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私はすぐ人が憎くなります

障害者マークの駐車場に車をとめる人をみるとその車を蹴ってやりたくなります。 道にタバコを捨てるおじさんにもくたばれよと心の中でののしってしまいます。 寝るために学習室にきているような若者にも今に罰があたるぞと憎んでいます。 他人の陰口をたたく会社の人間にも憎みがわきます。 しかし私自身がこうやって他人の悪口をネットで連呼しています。 なぜ私は自分のことを棚に置いてすぐ他人の罪ばかり憎くなるのでしょうか? 自分自身でもわかりません。憎しみの王様のようです。 私の心理分析および対処方法をご存知の方はアドバイスお願いします。

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回答No.13

  こんばんわ、はしもと35さん。 >憎しみの王様のようです。 :【愛】の王様でもあるのでしょうね、  憎しみが【湧く】ということは、  少なくとも【無関心】ではない、  ということですから。 >他人の罪 :まづ、【自分】について。  【自分】というのは  過去の経験の記憶の集積なので、  はしもと35さんにとっての【自分】と、  それ以外の人にとっての【自分】は、  当然異なるわけですが、  ですから  何が善で何が悪で何が美で・・・  といったことも当然異なるわけですが、    同じであって欲しいと  【期待】するこころが  【絶望】を生み、  その【絶望】を、はしもとさんが、  都合よく【憎しみ】に変えている、  のではないでしょうか。  本当に、【憎しみ】なのですか。  実は【淋しさ】だったりしませんか。 >なぜ私は自分のことを棚に置いて :そうすることで、自分を見ることから  【逃避】するのがラクだからでしょうか。  一時的に【苦しみ】から  逃れることができますし。    と言っているわたしも  【苦しみ】はいやだな~と思うのですが、  一時的に逃れ得たとしても  老化とか病気とか死ぬとか  そういった【苦しみ】からは  逃れることはできませんし、  ごまかせばごまかすほど、  新しい【苦しみ】が来るのを  早くするのぢゃないかなあ・・・  とは思います、一応。 最後に。 勝手に【・・・べき】の奴隷になって、 苦しんでいませんか。 この【・・・べき】も、 はしもとさんの【・・・べき】と 他の人の【・・・べき】 とは異なるのですが、 はしもとさんを苦しめる【・・・べき】は、 他人の【・・・べき】だけでなく、 自分の【・・・べき】も含まれていませんか。 【理想の自分】というのは 【幻想】なわけですが、 【幻想】と【現実の自分】が 葛藤しているのではないですか。 >対処方法 :こうして【自分】について疑問を持ち、  考えた、そうして、質問をする  という行動をした、のですから  あとはそのように  はしもとさんが毎日毎日、  ごまかさず、評価を入れず、自分を見つめ、  毎日毎日生きることぢゃないかな。 最後に・・・といいつつ追記です。 ごまかす自分や、逃避する自分が いけない、のではなく、 そのようなクセを持っているらしい自分を 見るのと見ないのとでは ずいぶん違うのではないか、 ということでした。 お読みいただきまして ありがとうございました。   

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その他の回答 (16)

回答No.17

まあ、一般的にふたつだな。 お前が、日常で満たされない心いっぱいで生きてるか、両親からの愛情十分に感じずに育ったか。

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noname#157552
noname#157552
回答No.16

 あくまで私の推測です。推測以上のなにものでもないので信じる信じないはあなたしただいです。  では本題に入りましょう。おそらくご自身が横暴な性格をしているのではないかと思います。大抵の人は程度により良し悪しを精査するものですがご自身は人の行為に対してなんでもかんでも精査できない精神メカニズムだと推測します。この手のタイプはクレチマーでいうところの闘士型にあてはまると考えられます。ある意味正義感が強いとも言えますが、逆から見れば些細な事ですぐキレる人と周りからは見られていると考えられます。  幼少期のころを推測すると律儀で自分の周りの社会的正義以外は反逆者であるという気持ちが強い人だと考えられます。両親の性格が硬派であったり、それが正しいと思い込んで幼少期を過ごしてきた経験がある、可能性があります。逆に幼少期がそうでなければ途中でそのような信念を植えつけられた経緯があると考えられます。一種の催眠です。おそらくその許せない憎しみを抱くことが心地よかったりするのではないでしょうか?しかし逆にその考え方は多少過剰なのではないかという事に最近気がついて葛藤を引き起こしている状態ということでしょうか?  そう仮定しますとアドバイスとしてはその暗示がどの程度のものか見極めることですね。見極めることで、「なんだ大したことないではないか」と感じる日もやってくると思いますね。

