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日本の敗戦と原発事故が似ている

8月15日が終わり終戦特集などを観て、あの戦争の開始と同じく終わりも自分たちで決められなかったということを知りました。役人独特の事なかれ主義というか無責任主義と思います。 先の東日本地震の際の原発事故についても同じような経過をたどっていると思います。 地震で原子炉が壊れたのかどうか?津波が原因なのか?その後の処置の不手際などについて責任者や原因を不明のまま再稼働しています。まさに無責任主義で終戦時と同じに見えます。 そこで質問ですが、この傾向は日本人独特なのかそれとも他の民族や国も同じなのか? もし日本人独特ならなぜか? お答えをお待ちしています。 宜しくお願い致します。

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  • sync-mag
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回答No.12

 アメリカでは、福島第一の事故とミッドウェー海戦の相似を指摘する論調があると聞きました。単なる局地戦に敗れたのではなく、システムとしての日本の敗北だというわけです。「敗戦」のような全面的な破綻にいたっていないだけで、このままなら不可逆的な破綻が待ち受けているだけなのではないでしょうか。  質問者様が指摘されている問題意識に全面的に賛成です。しかし、これが日本人独特とまで言えるかどうかはわかりません。  大日本帝国の本質とは、全国の郷党的むら社会を統合した官僚制近代国家だと、わたしは見なしています。古代的(観念的)な天皇制を前面に押したててはいましたが、これは日本の近代化を正当化する一種のタテマエだったのだと思います。これで国民を説得したわけですね。  とても独特な国家体制を築いたと思いますが、いっぽうで個々の要素を見ると、日本にしかないものではありません。  たとえば、官僚組織というものはどこの国でも近代国家の成長につれて肥大化していくものです。そして、肥大化した組織は組織のために行動するようになります。戦後の日本で「省益あって国益なし」と言われる状態がこれです。  官僚にはおおむね優秀な人物がつくものですし、わが国でもこれはそのとおりだと思います。しかし、官僚個人ではなく組織としての官僚制はつねに前例踏襲を旨とし、上意下達を原則とします。そうでなければ、たとえば官僚が個人ごとに違うことをやり始めたり、上司の命令に従わずに独自の行動を取れば、たちまち行政は混乱してしまいます。  これが官僚に特有の無責任性につながっているのだと思います。自分がこの行動を取っているのは上司に命令されたから、前任者の申し送りだから、なんて場合にその判断に責任を感じる人は少ないのでしょう。まれにいないこともないのですが。  この官僚組織の弊害を埋め合わせるのは政治家の役目です。政治家が選択肢を提示して選挙を戦い、その結果選ばれた首長なり議員が役人にその実行を求めるのが本来のあり方です。  しかし、この過程が有効に機能しないとき、たとえばスターリン統治下のソ連や毛沢東の中国のような場合にはあまりにも過剰な政治性がすべてを覆い尽くしてしまいます。国家を形成するイデオロギーが個人の顔を持ってあらゆる決定に優先する状態です。行きすぎた事例ですので悪しき実例にしかなりませんが、近代化にあたってはある程度必要な段階なのではないか、と考えています。  その点日本はといえば、イデオロギーの上では天皇が該当したはずですが、わが国の天皇は歴史的条件の相違からこの展開を辿りませんでした。明治の元勲たちはその資格がありそうですが、彼らが退場するとともに後継者は現われませんでした。その後の政治家たちはいまの政治情勢を見るかのごとき錯覚を憶えるほど、目先の党利党略にとらわれ、大局的な決断を下せず、そして退場を迫られてしまいました。選挙民もまたその時々でのトピックに飛びつくだけで、国の行く末に真剣な判断を下せませんでした。それだけの回路がなかったからでもあります。  結果的に、判断する意志の不在という政治的空隙を埋めたのが軍国主義であり、あの膨張的な指向性なのだと思います。  そして、官僚制は軍組織も同様に彼ら独自の決定を下せないまま、敗戦へとつき進んでしまいました。彼らは決定を下せない自分たちを「すでにある決定は正しいからだ」と自己正当化を図りました。  このような組織が失敗の真相を究明したり、責任を追及したりといったことに及び腰になるのは、ある意味当然のことでしょう。もしこれをやり始めてしまえば、その個人は組織の正当化という目的に背いて組織の一員である自分を否定することになりますし、これまでの決定を覆す決断に対して責任が発生するからです。  これこそ東京電力をはじめとする原発ムラの住人たちがやっていることですね。原発の推進を国策として決めたのは彼らではありませんでしたが、いったん決まったからにはその正しさを証明することに躍起になります。そのために必要とされたのが安全神話であり、その結果がいまの惨状でしょう。  しかし、彼らが誤っていたことはすでに明白です。そして、その結果を引き受けるのが国民であることも明白です。ならば、捨ておくわけにはいきません。幸い、いまは戦前ほど情報が隠蔽されているわけではありませんし、国民の側に意見を表明する機会がないわけではありません。  もう誤りはくり返さずに、今度こそミッドウェー海戦で引き返せたという結果を期待しています。  というわけでご質問の点ですが、これがわが国固有の歴史なのですから、日本独自の現象だと言えるでしょう。しかし、異なる国であっても同じような条件に置かれたら同じようなことをしでかしたのではないかとも思うので、日本人に独自だとまでは言えないのではないでしょうか。  ほかの回答者様が『ベスト・アンド・ブライテスト』を例示されていましたが、福島第一の事故について書いた大鹿靖明『メルトダウン』を「日本版『ベスト・アンド・ブライテスト』だ」と言った人がいます。この連想にわたしはとても納得しました。  長文回答失礼しました。

