• 締切済み

死後の意識の行方について

以前にも同様な質問をしたのですが、もう少し突っ込んだ質問をしたいと思います。 人の死について、私はとても関心があるのですが、特に死後における自分の意識がどうなるかという 問題です。人間の全ての思考や行動は脳によって統制されているという、考え方に立てば、 死の後に、人間の意識も消えてなくなるということになります。多くの科学者たちは、この説の 考え方にたつものと思われます。 その一方で、少数意見なのですが、肉体が滅んでも、意識は永遠に残る、という考え方も あります。皆様はどちらの考え方をとりますか?

みんなの回答

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.9

No.3です。 私はご質問を読んで現実の真実を知りたいのかなと思ったのですが。 toranekodaisukiさんは「身体の総司令室のもう一つ上にそれを支配している未だ未知の意識もしくは魂とでも呼べるような高次の何かが存在しているのはないのか」という話をしたかったのですね。 それであれば、最初の質問に「その存在を教えてください」と明確に書いた方がよかったでしょうね。

回答No.8

意識は残らないと考えますね。 「自分」と言うモノが完全に無くなってしまうのが恐い人は、意識くらい残って欲しいと考えるかも知れません。 「意識」は残らなくても、遺言を残すなり、本を書くなりすれば、「意思」を残す事は可能ですね。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >>「自分」と言うモノが完全に無くなってしまうのが恐い やはり、その恐怖はあります。自分が無になるというのは、実際のところ、どうなるのでしょうか。 他の方が言っているように、ブラックアウトになってしまう、ということなんでしょうか?

noname#212854
noname#212854
回答No.7

 質問の「意識」という言葉の意味や範囲が不明確なので、直接の回答はし難いです.  ただ、芸術家の作品や思想家の著述などは、彼らの意識の表れですから、死後も意識を見せていることになります。  そういう意味では、意識は残ると言えると思います.

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そのような考え方もできると思います。

  • shizumo
  • ベストアンサー率12% (159/1285)
回答No.6

意識があるとしたらさまざまな矛盾が出てきます。ないとしたら問題ありません。熟睡しているとき常に意識があるわけではありません。意識が無いとした方が合理的です。意識があるという考えは感傷にすぎません

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 今までも科学的な考え方に立つと、確かに多くの矛盾が生じます。ただ、もし脳という 人体の総司令塔のもう一つ上に、さらに高次の「意識」という存在があり、それが脳を道具のように 支配しているとしたら、どうでしょう。

回答No.5

意識が完全に無くなるのは怖いから死語も意識はあってほしいですが、ブラックアウトなんでしょうね。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ブラックアウトですか。面白い表現ですね。 私は幼い頃、よく友達とかくれんぼをして遊んでいました。押し入れの中に隠れたりしていたのですが、 5分もすると、暗闇の中で耐え切れず、自分から飛び出したりしていました。 もし、死後が言われる通りのブラックアウトならば、私は耐えられません。

回答No.4

元福島大学経済学教授 飯田史彦氏著 「生き甲斐の創造」を 読まれたらいいと思います。 医療関係者を中心に 数百万部以上読まれています。 霊のこと、あの世のことが、詳しく書かれています。 Amazonで求めることが出来ますよ。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 今度、購入して読んでみたいと思います。

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.3

[肉体が滅んでも意識は永遠に残る]という考え方は精神論だと考えます。 精神論という意味は宗教などでよく使われる考えで、死んだら何もなくなると考えると人間は相当な不安や恐怖感に襲われるので、それをなくさせるために考え出されたものです。 意識というものは脳という器官で起こります。その脳が血管梗塞でダメージを受けると意識も混濁します。ですから死というものを迎えれば脳はダメージどころか完全に破壊されるので意識が残るはずがありませんね。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >>意識というものは脳という器官で起こります。 科学的には、もちろん、その通りだと思います。論理的に考えていくと、そのような結論になる、という こともわかります。 ただ、人間のすべての思考や行動は脳によって統制されている、という大前提なのですが、 本当にそうなのでしょうか。脳という身体の総司令室のもう一つ上に、それを支配している 未だ未知の「意識」もしくは「魂」とでも呼べるような、高次の何かが存在しているのはない のか、ということなのです。

