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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:死ぬのが怖いです)

死の恐怖について

このQ&Aのポイント
  • 死ぬのが怖いです。死によって永遠に消滅し、何も思考できなくなることが怖すぎます。
  • 具体的に病気になって意識が失われていく様子を想像すると、恐怖を感じて震えが止まりません。
  • 死の恐怖を乗り越える方法はありますか?皆さんは死の恐怖を感じないのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.11

72歳、男性です。 私は、昨年の秋に、開腹手術を受け、術後の経過が良くなく、一時は死を覚悟した事がありました。 その時、「死ぬ」ということに関して、いろいろな感情を味わいました。 一つは、妻と別れる悲しさでした。 もう二度と会えないのだと思うと、どうしようもない寂しさと悲しさに襲われました。 いくら会いたいと望んでも、もう決して二度と妻の顔を見ることは出来ない。その寂しさ、悲しさ。 そして、若い頃、私の我がまま、私の横暴な振る舞いによって、妻を悲しませ、苦しませて来たことへの「すまなかった」という思い。と同時に、苦労をかけてきた妻への感謝の気持ちでした。 二つ目は、私の周りの人達はまだ楽しくにぎやかに生きているのに、自分だけが、たった一人で、楽しいこの世と別れて、トボトボと知らない世界へ入っていかねばならない、という寂しさ、悔しさでした。 三つ目は、死んだ後、自分は一体どうなるのだろうか、という不安と恐怖でした。 死が怖いと思ったのは、三番目に感じた感情でした。 一つ目の寂しさ・悲しさを感じてから、だったら、せめて、あと何年生きられるか分からないが、命ある限り、精一杯、妻を大事にしよう、と思ったものでした。 二番目の事は、私の力で変えることの出来ない、どうしようもない事なのだし、最後は誰もが通らねばならない道であって、避けて通ることの出来ない、仕方のないことなのだから、粛々と、運命に従って、通って行くしかない、と覚悟を決めました。 人は一人で生まれて来て、一人で死んで行く。それが定めなのです。その定めを受け入れるしかないのです。 受け入れるしかないのだとしたら、あわてず、さわがず、落ちついて、従容として、死んで行くべきだと思いました。 三番目の死後の世界に関する恐怖。 死後の世界については、いろんな説があります。 死んでしまえば、なにもかもなくなって、それでおしまい、という説。 死ぬと肉体は滅びるが魂は滅びずに残り続けるという説。 魂は、天国や地獄に行くという説。 魂は、生まれ変わり死に変わりして、輪廻転生を繰り返す、という説。 いろいろあり、どれが本当なのか、分かりません。・・・誰も経験した事はないのですから。 でも、もし、本当に地獄があるとすると、それが一番怖いことです。 でも、もし神がいるとして、この大自然・大宇宙の美しさを見るとき、こんなに美しい大自然・大宇宙を神が創ったとすれば、そんなにも美しい大自然・大宇宙を創った神は美しいもの・善なるものに違いなく、決して我々を悪いようにはしないだろう、と思うのです。 大自然・大宇宙を創った神への信頼感が生まれて来ています。 我々は、この大宇宙の一部なのですから、この大自然・大宇宙に守られている。 この世でも、死んでからでも。 最近は、そう考えるようになり、以前よりは、死の恐怖は薄らいで来ています。 『中村天風 心を鍛える言葉』(岬龍一郎著、PHP文庫)に、中村天風の言葉として、『陽気であれ。そして、全てに感謝せよ。そして、天命に安住せよ。』という言葉があります。 私の好きな言葉です。気持ちが暗くなる時、いつもこの言葉を思い出すようにしています。 あなたもこういう気持ちになれば、怖い事はなくなると思います。 そういう気持ちになるかどうかは、あなたの決心にかかっているだけです。 あなたが決心さえすれば、そういう気持ちになる事は出来ます。 死は避けることは出来ません。 避ける事が出来ないのだとしたら、それをくよくよ考えて恐怖心の中で生きるより、生きている間の時間を大切にして、人生を、精一杯・楽しく生きる方が、幸せだと思います。 そして、死ぬときが来れば、淡々として、死を受け入れるのです。 それしかないのではないでしょうか。 気持ちを明るく持って、楽しく生きて行ってくださいね。 何かのお役に立てば幸いです。