thomasimai3
質問者

お礼

大変わかりやすく示唆に富んだ内容でした。 さてこれをもってこれからある選挙でどのように反映させるかが問題のようです。国民一人一人の賢い選択がありますよう。 祈るしかないのかな?

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その他の回答 (11)

  • yingtao7
  • ベストアンサー率17% (124/699)
回答No.11

日本独特と言い切ってもいいでしょう。 しかし少し違うところがありますね。 あの戦争は・・・当時・・・現在・・・ 政府に取って都合の悪い事は、時間と共に少しずつ消されていきます。 あの時・・・決められなかった? よくわかりませんが、自信をもって決めた人物がいたはずです。 と、言う事で、結論を言いますと・・・ 「都合の悪い事は隠蔽」 日本の隠蔽体質は今も加速中!

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  • damerimen
  • ベストアンサー率38% (8/21)
回答No.10

日本独特ではありません。官僚主義の弊害は知られていますがだからと言って劣るわけでもありません。国のトップが責任を転嫁する慣例が始まったのは清和天皇の御代忠仁公良房から。歴史背景の異なっている国と比較しても意味がないと思います。 情報公開や対策の遅れは未熟な政党に責任があるものであって、目立っていませんが官僚はきちんとやるべきことをやっています玄人揃いの官僚が大臣を叩いて仕事させろと言う意見も最もですが、あんないい加減なマニフェストを遊び半分で選択する国民にも責任の一端はあります。 また、東北電力の女川原発はなぜ事故を起こさなかったのかを考えてみても日本の官僚主義の弊害や民族性であるとは思えません。関東人と東北人は発想がまったく違います。民族性とはどの地方のことを指すのでしょう?

thomasimai3
質問者

お礼

最近ある事から日本の官僚が実に良く働いていることを知り感動しました。 そうなるとやはり政治家に問題があるのでしょうか? 個人的意見ですが、田中角栄氏のロッキード事件以来、政治家が小粒になったような気がします。お利口さん風な政治家を選ぶ国民にも問題がありそうです。 大変参考になりました。ありがとうございました。

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  • booter
  • ベストアンサー率34% (269/769)
回答No.9