  • 783KAITOU
  • ベストアンサー率43% (1758/4022)
回答No.2

意識は脳の働きがもたらす結果のものですので、死後に意識が残るなんて事は有り得ません。 意識が永遠に残る、と考える考え人は、亡くなった人の思考方法とか考え方が、知らず知らずのうちに身内の方が受け継いでいる場合が多いので、その事を指して意識は永遠に残る。と、おっしゃっているのではないでしょうか。つまり、引き継がれることを、永遠に残る、というようにです。 亡くなってもその人の意識していた事が永遠に残るのであれば、現実の社会は亡くなった人が支配出来る可能性を秘めていることになります。肉体と共に人間的な観念は育ち、肉体と共に観念は亡くなる。と、考える方が安心です。目に見えないものに影響されているなんて気持ち悪いです。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >>目に見えないものに影響されているなんて気持ち悪いです。 確かにおっしゃるとおりなのですが、私は普段の生活の中でときおり、自分の力を超えた大きな力を 感じる時があります。それが何なのか、別に立証できるわけではないのですが、この世界は 偶然の産物ではなく、人知を超えた大いなる意識によって作られているように思うのです。

noname#193391
noname#193391
回答No.1

どっちにしても知ることは出来ないですよ。 死んで戻ってきた人がいないから、仮死状態や臨死体験は死では無いです。 しかし、誰でも知る機会が来る。 それを楽しみの待っていましょう。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >>しかし、誰でも知る機会が来る。それを楽しみの待っていましょう。 もちろんそのとおりなのですが、その機会が来る前に、知りたいのですが。

関連するQ&A

  • 意識すること、そして死について

    最近考える事ですが、人間(生物)の肉体の全ての器官(手足、目、 口、耳、内臓等そして脳細胞も)は意識を維持するための単なる道具 ではないかと思うようになりました。 意識とは実体がないですよね~。この実体のない物のために肉体(個 体)が必要とは? 逆に固有の個体を維持(子孫を残し永遠の継続を求める)するための 道具として意識があるのでしょうか。 種の保存とは?  そもそも生とは何なのだ。 熟睡すると時間の観念が無くなりますが、これが永遠にツズクのが 死とも思えます。しかし永遠とは時間の概念ですよね~。いつか その永遠は終わるのでしょうか。「時が過ぎ行く」とは人間だけが 持っている意識なのでしょうか?。 連脈性の無い質問です。よかったらどの部分でも良いですから、お話 聞かせて下さい。

  • 魂と死後のこと

    僕は20歳にもなって死について小学生みたいな心配事をしています。 死にたくない。 自分が死んで無になるなんてどんな感じなんだろう? 今生きている感覚と死んでいるという感覚はどう違うのだろう? 何も感じられなくなるのか? 死後の世界は存在するのか? 色々なことを考えてしまいます。 僕はこうも考えます。 生きものには魂があるのではないかと 科学的に自分と全く同じクローンがいたとしても、そちらのクローンの方で見たり、聞いたり、自分の意識を持つことは出来ないと思います。 脳が意識を作り出しているのかもしれませんが、その意識を認識しているのは何だ? そう考えた時に魂の存在があるのではないかと思いました。 また、こうも考えました。 死後の世界があるとしたらなぜ、今の世界があるのか それは死後の世界は神が生きものを放って置いたら争いしか生まない。 だから今の世界で愛を学ばせて、死んだあとに死後の世界で争いを生まないようにしているのだと 最近このようなことばかり考えてしまいます。 みなさんは死についてどのように思いますか?

  • 生を意識すること。

     人間(生物)の肉体の全ての器官(手足、目、 口、耳、内臓等そし て脳細胞も)は意識を維持するための単なる道具ではないか、と思え てなりません。 意識とは実体がありませんが、この実体のない物のために肉体(個 体)が必要なのですが、他の手段でも良かったように思えます。 逆に固有の個体を維持(子孫を残し永遠の継続を求める)するための 道具として意識があるのでしょうか。   上記のように考えるときの”生”とは、そもそも何なのでしょう。 熟睡すると時間の観念が無くなりますが、これが永遠に続くのが 死とも思えます。しかし永遠とは時間の概念ですよね~。いつか その永遠は終わるのでしょうか。 ”絶対に、再び意識の始まりがないこと”とは、どうゆうことなのか想 像する事ができません。「時が過ぎ行く」とは人間だけが 持ってい意 識なのでしょうか?。