noname#190252
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 すごく心に響くお言葉で、読んでて涙が出ました。 いろんな経験を重ねてきた方にしか書けない、 なんというか本物の空気のようなものを感じました。 何か気持ちが切り変えられそうな気がします。 紹介いただいた本も読んでみようと思います。 私の様な者のために、こんなにいいお話をして下さり ほんとうにありがとうございました。

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その他の回答 (16)

noname#154561
noname#154561
回答No.17

随分真面目にご返答下さって、しかも何か怯えさせる ようなことになってしまったので、もう一つだけ書き添えさせて 下さいな。 自分が消滅する恐怖、「何も無くなってしまう・・・元から何も 無かったんじゃないだろうか・・・」と考えてしまうことは、今、 この瞬間が誰かの夢なんじゃないか、何かとんでもない 勘違いのせいで、自分が生きているという錯覚が生み出した 幻影が私なのではないか・・・ という考えは、怖いですか? 昔から良く議論されるテーマの一つです。 マトリックスなどの映画や甲殻機動隊なんかの背景にも 描かれたりしている、よくある考え方です。 そもそも、恐れている「私」とは、本当に確固たる自立した 存在なのでしょうか? 自立している、ということは、周囲の影響は受けても、 その存在自体は揺ぎ無いもので、破壊されない限りは 永遠に保存されうるものだ、という感覚からやってくる、 「こんなに私は「世界」とは異なる。 こんなに単独存在 している「私」がなぜ消滅してしまうのか?」という理不尽な 気持ち、恐れ。 でも、哲学的にも脳医学的にも情報工学的にも、「私」なる ものの構造は、未だ想像の域を出ていないのです。 赤ちゃんの頃・・・頭の中にある真っ白の空間に周囲をなぞって 頭の中に真似して再構成する本能的な欲求が入っている。 まだ、網膜に映った像をなぞって頭の中で再構築できるだけの 記憶の足がかりさえ無い、真っ白、まっさらに近い赤ん坊の脳。 人間の後天的な人格・思考構造体は、この赤ん坊の頃からの 「なぞった形」を真似して再構築した「模型」の巨大な集合体です。 最初は丹念に気長になぞっていた(音や触覚もまたしかりです) 模倣も、動けるようになって好奇心が向くままに指数級数的に 脳にインプットされる情報も増加していく。 だから、段々「なぞってまねる」ことを省略化していく。 これはあれに似てる。 この辺までは一緒、みたいな古いものに 枝情報を付け加えてなるべく一本の樹のように、なぞってまねた 「世界の模型」の情報を系統立てて記憶の樹を育てていく。 この樹が人格と人々が考えているものの姿です。 検索・抽出・再編が可能な巨大な記憶の樹であり、その作業は 類型的な施行パターンも含めて、思考構造体そのものです。 人間は、だから頭の中に自分なりに模倣した「世界の模型」と いう人格を持っている。 模型ではあるけれど、自分の中に 誰でも小さな世界をそっくり持っている訳です。 さて、死への恐怖は、この人格樹よりも深い場所にあります。 真っ白でまっさらな胎児の脳に恐怖があるかどうかを確かめる 術も倫理もありません。 でも、半覚醒状態で自分の心に潜ってみると、おぼろげですが 遠い遠い記憶の彼方、識る限りの記憶の深層に恐怖が既に 存在している蠕動を感じます。 もし、恐怖というものが純粋に生理的な機能、例えば快感や 不快感を感じる脳の物理的な回路構造の範疇に入るものならば、 それを取り除くことは、その機能を働かないように麻痺させる、 もしくは破壊してしまうことを意味します。 