この問題については色々な観点がありますが、重要な事ですので浅学の身ですが回答します。 文藝春秋2012年9月号の新世界地政学-文化と機構文化-(船橋洋一)より引用 -----  福島原発事故を調査・検証する国会事故調(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)の黒川清委員長が、報告書(英語版)の「委員長からのメッセージ」で「この災害はメード・イン・ジャパン」であるとし、「その根本原因は、体制順応、お上崇拝、計画への固執、集団主義、島国根性など染み付いた日本文化のありようにある」と書いた。  そして、「もし、この事故の責任を別の日本人が負ったとしても、結果は同じだっただろう」と結論付けた。  この「メード・イン・ジャパン」論をめぐって内外で議論が起こった。  ジェラルド・カーチス米コロンビア大学教授は、「文化によって行動が決まるのならば、誰も責任を取らなくても良い。問題は人がした選択であり、その文化的背景ではない」と批判した。  英フィナンシャル・タイムズ紙は、「チェルノブイリ原発事故の後、日本の政治家や技術者は事故原因がソ連の設計や運用にあると判断し、日本の原発の安全性を検証しなかったことが(フクシマの)悲劇につながった。他国はこの過ちを繰り返すべきではない」と指摘した。 ----- 私は海外からの批判もうなずけるのですが、黒川氏が言いたかったのは、既存組織による構造的問題の残存であり、これの改良、乃至は解体と新規構築を行わなければ、問題が根本的に解決しないという点を述べているように思われます。これを船橋氏は「おそらく黒川氏は、文化と言わずに機構文化というべきだったかもしれない」と簡潔に極めて上手くまとめています。 上記のように、海外からのリーダーにおける運営責任論と、日本内部での組織機構問題の根本原因論による解決策の齟齬が見られるのですが、(-ここからは私個人の意見になります-)、これらの問題に関する根本原因に日本人の無責任さという単純な結論でまとめてはいけないと考えています。 上記の黒川氏の指摘のように、「その根本原因は、体制順応、お上崇拝、計画への固執、集団主義、島国根性など染み付いた日本文化のありようにある」という指摘には私は概ね同意です。この上記「集団主義」に少しスポットを当ててみましょう。集団主義を私なりに解釈すると、誰も進んで責任を取らない人間によって構成される集団(無責任集団)、という事になるのですが、それでは責任を取る、という事はどういう事なのでしょうか。 これについては私の経験談を少しお話させて下さい。 私が以前の職場で職場ルールに反した運用を、私の先輩から押し付けられそうになった際、「大丈夫、責任は俺が取るから」とその先輩より言われたのですが、その先輩が行っていた違反行為に対し、先輩自身があまりにも責任という言葉を極めて安直に用いた事に対して内心憤慨した私は「いや、責任という言葉は本当は違反をせぬよう、取らないようにして、正しい行動を能動的に行う為に責任者となるのが本当であって、違反を前提としている状態で使う訳ではないですよね」と違反行為を押し付けられそうになった私は、自分の怒りを抑えられずに言ってしまった事があります。その先輩の行動を許容していたその時の職場も噴飯ものですが、私個人の感覚としては、責任という言葉を肯定的に捉える文化が日本の企業には無かったように思います。 対してアメリカの例を出しますと、以前黒人でありながら国務長官となり、統合参謀本部議長時代には湾岸戦争を指揮したコリン・パウエル氏は、その自著、「マイ・アメリカン・ジャーニー」の中で、進んで自分と周囲への責任を取る彼自身の性格が上長より認められたという記述があります。これは進んで責任を取るというのは、組織の正しい行動の為に間違いを犯さぬようきちんとした運用を行う、と言い換えても良いでしょう。 そして前述の私の先輩などは、同じ責任という言葉を使うにしても、上記パウエル氏の正しい行動を進んで行う、という事とは真逆の「違反を許容し、露見した場合(仕方ないから)罪を被る」という事をしていたのです。 