  • 死後の世界

    何度もスミマセン。 【死後の世界はあるのか?】これがここ数日の私の頭と心を悩ませている疑問です。。 昔は、自分の国以外(世界)があることを信じていなかった人や宇宙の存在、地球の存在を全く夢の世界だと思っていた人もいたようです。死後の世界もそうではないのでしょうか?また、臨死体験では科学的に説明のつかないこともあります。でも、なぜ皆は死後の世界が無いと思っているのでしょうか?このサイトで質問すると「貴方があると思うなら貴方の心の中にあります」とか「死ぬときの楽しみです」とお応え下さる方が多かったですが、あらためて皆さんの意見をお応え下さい。 今、人生が非常に楽しく、充実しています。家族も大好きです。永遠に続けば良いと思っています。なのに、、死を考えると心が痛み悲しくなります。食欲も無くなります。。別に死後の世界がある!と言われたら嬉しくなるわけではありません。だって、もう誰も知らない【事実】があり、決まっているわけですから。でも、あって欲しいという希望的観測はあります。 また、死後の世界がある確率は何%くらいだとおもいますか? あるのなら何処にあるんでしょうか? それは見つかったり証明されると思いますか?(科学的に) さて、死後の世界はあるんでしょうか?根拠となる事例も聞かせて頂けると幸いです。 (中2です)

  • 科学的に見た「死後の世界」は…?

    科学的に考えた場合、 私たち人間が「死んだ後(脳死も含む)」には、どうなるのでしょうか? (「信仰」による考えは、今回はなしにさせて下さい。m(_ _)m ) 私自身は、今のところ 「無になる」というのが最も正しそうな気がしています。 (→科学的に証明されてはいないと思いますが…) 宗教等で考えられている「死後の世界」というのは、 あくまでも精神的な「安らぎ」を与えるために考え出された理論であって、 そこに科学的な正当性を見出すのは難しいように感じています。 (もちろん、死んだら「無」になるのであれば、生きている間に考えることが「全て」なワケで、 そこでどう考えようと、個人の自由ということは強く感じるのですが…) ※なお、この質問での「死」とは、「人間の死」に限定させてください。 科学的な御意見をいただけるとありがたいです。 よろしくお願い致します。

  • 「死後」の世界の科学的証明

    現在の科学では「死後の世界」や「生まれ変わり」は証明されていません。むしろ、無いという考えです。私たちは寝ている時に夢を見ます。それには脳が関係して来ます。でも、死んだ人の脳は働きませんし、最後は焼かれてしまいます(仏教の場合)。多分、魂(心)というのは脳の事だと思います。殺人者が「人を殺そう!」と思うのも脳が考える事ですから。でも、世の中には証明されていない事が沢山あります。今は、生まれる前の記憶が一切なく地球上に存在していなかったことになっています。なので私はそれに戻るのと同じだと考えています。でも、もしかしたら「死後の世界」や「生まれ変わり」があるのかもしれません。今の科学では無理ですが…。宗教的ではなく、科学的に証明される日は来るのでしょうか(近いうちに)?死んだらこの世(地球上)に気持ち(心)が存在しなくなるというのはどうしても考えにくいです。昔はあり得ないとされて来た事がどんどん解明されています。「死後の世界」や「生まれ変わり」もいつか証明されるかもしれません。 質問を整理すると… 1,近いうちに「死後の世界」や「生まれ変わり」が科学的に証明される時は来るのでしょうか? 2,生まれる前と同様に一切存在しなくなるとはどういう事なんでしょうか? 3,みなさんは「死後の世界」や「生まれ変わり」はあると思いますか? 回答は皆さんが信じている宗教のことではなく、科学的にお願いします。もし、あるのであれば、私がいつか証明したいくらいです。せっかく、人生で覚えたこと、出来た幸せが「死」という一瞬の出来事で0になるのはむなしすぎます。もしあるのなら証明して欲しいです。 最後に、私は中学生(思春期と呼ばれる時期)ですが、この時期は「死」について考える時期なのでしょうか?人生が楽しいので「死後」の何もない空間を考えるだけでゾットします。いくら長生きをしても死ぬのには変わりありませんから…。 この分野の事は「宗教学者」「科学者」「哲学者」など、様々な学者が考えている事ですが、「科学者」の観点からお願いします。