痛みが体を守るために必要不可欠な機能であるのと同様に、 恐怖もまた死から逃れて生き延びようとする脳のたんぱく質で 構成された回路そのものであるならば、それを麻痺させることが 出来るのは、ある種の薬物や、発狂、宗教的思考破壊、心理的な 思考の強制的統制下に置かれるなど、いずれも極めて不自然な 状態にある、ということになります。 つまり、痛くて当然、怖いのが普通、ということになる。 でも、例えばウサギがカブトムシやミミズまで怖がるようでは ちゃんと生きていけません。 怖がりすぎ、というのは、脳内で 「不安の元」ノルアドレナリンが増加していたり、快感の源である ドーパミンやセロトニンが減少しているなど、純粋に体のバランスが 物質的に崩れている状態だ、とも言えます。 ご存知かとも思いますが、LSDにしても覚せい剤にしても、その 分子構造はドーパミン近似の物質です。 元々脳内に自前の 麻薬分泌構造がある、ということです。 これが体調や環境に合わせて分泌量を調節してくれている内は 良いのですが、体のバランスを崩してしまうと元気の元は分泌が 抑制され、相対的に不安材料が脳内に満ちて来ます。 あなたの感じる死への恐怖の99%が、実は単なる脳内物質の 分泌量バランスの異常でしかないのであれば、あなたは自分の 意思でそれに手を加えることが出来ます。 自分の意思で、死を怖くなくするために、医者に相談して薬剤を 処方してもらい、生活を改善することが出来る、大切なのは、 自分の意思でそれを達成してみよう、と好奇心を持つことです。 最後に、いわゆる引きこもる生活、怠惰な生活、不健康な食生活、 睡眠不足、実に様々な「単なる不健康な生活」が、実は脳にかなりの ダメージを与え、結果として気持ちが暗くなり虚無思想が湧いて来る。 それもやんぬるかな、です。 何せ、人格は「世界を模倣した模型」 なんですから。 十分な外界との情報の流通が損なわれてくると、 人格樹は自分の中にある情報を再利用し、再構築しながら育とうと します。 その結果、先が見えている計算処理を瑣末なパターンだけを 変えながら思考を止めることが出来ないという、しんどい状態に 陥ります。 近親相姦で遺伝子の畸形率が飛躍的に上がるように、脳が自分の 内在する情報だけを再処理する思考ばかりを長期間継続すると、 丁度コピーを繰り返した書類が汚れて見えなくなっていくように、 情報劣化と人格構造体の組織構造の過疎化を引き起こします。 つまり、折れ易い朽ちた樹になっていく訳です。 それでもさしたる社会的ストレスが少ないならばまだ良いのですが、 情報の自家撞着と再処理を繰り返す脳というものは、考えても 仕方が無いものを何度も何度も反芻し、単に言葉を置き換えた だけのものを生産物として取っておこうとします。 その結果、人格樹は腐った果実ばかりが増えて行き、自重自体が 肥大化し、折れてしまうリスクが増えていきます。 人格樹のメタボリック・シンドロームです。 これもまた、悪循環的に脳内物質バランスを悪い方に崩して行きます。 感情ではなく、理詰めで考え、自分の脳を単なるたんぱく質で出来た 機械だと考え、その調子を整えるために生理薬学的な処置を施し、 生活を正し、外界との情報流通の活性化に挑んでみる。 まるで、悪路有り、山道、崖っぷち、なんでもありのロードを 自分と言うマシンを駆ってル・マンを走破しようとするドライバーの ように、です。 死への恐怖を克服する、という意思の元に、人生ル・マンの ドライバーたらん、となさってみることをお勧めします。 暗い自分の心の部屋に引きこもり、心がメタボになっているなら 死への恐怖を克服することは単純にスポーツ・トレーニングで 可能になる。 馬鹿馬鹿しいと思われるかも知れませんが、我々はマシンでも あるのです。 メンテナンスをばっちりやって、タコメーターの針をレッドゾーンに 放り込んで見ませんか? 今まで見たことも無い、新たな「疾駆」する感覚に酔い痴れることが 出来ますよ。 少なくとも、シックよりはるかにいいです。 私、そろそろ行きますね! にゃお!