私個人の経験談も踏まえてのお話ですので、これは一般論ではありませんが、こうした責任に関する思想性があるのが、日本と海外の差ではないかと思います。 そして更に追求すべき疑問が沸きあがります。 なぜこうした思想性の差異が出てくるのでしょうか。 月並みではありますが、これはキリスト教の有無の差、もっと言えば文化的機構「コルプス・クリスティアヌム」の有無の差ではないかと思います。「コルプス・クリスティアヌム」という言葉をあまり深く把握しないままこの言葉を使ってしまうのですが、「コルプス・クリスティアヌム」とは、欧米圏に見られる思想性の事で、これらはギリシャ哲学、ローマ法、キリスト教から為るもの、となります。あるいは、ここから債権問題に悩む南欧を除きたいのであれば、近代精神の有無と言い換えられるかもしれません。近代精神とは、エルンスト・トレルチの論文「近代精神の本質」によると、古代、キリスト教、ゲルマン精神、近代精神の順に生じた四つの根本要素によって構成される、と論じているようです(私は「近代精神の本質」は未読です)。 これらの精神には、物事を合理的側面から分析し、物事の真理をつきつめて、それを現実に応用するという傾向があります。 対して日本でもそれらが完全に無いとは言いませんが、民族的性質からその傾向は弱いと言えるのではないでしょうか。 これは海外の宮殿における平面幾何学的な庭園の設計と、日本における侘び・寂びを重視した日本庭園の設計(日本庭園を造る方は、植えた木の将来の成長まで見込んで配置を考えるのだそうです)を見れば理解が深まるのではないでしょうか。 あるいは、マンホールに模様が書かれているのは見た事があるかもしれませんが、数学的な模様の書かれたフランスのマンホールと、桜やスズメの絵が描かれた日本のマンホールを見ても良いでしょう。 さて、話しを少し戻すと、こうしたキリスト教を含む文化からは何が生まれるのでしょうか。それは正義などの諸概念の定義を哲学的、法律的、思想的に明確にし、これらを実現するという行動です。私の個人的意見ですが、これにより、「組織運営」と「リーダーシップ」の文化が発達したのではないかと考えます。 そして、いろは歌などに代表される諸行無常など、日本には「正義などの諸概念とは時代によって移り変わり、不変のものではなく、人間自身によってその定義を突き詰める事ができない」「10億年後には現在の人間の行動など意味がなくなる」という思想が根底にあり、更に下手に現場の人間が優秀であって組織がまわってしまっていた為、「組織運営」と「リーダーシップ」の文化とその学問的研究が、アメリカと比較してどうも過去の日本では意気軒高ではなかったのではないか、というのが私の意見です。今日の日本では組織論などはさかんでない事はないのですが、その引用文献はどうしてもアメリカのものが多くなります。 ただ、それらをしてアメリカを全て見習え、そして日本にはその資質が無い事を理解すべきだ、という事を言いたいのではありません。 日本にはかつて優れたリーダーシップを執った偉人達が沢山いましたし、今現在もそれらは続いています。また、それらのリーダーシップを発揮した人間には、実際に動く母体が複数の人間によって組織されていたのですが、それらが上手く機能していたという証左でもあります。 日本と日本人には素質と資質があります。しかし不足しているのはリーダーシップ研究、組織研究、そして更に遡れば機構的文化と、民族的思想性になります。 日本という国は何かを生み出す土地ではありません。正義・資本・主義・競争などの概念は欧米から輸入しましたし、文化源流は中国です。ゼロの概念はインドですし、根本的な概念を発明して世界に展開したという例はあまり無いのではないでしょうか。しかし、それらを上手く取り入れてそれらを育てて展開する、改造して自分のものにする、という事については非常に長けている国だったので、この機構的組織とその民族的な根本原理に関してもその身に取り込み、変容する事が今後可能なのではないかと予想しています。 できるだけ噛み砕いて書きましたが少々難解な文章だったかもしれません。 浅学のまま記載した為、ツッコミどころがあるかもしれませんが、お気づきになりましたらご指摘下さい。 不明点については追加でご質問下さい。

