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明治10年に土足で出入りする建築
明治10年に土足のままで上がり、出入りするような、床板が張られたような建物は存在しましたでしょうか。 可能であれば、建物の詳細も知りたいと思います。 よろしくお願いします。
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- sunchild12
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回答No.3
すでに回答されていますように、外国人居留地の洋館などは靴のまま出入りしていたようですね。 蛇足ですが、いまだに神戸市(隣の芦屋市を含む)の小中学校では上履きを使用せず、下足のまま教室に出入りします。 これは、明治期に居留地に西洋の文化が入ってきた名残がいまだに残っている為と言われています。
- blackhill
- ベストアンサー率35% (585/1658)
回答No.2
日本で最初の洋靴工場ができたのが明治3年、明治5年には大塚製靴が創業し、同10年には帝室御用達になりました。宮中でも、洋式ライフスタイルが定着していたようです。 http://www.echirashi.com/column/column.cgi?view=226 靴を大量に必要としたのは軍隊ですが、官公庁でも土足で出入りしていたと思われます。明治村に移設保存されている三重県庁舎は、当時の官庁建築の典型で重要文化財に指定されています。(完成は明治12年ですが、設計は明治9年)。 東京築地、横浜、神戸など居留地に建てられた銀行や商社、ホテルなど洋風建築は、基本的には床板を張った建物でした。外国人のために建てたので当然ですが。
質問者
お礼
ありがとうございます。 日本の靴の歴史から追うと日本建築の歴史が見えてきますね。
- ultraCS
- ベストアンサー率44% (3956/8947)
回答No.1
外国人居留地(長崎や横浜、函館等)には、外国人の居住する家屋がありましたから、それらは当然土足です(グラバー邸等)
質問者
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。 下足の小中学校がまだあるんですね。