noname#190252
質問者

お礼

いろいろと詳しくありがとうございました。 猫さんまたね^^ノ

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  • e-toshi54
  • ベストアンサー率22% (728/3265)
回答No.16

死への恐怖は人間の(動物の)本能なので、怖いのは正常な精神状態です。(ただ、幸か不幸か人間には自殺という選択肢をあたえられている) 多分、お若い方だと思いますが、自分の経験上、歳を経る毎に日常における死への恐怖は減ってくるように感じています。(現在65歳) 自分も10代の頃・・・、ものごころついた頃が、一番強かったように思います。夜中に目覚めて、「死の恐怖」に怯えていたような記憶があります。 成長し、他の本能・・・つまり性欲ですが、を満足させると、その行為が自分の存在を継続させることに続くことに安心感を覚え、日常的な死の恐怖は薄らいだ気がします。 また死の恐怖などの突発的な生理的感情は長続きせず、せいぜい30分程度だと思います。質問者さまの場合、いかがですか? 他の人間もあなたと同じように「死への恐怖」を体験していながら、それが一定の時間が過ぎてしまえば、それ以外の感情を持って生きているのです。 少し・・・、そう3年ぐらい我慢して生きてみて下さい。

noname#190252
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 わかりました。 3年くらい我慢してみます。

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  • shizumo
  • ベストアンサー率12% (159/1285)
回答No.15

やはり変ですね。意識がなくなるのに怖いも何も感じないでしょう?死んでも意識があれば生命かどうかさておいて知覚があり砂粒やごみとはちがうから自意識と自己認識が出来る知性はあることになる。 言ってる事が矛盾してますな。私としては明確な意識があっても五感と知覚が無い(動けない肉体の牢獄に閉じ込められたALSなど)が恐怖です。 あなたは逆に重度のアルツハイマーのような体は健康でも自己意識のなくなった方が怖いですか?でもそれはそうなる過程であってなってしまった当人は自分すらないので恐怖と言う感情も消えてます。私のおばがそうでした。

noname#190252
質問者

お礼

永遠に意識が無くなることは怖くないですか? 私は怖いです。 なったら・・・ではなく今怖いです。

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回答No.14

返信ありがとう。 添付動画見てみて。

noname#190252
質問者

お礼

動画ありがとうございます。 見せて頂きました。 海外でも同じ悩みを持つ人はたくさんいるのでしょうね。

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  • tyukadon
  • ベストアンサー率38% (71/186)
回答No.13

早い返信ありがとうございます。 一応、誤解さないよう補足です。 私は、ゾンビや死神などの類は、一切信じていませんよー。 見たもの聞いたものしか信用しない、現実主義なので、誤解しないでねー。 所詮GAMEや作り物の世界の登場人物のお話。 いつ死んでもいいように、毎日楽しく生きている、28男のつぶやきでした。

noname#190252
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございました。

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  • rewon
  • ベストアンサー率28% (46/163)
回答No.12

http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/life-after-death/index.htm 死んだら終わりとは限らない…という人もいますね!

noname#190252
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 死後の世界ってほんとうにあるのかな・・・ あったらいいなあ・・・・ 信じれば幸せになれるのでしょうけどね。 ありがとうございました