thomasimai3
質問者

お礼

まさに浅学の私にはかなり難解な内容でしたが、参考になりました。アメリカはベトナム戦争を終結させたことからみても自浄能力は高いと思いますが、他のヨーロッパ諸国はどうなのか不明です。

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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.8

日本は特殊なのかどうなのか? という話で行くと、そんなに特殊じゃありませんよ と、判断しております。 参考 http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20120119/1326944335 ベストアンドブライテスト ベトナム戦争で学習したんだよね? この本が出たのは 1972年

thomasimai3
質問者

お礼

大変興味のそそる本です。 早速読んでみます。ありがとうございました。

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  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.7

    この傾向は日本人独特なのかそれとも他の民族や国も同じなのか?      まず僕なりに「この傾向」の特定をします。これは政府が知っていることを国民に知らせない、と言うことだと思います。     そこでご質問ですが、僕の経験から申します。今のロシアが「CCCP(ソビエット社会主義共和国連邦、略してソ連)」のころです。     モスクワのホテルで、夜中にボソボソ話し声がする、しかも部屋の中らしい。調べてみるとラジオでした。あるのは音量調整のダイヤルが一つ、しかも音を下げてもスイッチが切れないのです。じゃコンセントを抜こうと思ったのですが、壁からコードが出ていて抜く方法も無い。     同調のダイヤルがないことは、政府のニュースしか聞けない、しかも「聞かない」自由も無い、いわば洗脳専用のラジオです。     福島の融解が、数日後には外国で公表されているのに、日本では数ヶ月も真相が聞けなかったのも似ています。子曰、民可使由之、不可使知之 を役人の自己弁護に使うのは間違いだと思います。     僕の回答は、残念ながら他の民族や国にも、あるようだ、ということです。

thomasimai3
質問者

お礼

正直なところ安心しました。 ありがとうございました。

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  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.6

他国例えば今のギリシャなんかも他の国からあーだこーだいわれても国論を統一できないのですから、外国でも多少なりともあるところではありますが、日本の「いざというときの決断力のなさ」は飛び抜けたものはあるかと思います。 元々、日本人は決断力を訓練する機会がないですよね。リーダーに求められるのは決断力でも統率力でもなく、調整能力です。例えばAという意見があり、それに対立するBという意見があって割れていたときに日本ではどんなリーダーが求められるかというとAの意見派とBの意見派のそれぞれの話を聞いて調整し、間を打って双方の落としどころを見つけられる人です。 あと日本人は自分の意見を決められないですよね。「あなたは宗教についてどう思いますか」とか「あなたは原発に賛成ですか、反対ですか」と聞かれると多くの人が「私は肯定も否定もしません」という曖昧な答えを選びます。どちらを選ぶのと聞かれてもあえてどちらも選ばないのですよね。 昔、英会話を習っているときに気づいたのですが、「ご機嫌いかが(How are you today?)」と聞かれたときには「元気です(I'm fine.)」と答えるのが「お約束」なのですが(もちろん元気がないときはノーと答える)、日本人の多くが「まあまあです(Just, so so.)」と答えたがるのです。 しかしそれは非常時はとんでもない欠点として現れます。だって、例えば大地震がきて津波がくるかもしれない、車で逃げると速度は速いけど道が渋滞したら逃げられなくなる、歩いて逃げるのは確実だけど間に合わないかもしれない、さあ、どちらを選ぶかとなったときに「車でも逃げないし、歩いても逃げない」となったら最悪の選択ですよね。 実際問題、東日本大震災のときに逃げることを選択できた人たちの多くが助かり、「自宅で様子を見る」を選択した多くの人が犠牲になったわけですよね。 あとは日本人の独裁者嫌いって傾向もあると思います。実は日本人は独裁者が大嫌いなのです。東条英機をヒトラーやムソリーニと同じように見る人がいますが、実際の東条は官僚の中の官僚といったタイプで、独裁者とは程遠い人です。 だいたい、日本史上独裁者タイプの人はロクな死に方をしていません。日本史上最大の独裁者タイプであった織田信長は謀反で死んでいますし、大久保利通もテロで死んでいます。だいたい独裁者タイプは暗殺されるんですよ、日本では。今も大阪市の橋下市長に対してはものすごい嫌悪感が強いですよね。決断しなきゃ大阪府は破たんするのに、それでも決断する人を嫌だといっていますよね。小沢一郎ももうちょっと他人に耳を傾ける日本人ウケするタイプならとっくに首相になっていたでしょう。それに他ならぬ小沢一郎氏自身が「私は首相を目指す」という決断をしなかったですよね。キングメーカー、黒幕であろうとしました。 明治維新から敗戦までで、だいたい80年くらいです。今が戦後67年です。なんかそういうスパンにきているのではないかなと思いますね。

thomasimai3
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 このバランスの無さが、尖閣や竹島問題で不利にならないことを願うばかり。 これって神風を祈るようなものですね。