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noname#164833
noname#164833
回答No.15

 僕は、回答をもらったのに、返答をしない質問者が憎いです(笑)。  冗談はさておき、“抑圧”でしょうね。自分が禁止していることを平気でやっている人を見ると憎くなるものです。たとえば、自分がダイエット中で甘いものを断っていると、横でケーキを食べている人にむかつきます。偉そうにすることを禁止していると、偉そうなもの言いの人を見ると嫌悪します。自分が嫌悪しているものをよく考えてみると、自分の抑圧がわかります。    http://www.counselingservice.jp/lecture/lec210.html    http://www.katotaizo.com/lecture/index.html      「何が人づきあいを難しくするのか」

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回答No.14

あなたの着ている服も、食べる物も、そこに突然 現われたのではなく、世界中の人々が一所懸命 働いて、あなたを助けるために作ったものです。 社会生命として人類は、分業=助け合いであり、 労働とはお金をもらうためにイヤイヤ使われてい るのではなく、助け合うために働いているのです。 もし、生きる目的がお金を稼ぐためや自己主張で あれば、周りは競合相手だらけですが、事実は 助け合う仲間に囲まれているのです‥‥とは、 なかなか思えないので、イライラするのも仕方 ないです。

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回答No.12

そう言う場合、「寛容さ」が少ない人に現れると思います。因みに「優しさ」と「寛容さ」は微妙に異なる感情です。 例えば、「道にタバコを捨てるおじさん」と言うのは、現在の日本に定められている「社会的モラル」が正義であると意義付けた時、ゴミを捨てる人は「悪」に該当します。 しかし、その「悪」とはその国家体制が国家主義の下に定義して作った(民衆が支持した例も含む)「悪」であって、人間本来の悪とは異なります。 そもそも、人間本来の「善」や「悪」と言うのもまゆつば物の話です。 あなたが挙げた例は、現在の日本にとっては「悪」に該当する例ですが、道端にゴミを捨てると言う行為が「悪」になりはじめたのは比較的最近で、江戸時代などでは、城内などの特別な場所でない限りは「悪」と言う概念は存在しませんでした。 人間が作り上げた「悪」などはその程度のものであって、社会的な情勢や国家体制によって都合よく変わっていくものです。 「寛容さ」と言うものは、そのような人間が都合よく決め付けた「悪」に対して、寛容になると言う事です。(限度はあります。) そして「善」「悪」で人を罵る気持は、正義を振りかざす野蛮人と言える行為です。 まず、あなたのその野蛮さを真摯に自覚する事が第一歩だと思います。

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noname#175120
noname#175120
回答No.11

それで、ストレスが解消されているとか前向きならいいですがねぇ。 逆にストレスが溜まっているような感じを受けます。 まあ誰でも多かれ少なかれそうじゃない? どこかにはけ口を作るってのも良いでしょう。 何より他人の行動に無関心よりはマシだと思います。 他山の石とされてはどうでしょうか?

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noname#259625
noname#259625
回答No.10