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回答No.10

私も死ぬのは怖いですよ。健康な考え方ならその感覚はあたりまえなのですが、図書館や、本屋さんにいって、死を目の前にして、精一杯生きた人たちの、本などを調べて読んではいかがでしょうか。実話の映画なんかもありますが・・・。どうか、神経質な考えはお持ちにならないでくださいね。外に出て深く深呼吸して、天気の良い日は青い空をみやげて、海でも見に出かけて。青は心が落ち着いて、良い考えができるようになる色だそうですよ。

noname#190252
質問者

お礼

ありがとうございます。 この回答見てお出かけして、友人とちょっと美味しいもの食べてきました。 少し元気が出ました。 それでお礼遅れました。 ごめんなさい。 回答ありがとうございました。

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回答No.9

死ぬのが怖いのは、結局は「完全に消滅すること」でしょう? だから、みんな生きている間に、自分が生きていた痕跡を残そうと努力しているわけです。 死にたきゃ勝手に死んでください。 誰も困りはしません。 誰も困らないということは、あなたはまだ何も残していないということ。 つまり、今死ねば本当の意味で完全消滅ということです。 消えたくないから怖いのに完全消滅の道を選ぶ。 この矛盾を受け入れることができるなら、お好きにどうぞ。

noname#190252
質問者

お礼

すいません死にたいわけじゃないです。 どうしようもなく怖いんです。 ごめんなさい。

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  • tyukadon
  • ベストアンサー率38% (71/186)
回答No.8

死と生はコインの裏表の関係。 死があるから、限りある生が充実するんでしょう。 個人的な考えですが、 夢を見ている状態で、ゆっくり目を覚ます状態に近いと考えています。 夢の登場人物がスローモーションになり、フェードアウトしていく感覚。 それが、死の感覚に近いかなーって思います。私は死んだことないんで、確かめようないですケド。 たとえ、死んでしまっても、君がこの世に存在した、っていう事実は残る。 親や知人といった身の回りの方の記憶にもね。 死んだら、そりゃー動かないし、思考も停止するでしょー。ゾンビじゃないんだかサー。 >というかその大元が完全に消滅して二度と永遠に復活することがないとか怖すぎます。 復活とか、完全消滅とかありえないだろ。君は仮想世界・ゲームのやり過ぎ。 そんなんやってないで、ひたすら勉強しなさい。 健康な状態で、「あなたは余命OOヶ月です」「O年O月O日にお命頂戴しに行きます」、って死神に宣告される方が俺はやだな。 生と死に関して、本たくさん出ているんだから、読んで学習しなさいよ。 死ぬって何か、まだ実感していないんでしょう。金魚等のペットを飼ってみてはいかが?間違いなく、君より短命だから。「痛み・死とは何か」を、勉強させてもらえるぜ。

noname#190252
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 比較的私に感覚が近しい方とお見受けしました。 ただ、ゾンビや死神の宣告とかちょっと方向性は違うかな。 私はそういうのはあまり分からないので… 事実や記憶は確認できる人がいなかったら意味ないと思うし、 なにより、怖いのは私なので… ネオンテトラ、グッピー、金魚飼ってたことあります。 私より短命でした。 回答ありがとうございました。

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回答No.7

私は、がん患者です。 がんを告知された時、症状が悪化するのが怖かったり、 苦しんで死ぬのが怖かったりと、色々と精神的に大変でした。 しかし、人間というものは、何事にも慣れるもので、 月日が経過すると、その状況にも慣れてしまいました。 病院へ行くのも、コンビニへ行く気分で通院しています。 お蔭様で、現在は症状も落ち着いて上手くいけば寿命まで 生きられるかも知れません。 それは、それとして。 今の世の中、生きていくことも大変だと思いませんか? 就職難ですし、アルバイトも良い仕事はなかなかありません。 そんな厳しい世の中で永遠に生きる事のほうが私は怖いです。 辛くても、生きるために何百年何千年も働き続けるなんて出来ますか? 住む家も何度も買い替えなければいけなくて、その度にローン地獄。 賃貸だったら永遠に家賃を払い続けるのです。 それこそ地獄だと思います。 適当な所で、弱って死ぬのが良いと思いますよ。 事故だったら一瞬ですし、病気で苦しければ薬で眠らせてもらえばいいし。 そんな風にゆる~く考えればいいんじゃないですか?