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noname#212854
noname#212854
回答No.5

 日本の敗戦と、原発事故と、そして直ぐ間近に迫っている、1000兆円を超える借金による財政破綻によって、日本国民の生活水準がある日突然現在の2分の1以下になるのも、官僚の日本統治によるものです。  これら、最高の権限を持っている者の、無責任で、放漫経営のし放題な国は、日本以外には無いように見受けられます。  それが日本でのみ成立する仕組みの一つは「天皇制」ですが、それがどのように働いているかなどを検証するのは、現代日本社会のタブーですので、なかなか説得力のある論述はできていません。  実質的な権力の上に、見せかけの権力があるような、素朴な言い方では推し量ることのできません。  一番強い権力をもっている者たちが、最もずるい人たちなのです。  緩くて強い権力と、ずば抜けた狡猾さと、両方を所有できる仕組みが、この国にはあるのです。

thomasimai3
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 無意識にこの支配構造を感じ取った国民が子供を作らないようにして人口減少をして江戸時代に戻ろうとしているのでしょう。 だから少子化に歯止めがかからのかも。

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noname#178467
noname#178467
回答No.4

 仰るとおり、日本の歴史は個人が責任を明確にし とるということは皆無だと思います。ただし、とか げのしっぽ切りという言葉があるとおり、ある大きな できごとの処理に下っ端の個人が責任をとることで、 事件の幕引きがされるのは良くあること。 で、これは全世界に共通する心理であり起こりうる 事ですが、個人の自我が古くから発達した欧米に比し 自我の発達が遅れたアジア全体の特徴だろうと思いま す。個人主義でない事が集団的無責任主義になるので すね。それにしても原発問題での東電社長、管前総理 などの無責任・無能さを思い出すと、最近やたらと ナショナリズムが高揚し必要以上の外国排斥主義にな っているのは昔からよくある国内の失政の不満を外に 向けてごまかす政策かなとも思えたりします。 は

thomasimai3
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参考になりました。

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  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.3

事故後に限らず事故前の各組織の在り方からして、通じる点はある。 ・参謀総長に長年宮様が就いていた。   宮様を批判するわけにも行かず、何となく参謀本部の主張には唯々諾々と従う ・陸軍と海軍と外務省とかそれぞれ独自に対外情報の収集を行っていたが、お互いの情報の突き合わせをしないのでその信憑性がさっぱり 対して ・規制官庁の担当者は数年単位で人事異動するので技術や知識知見の蓄積がない   対して、東電側は長年の蓄積があり、規制官庁が規制内容を東電の助言を受けて作っていた ・地震と津波と人為的ミスとそれぞれが、連動することなど思いもせず   仮に疑問を持ったとしても、疑問を持つ方が変人扱いを受けるような風潮 と言う風に、一人一人に信念というか独自性がなく、こんな事を言ったら変に思われるから黙っていよう どうせ、二年もすれば人事異動で部署変わるしね。 という事なかれ主義という意味では類似性がある部分も。 国民性というか民族性の部分が大きいと思う。 何か自己主張すると、「空気読め!」とか言われちゃうしね。

thomasimai3
質問者

お礼

日本人独特ということでしょうか? 回答ありがとうございます。

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  • yasuto07
  • ベストアンサー率12% (1344/10625)
回答No.2