  • 「死後の世界」に疑問を抱いています。

    ここ最近はもう結論づいているんですが、過去に死への恐怖に怯える日々を過ごしていました。主に理由は「死ぬことによる己の自我の消滅への恐怖」。諸説(天国地獄・輪廻転生etc)ありますが、一番現実的である死の消滅=無を直視すると確かに怖い。でも、私自身物事を宇宙規模で考え自分の生まれた理由を考えている内に死への恐怖より生に対する喜びに浸る事で満足しようと言う所に結論づきました。「来世があるなら来世も楽しもう」「天国が有るならそっちに行ってから考えよう」…そう思うのですが、いざ考えてみると輪廻転生と死後の世界どちらとも1つずつ分からない所があります。 まず、輪廻転生に関して。輪廻転生は俗にいう「生まれ変わり」ですよね。それはそれで良いんですが、人間は輪廻転生し続ける…即ち、永遠に→生→死→生→死→を繰り返す訳ですよね。それでは生命の存在の意味自体に疑問を抱きます。それこそ、ファンタジックに別次元・パラレルワールドに移動するならまだしも同じ世界をただ永遠に生まれては死にを繰り返すのは少し酷では無いでしょうか?それこそ、輪廻転生による魂の移動をし続けるよりは一点に留まらせ続ける方が達観出来るし、生命の神秘を紐解くには有利な気もします。 次に死後の世界に関して。死後の世界…私の知る知識では死後、人間界での罪の量によって行ける世界が変わる… そこはまだ分かりますが、その死後の世界に「死」と同等の恐怖が無いわけですよね? 己の消滅に対する恐怖が。そうなるとすると少なくとも人間界がある地球が存続できる150億年はその世界で暮らし続けなければいけないんですよね?本当に死後は永遠を彷徨わなければいけないのでしょうか?  皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

  • 前世や死後がある可能性は・・・。

    老衰な祖父を考えながら・・・ アンビリバボーの前世の記憶の特集を見ながら・・・ 前世や死後の世界ってある可能性ってあるんですかねー。 脳や死が科学的に100%解明されていない以上、正確な回答はあるか・ないかはわからない、という事だと思います。 「ないと言っていないから、ある。」とか、宗教的な理由で御輿を担ぐ訳ではないのですが。

  • 意識(心)が脳ならばやはり死後は無になるのでは?

    意識(心)は脳そのものではないでしょうか? 意識(心)が脳ならばやはり死後は無になるのではないでしょうか? 子供の頃は意識(心)は心臓なのではないかと思っている時期がありました。 しかし、つい最近、心臓を人工心臓に替えて一年程過ごし、その後ドナーの心臓を移植した男性のニュースがありました。 https://www.cnn.co.jp/amp/article/35084162.html このニュースを受けて自分は意識(心)は心臓ではないのだなと思いました。 そこでやはり意識(心)は脳にあるのではないかと考えが至りました。 自分の主張は以下です。 ❶全身麻酔の経験から、意識が麻酔という物質的作用によってオン・オフを切り替えることが出来てしまうこと。 もし意識(心)が物質的存在でないなら物質世界側の麻酔の作用の影響を受ける筈がないと考えられる ↓ 「麻酔が効くとどうして意識がなくなるの?」 https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z1304_00197.html ❷意識(心)が五感を感じるということ。これは身体から受け取る五感の物理的情報を意識(心)が受けとっているからではないか。電気信号として脳が受け取るから五感を認識することが私達は出来ている。つまり、意識(心)は脳、脳ということは物理的存在であると考えられる筈です。 ❸意識(心)が脳又は脳の活動であれば、私が死んだ後は脳は機能終了し崩壊するので私の意識(心)の存在は消え去ることになると思います。 つまり意識(心)が消え去るという事は何も何処にも存在しないので無だということになります。 以上の考え方に何か科学的矛盾はあるでしょうか? 自惚れている訳ではないのですが、今知られている程度の科学的真理だけでも死んだら無になるのだろうと結論する気がします。

  • 死後の世界について

    死後の世界が有ることが科学的に証明される日は来るのでしょうか?死んだ後に先に死んだ友達や家族、親戚と再開できるのでしょうか? また、もし再開できたとすればそれは真実なのでしょうか?それとも、自分1人の妄想なのでしょうか? 実際に死の手前まで行って体験した方の体験談なども大歓迎です。 まず、死後は人間はどうなるのでしょうか?