名が京に轟き始めたころには、坂本竜馬や桂小五郎は新選組を見れば逃げなければならない立場になってたはずです。

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 めちゃくちゃでしたか。 NHK「新撰組」は観ておらず、たまたまチャンネルをひねったらやっていただけです。 それで何年ごろの設定なのか分からなかったのですが。 「池田屋事件」では、桂小五郎がすんでのところで難を逃れるのが歴史的事実ですね。(「その時歴史が動いた」でやっていた) そこは崩さないでやってもらいたいものです。 いずれにせよ、どの時代劇でも坂本竜馬の性格はよい(人懐っこく、善意の人)設定になっていますね。

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