こういう質問んをしているカラです。責任を追求しない国、日本です。全体主義に変えてごまかすのが日本のスタイルです。

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    NHKスペシャル「原発メルトダウン・危機の88時間」によれば、2号機はベント出来なかったので、所長は「東日本壊滅の危機」と恐れたが、幸運にもそれを免れた、とありました。 免れられた原因は未だに解らないが、格納容器のつなぎ目が破損して、圧力が抜けたのではないか?と推測されているようです。 質問は幸運にも東日本壊滅ほどの大規模放射能放出が起きなかった、ということは、未だに原子炉の中に放出されないエネルギー残っていて、何かのショックで、また大放出が起きる可能性が有るのではないか?と言う心配です。 このことは、原発による日本壊滅の可能性がどれほど高いのか?ということを頭に入れておきたいための質問です。 質問 1、二号機が何かのショックで、今後放射能を大量放出して日本が壊滅する可能性は今も残っていないのか? 2、格納容器と言うものが、爆発する前につなぎ目が破損するような弱いものだったとすると、強度設計にミスがあったということではないでしょうか? とすると今全国に有る格納容器すべてが疑わしい事になりますが、そのあたりの追及は現状どうなっているのでしょうか? 3、NHKの番組では、地震による破損と津波による破損を区別していませんが、私は津波の前に、地震によってすでに根本的破損が生じていた可能性があったような気がしていますが、如何でしょうか?

  • 東日本大震災と原発の責任と保障について

    まず今回の地震と津波で亡くなられた方に哀悼の意を表しし、被災した方々には心よりお見舞い申し上げます。 今回の地震、地震と津波と原発による被害と責任と保障について何かふに落ちません。 まず地震。地震は防ぎようがない。しかし、地震が必ず起こることが分かっていた(地震の大きさは想定外だとしても)地域に住み続けているのは『自己責任では?』と思うのです。しかし、仕事上等々で引っ越しできない理由はあると思いますが。 地震保険の加入率も東北は他の地域より高いですよね。地震が起こる確率がほぼ100%である地域なのだからできるだけ保険や家の建て替えや耐震補強等々または他の地域への引っ越し等々、個人単位ででできるだけのことをするのが妥当です。そうした人が被害が少なかったのではないでしょうか?また地震保険による保証が出るのではないでしょうか? そして日本列島に住む以上どこで地震が起こってもおかしくない事はわかっていることなので、私を含め日本に住んでいる人は、今回の地震や今後の地震による被害はある程度、自己責任ともいえないでしょうか?地震のない国に引っ越せばいいのですから。(私は不可能ですが・・) 次に津波。今までの経験上、地震による被害はある程度想定できていたはずです。つまり、地震と津波は防げませんが、津波による被害は大幅に縮小可能だったはず。個人単位での判断で海の近くには家を建てない、防災訓練、ライフジャケット等。地震よりも場所が限定されるのでちょっと人災もあると感じるのです。というのは、海側の土地に居住区域を建設をすることを許可しなければ被害は少なかったはずだから。 津波を想定して、値段は高いが高台の土地を買った方もおられるはずです。海側の土地を買って家を建てた方は、そのリスクを選んだ(選ばざるを得なかった人も含めて)『自己責任』とも言えませんか? そして原発。これは人災です。原発による被害の救済責任は東電にあり、逆立ちしても鼻血も出ない位保証させた上で、その上の責任者(建設許可を出した)の政府がとるべきです。 しかし、その原発の存在する街を選んだのは誰でしょうか?津波と同様、いくら安全だと言われたとはいえ、この上ない危険な施設が近くにあるのです。例えば、隣が警察署で前が公園、駅もスーパーも学校も近いというような土地の値段が高く、風俗店の隣の土地が安い様に、原発が存在する土地を選んだのではないでしょうか?その分東京よりも土地は安いのです。そして、原発があることによって町の財政は潤い、市民にも還元されているわけです。安全と言われたからその土地にしたというのは、個の壺は価値がありますよと言われ買ったのと同じではないでしょうか? つまり、申し上げたいのは、地震も津波も原発も被害にあわれた方の自己責任は全くゼロでしょうか?ということです。自分がその立場でも責任は全くゼロではない気がするのです。 原発の近くに住む方はそれなりにお金もおりています(例えば小浜原発で小浜市に住んでいた時に年間1人5000円)。その土地を選んだのは自己責任もあるのでは?と思うのです。 ただ福島以外の県、たとえば茨木沖の漁業被害には原発補助金はおりていないのでその地域の漁業農業の方の責任はゼロだと思いますが。 確かに救済は必要です。私も募金はしています。しかし、その『すべて』の責任(費用)を政府(税金)がもつのは何かふに落ちません。 原発から遠く離れているのに被害を被った人が『どうしてくれるんだ?』というのは納得できますが、原発の近くに住む人や地震や津波の被害(瓦礫や流された車の処分等々も含め)について『どうしてくれるんだ?全部保証してくれよ!』というのはちょっと違うと感じませんか? みなさんはどう思われますか?