noname#190252
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 何と申し上げていいのか分かりませんが、お体、大切にして下さい。 失礼なこと書きましたらすみません。 慣れるものですか、時間が解決してくれますかね。 生き続けることが怖いですか。 みなさんの回答を見てるうち、私は死というか永遠というものが怖いんじゃないか、という気がしてきました。 神の無慈悲な暴力のようで。 人知の及ばない闇のようで。 永遠に働き続けたら貯金がいっぱい増えて いつか働かなくても利子で食べられるようになる気がします。 どんな夢でもいつかかないそう。 時間が無限ならいっぱい練習してミュージシャンにもなれるしスポーツ選手にもなれます。 ・・・・みんな同条件だから無理かな。 でも自分の家でピアノやバイオリンをひけるようになったり、 絵も上手になったり、パソコンのプログラムをくめるようになったり、 時間が無限なら夢が広がります。 警察官とか、会社の社長にもなってみたいし、 保母さんとか学校の先生もいい。 全部できる。 そんな世界にならないかなあ・・・ なるべくゆるく考えるよう努力してみます。 ありがとうございました。

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    挨拶がめんどくさい。 仮面ライダーもプリキュアも抜きだ。 釈迦の言った、「私は涅槃に行く」これはすなわち精神の永遠の安住の地に私は行くと言ったという意味で、それを語った釈迦は生前からその精神の永遠の安住を実感していた。 そして、そうはいかない君達は心安らぐまで何度でも死を体験する。 これは闇の仏陀たる私自身の心境を釈迦の故事とかさねた私の見解だ。 さて、そこいらに転がる君たちブタの生死観に、人間として死ねば死後は仏陀に転生する。 すなわち死ねば仏だ。 これが日本の仏教の風土だよね。 これは、人間が死ねば神に昇華すると言う神道の風土と変わりない。 口伝で釈迦の言葉を伝承したインドの風土では、釈迦は涅槃という安息を見たが、継承した弟子たちはヒンズー教の原点を精神の拠り所としているため、人間が死ねば、やがて人間として転生すると考えていた。 すなわち、死ねば仏になると言う過程が無く、 死ねば死にっぱなしで、再び肉体を得ることで転生する。 東南アジアなどの伝承もこのパターンだよね。 闇の仏陀の私は、肉体の生滅に関わりなく永遠の命を自覚している。 涅槃だ。 君達は私のブタで、仏教の源流よりも死ねば仏として、死としての転生が有り新たな命となると考えている。 これ自体が、死は儀式で肉体は滅びても心は生き続けると言う日本の風土だ。 仏教文化花盛りだが、これはすでに仏教ではなく、神道における人間としての生の考察だ。 死ねば神を自覚すると言う信仰の源流は永遠の命の自覚にある。 すなわち君達の信仰心の源流は神道で、現在もてはやされる西洋哲学と同じ意味の文化を、昔々仏教として輸入したにすぎないのだ。 ところで私にとって、アマテラスさんと言えば「俺様にとって都合のいい女」ただそれだけに過ぎない。 さて今回の考察で、君たち猥褻物陳列の専門家にお聞きしたいのは、日本の仏教における生死観はヒンズー教と同根のアジアの生死観の中でも特異な日本の独自性を発揮しているのではないか? まあそんなところです。 ユニーク極まりない生死観の猥褻物サンプル調査になる回答も歓迎です。 死ねばどうなると言うより。 あなたはどんなふうに死にたいですか? 死後に神に昇華する。「死は肉体のみで生命は永遠」 死んだら仏になる。「死ねば死者として死者の国に住む」 肉体が消滅すれば、やがて新しい肉体を手に入れる。「死ねば終わり、実のところ転生も科学技術次第だ」 ご要望通りの死に様に合わせて、親切で官能的なアニキなツンデレをブチかましましょう。 V字開脚という敗北の証が、君達の死の儀式です。

