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「血」,「出自」にこだわりすぎていない?

kannzou001の回答

回答No.6

取立て、人生が上手くいっているときは「無国籍」や「無人種」でも何も気にしません。何故なら自分自身に自信がもてるからです。日本は長年高度成長期を経て、無国籍、無人種国家(愛国心や国、人種を意識しない事)でも国民は自信がもてました。 しかし、人生が上手く行かなかった、会社を解雇された。となると自分自身は一体何なのかと自信を失います。そのような弱った心がすがりやすいのは、国家主義や人種主義です。 なにせ、何も努力しないで自分を誇れるのですから。 日本国家に生まれた事。それだけで素晴らしい。 大和人(純粋な日本人?)として生まれただけで素晴らしい。 そんな思想に、すがりたくなるのです。 今の日本国家そのものは、アメリカの傘の下である事は明確で独立国としては乏しく「国家」に誇りをもてません。そうなると残るは「人種」と言う血で優越感を望むようになります。 これは日本に限らず、窮地になればなるほど国民は民族主義や国家主義にすがります(今の日本はそこまでではない。むしろ欧米から比べると地球市民思想が蔓延しすぎ。外国人に生活保護を手当てすると言うのが良い証拠。恐らく最近のこの傾向はその反発。不景気も影響しているでしょう。)

noname#181693
質問者

補足

回答してくださったのはありがたいのですが,わたし自身は,「国家」や「コスモポリタニズム」のことについては,一切触れていません。 また,「経済とイデオロギーの関係」についても,すでにそれは盛んに論じられているものです。 わたし自身,あなたなりの<考え>があると思うのですが,それはどのようなものでしたか?

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