  • 川内原発を停止する意味がありますか?

    「平成28年熊本地震」によって九州内の建築物に多大な被害が出ている現状を観て、一部の人達が「川内原発を即時停止するべきだ」という主張がある様です。 福島第一原発は地震発生時にECCSが機能して、原子炉内の核分裂反応が停止し、その後、原発停止時に津波に襲われ、全電源停止状態に置かれ、停止後の原子炉の冷却ができずに、炉心溶融に至ったということだと思います。 この福島第一原発の事故が回避できなかった最大の理由は、全電源喪失時に、車両搭載型電源を接続して炉心冷却をする訓練を一度もしていなかった(だから、電源コンセントの規格不一致に気付かなかった)という人為的ミスが原因と思います。 今回、川内原発の再稼働に際しては、福一の教訓をくみ取り、全電源喪失時の車両搭載型電源接続訓練も実施して(=コンセントの規格一致も確認して)いると思います。 川内原発の即時停止を要求する一部団体は「福島第一は、運転停止後に津波に被災した」という事実を知らずに「原発は運転停止しておれば、全電源喪失しても炉心溶融は起きない」と無邪気に信じているのでしょうか? 質問:熊本で余震あるいは群発地震が継続する期間、川内原発を停止しておく意味はなにかあるでしょうか? 特に福島第一原発の事故の教訓から「川内原発を停止するべき」という主張に科学的な根拠があるのかどうか、原子炉の安全性に関して知見を有する専門家の方よりアドバイをいただければ有り難いです。

  • 原発再稼働は日本破滅への道?

    いつまた東日本大震災クラスの大地震や東日本大震災さえ超える想定外の巨大な大地震が起こるか不明な地震国日本。学習能力無く原発を再稼働させれば手に負えない事態に成りかねない時がいつか来るのでは無いでしょうか?日本はプレートが重なり沈み込んでいる特異点上にある世界でも有数の地震国であり地震のほとんど無い他の国々とは状況が違い過ぎます。一度大事故が起きれば国家に致命的な影響を長期に渡って与え故郷を死の街に変えてしまうと分かっているのになぜ原発を再稼働するのでしょうか?リスクが巨大に過ぎませんか?原発の大事故の責任なんて誰も取れませんよね?誰も事故前の元の状態に戻せませんよね?

  • 原子力は稼動しても停止しても危険

    浜岡原子炉を停止を決まりましたが、危険度が変わらないと私は思うのは間違っていますか。 原子炉は止まって燃料棒を冷やすのに、3年から5・6年掛かると聞いています、そのあと出ないと燃料棒の移動できないと聞いています。 そうすれば燃料棒が移動しないと危険は変わらないと思うのですが、そうすれば地震や津波の対策は稼動してもしなくても強化しなければならないように感じます。 政府が停止を指示したから強化対策の経費は私たちの税金を使うのですかですか、稼動中なら中部電力が出すと思うのですが間違っていますか。 燃料棒が移動しても、原子炉は高レベル放射能を出しますから、やはり地震や津波対策をするために強化対策はしなければならないと思います。 こう理由で原子炉をいったん稼動させると、停止させても危険度は変わらないと思うのは間違っていますか。