  • 「死後の世界」に疑問を抱いています。

    ここ最近はもう結論づいているんですが、過去に死への恐怖に怯える日々を過ごしていました。主に理由は「死ぬことによる己の自我の消滅への恐怖」。諸説(天国地獄・輪廻転生etc)ありますが、一番現実的である死の消滅=無を直視すると確かに怖い。でも、私自身物事を宇宙規模で考え自分の生まれた理由を考えている内に死への恐怖より生に対する喜びに浸る事で満足しようと言う所に結論づきました。「来世があるなら来世も楽しもう」「天国が有るならそっちに行ってから考えよう」…そう思うのですが、いざ考えてみると輪廻転生と死後の世界どちらとも1つずつ分からない所があります。 まず、輪廻転生に関して。輪廻転生は俗にいう「生まれ変わり」ですよね。それはそれで良いんですが、人間は輪廻転生し続ける…即ち、永遠に→生→死→生→死→を繰り返す訳ですよね。それでは生命の存在の意味自体に疑問を抱きます。それこそ、ファンタジックに別次元・パラレルワールドに移動するならまだしも同じ世界をただ永遠に生まれては死にを繰り返すのは少し酷では無いでしょうか?それこそ、輪廻転生による魂の移動をし続けるよりは一点に留まらせ続ける方が達観出来るし、生命の神秘を紐解くには有利な気もします。 次に死後の世界に関して。死後の世界…私の知る知識では死後、人間界での罪の量によって行ける世界が変わる… そこはまだ分かりますが、その死後の世界に「死」と同等の恐怖が無いわけですよね? 己の消滅に対する恐怖が。そうなるとすると少なくとも人間界がある地球が存続できる150億年はその世界で暮らし続けなければいけないんですよね?本当に死後は永遠を彷徨わなければいけないのでしょうか?  皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

  • 死後の意識の行方について

    以前にも同様な質問をしたのですが、もう少し突っ込んだ質問をしたいと思います。 人の死について、私はとても関心があるのですが、特に死後における自分の意識がどうなるかという 問題です。人間の全ての思考や行動は脳によって統制されているという、考え方に立てば、 死の後に、人間の意識も消えてなくなるということになります。多くの科学者たちは、この説の 考え方にたつものと思われます。 その一方で、少数意見なのですが、肉体が滅んでも、意識は永遠に残る、という考え方も あります。皆様はどちらの考え方をとりますか?

  • 死の恐怖について

    「自分が死ぬ」 ことの恐怖を覚える人は多いと思います。 ・「自分の死」の何をおそれますか? ・一般的には何を持って「死の恐怖」と言われていると思いますか?  心理学的にいわれていることもお願いします。(専門の方がいらした ら)                  私が感じる恐怖は、肉体的な痛みや苦痛です。 ですので一番おそれる死に方は、火に巻かれた末とか、拷問の末とか、長い苦痛を伴う闘病の末などです。私にとって「死の恐怖」とは「痛い死に方」のことです。 この世に自分がいなくなることには恐怖は感じません。 できれば、立つ鳥水を濁さずが望ましいですが、死んじゃえば関係ないか・・・とも思います。 わざわざ「死」を扱って、話す方や本を書かれる方などは「人は自己の消滅」に恐れを抱く・・・ことを一般論のように語られている方が多い気がします。ホントにそうなのでしょうか?一般論なのですか? その辺の豪快なおばちゃんたちは「死んだらな~んにもないんだから楽しく生きればいい」「子供の世話になっては死にたくないね~」こっちの方が一般的だと思うのですが。 やり残したことへの未練ならばわかります。でも手を付けているところまでです。今の企画書、とかあさって孫が生まれるから見たい、とか。 ご意見お願いしますm(__)m