私はクリスチャンですが、聖書にはこういう格言があります。 「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする。違犯をゆるすのはその人の美しさである。」 「洞察力」というのは見えない物事を見る(識別する)能力のことです。人が腹立たしく思える行動をとっている時、その人の行動には理由があるはずです。hasimoto35さんの場合、その理由を性急に断定しているように感じました。確かにそれが当たっている場合もあるでしょうが、しかし人には他の人には分からない複雑な事情を抱えている場合もあるものです。hasimoto35さんもいくら口で説明しても他の人(一部の親しい人は除いて)には理解してはもらえないようなことを経験したことはありませんか。 私も実はナルコレプシーという病気が中学生の頃に発症してしまいました。この病気のお陰で昼間はとても眠くて、授業中も居眠りばかりで、周りからも誤解されました。それを正確に理解してくれる人は少なかったと思います。というか、私自身でさえもそれが病気だとはその時知りませんでしたし。このように、人は病気や悲痛な経験、ストレス、トラウマなど他の人の知らないところで様々な複雑な事情を抱えているものです。 それで、それを多分初対面の人がすぐに「あなたは間違っている」と断定するのは、裁判官が被告人の話を十分聞いてもいないのに有罪判決を下すことと同じような感じがします。本当にその人にはもう情状酌量の余地がないのでしょうか。 たとえ、明確な悪意があると思えるような行動でもそれは当てはまります。例えば、あなたに会ったばかりなのに、ある人があなたに激しく敵対的な言葉や行動をとったとしましょう。そのような時こそ、「洞察力」をもって考えてみるべきです。もしかしたら、その人はあなたに会う前に何かとても嫌な経験をしていたのかもしれず、あるいは病気の痛みや心配事が原因でストレスがたまっているのかもしれません。そして、そのあがきが悪口や意地悪な行為などに現れただけなのかもしれません。 ですから、そのような場合、その敵対的な言葉や行為を「自分自身に対する攻撃」とみなすよりも「その人の悲痛な叫び(助けて!という救命サイン)」とみなすことができます。そして、「どうしたんですか。何か(嫌なことが)あったんですか。いつものあなたとは違っているように感じたんですけど・・・」などとさりげなく尋ねてみるのはどうでしょうか。もしかしたら、その人は「うん、実は、こうこうこういうことがあったんだ・・・」と事情を話してくれるかもしれません。(もちろん、「余計なお世話だ!」とつっぱねる人もいるでしょうが。しかし、その場合、かなり「重症」なのでしょうね。) ただ、問題はそのように「洞察力」をもって他の人の事情を考慮するだけの心の余裕があるかどうかという点です。もしあれば、是非、「この人はどうしてこんなことをするのだろう。何か特別な事情があるのだろうか。何か嫌なことがあったのでないだろうか」などと考えてみてください。人が奇行に走る場合、大抵その人の背後には同情に値する悲しむべき物事が関係しているものです。 しかし、そのような心の余裕がないという場合は、http://okwave.jp/qa/q7509290.htmlのNo.9の私の回答をご参照ください。

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回答No.9

 こんにちは。  同胞(はらから)あるいは同じ家族ではないかといった思いと意識があるから そう感じるのではないでしょうか。  ですから その人たちが 兄弟であり親戚であると思ったら――つまりあるいは 意識していなくても そういう思いがあるとしたら―― まづ じつはそういう思いがわたしにはありますと言って声をかけるのは どうでしょう?  そういう思いが出て来てしまうのですが そのとき ついつい あなたの行動は納得が行きません それについてこれこれの文句を言いたいと言って 声をかけてやればよいのです。  あたまでは 自分の行動を抑制しようと考えている。けれども 内に湧く思いは 人間の心だと思っているから なおも現われて来ましょう。  ですから 人びととの・つまり社会との間合いの取り方を 心得るようになって行かれることでしょう。

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回答No.8

>なぜ私は自分のことを棚に上げてすぐ他人の罪ばかり憎くなるのでしょうか? 自分を見つめると惨めになるからではないでしょうか。 私は、きっと、もっと優秀で、周りから尊敬を集め、多くの人に愛されているはずなのに、なぜか、現状は逆だ。 もし現状の自分を見つめても、つらいばかりで、ノイローゼになりそう。 そこで、他社の悪い面を見つけて、そこに怒りを向けることで、自らに向かう怒りを方向転換させ、自分が傷つかないようにしている。 対処方法は、目の前にある幸せを探し出し、自分が恵まれている存在であることを再確認することです。

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  • hekiyu
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回答No.7

誰でもそういう感情は持っていると思いますが 要は程度の問題でしょう。 質問者さんの程度がどのぐらいなのか、これだけでは 判りませんが、相当ヒドイ、と仮定しての話で。 完全主義者である。 何らかの不平不満が鬱積している。 正義感が強い。 殆どの人は、不平不満の表れですよ。 何の、何に対する不平不満かは人それぞれですが そういう不満を胸にためて人生をやっていると 顔つきまでそういう不満顔になってしまいます。 対処方法ですが、NHKでやっていた対処法の応用は どうでしょう。 『道にタバコを捨てるおじさんにもくたばれよと心の中でののしってしまいます』    ↑ こういう場面に出くわし、このように思ったら あ、今俺は 『道にタバコを捨てるおじさんにもくたばれよと心の中でののしっている』 と、心の中で思う、という手法です。 これを繰り返しやっていると、感情が客観化され冷静に なれるそうです。

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