• 締切済み

魂と死後のこと

僕は20歳にもなって死について小学生みたいな心配事をしています。 死にたくない。 自分が死んで無になるなんてどんな感じなんだろう? 今生きている感覚と死んでいるという感覚はどう違うのだろう? 何も感じられなくなるのか? 死後の世界は存在するのか? 色々なことを考えてしまいます。 僕はこうも考えます。 生きものには魂があるのではないかと 科学的に自分と全く同じクローンがいたとしても、そちらのクローンの方で見たり、聞いたり、自分の意識を持つことは出来ないと思います。 脳が意識を作り出しているのかもしれませんが、その意識を認識しているのは何だ? そう考えた時に魂の存在があるのではないかと思いました。 また、こうも考えました。 死後の世界があるとしたらなぜ、今の世界があるのか それは死後の世界は神が生きものを放って置いたら争いしか生まない。 だから今の世界で愛を学ばせて、死んだあとに死後の世界で争いを生まないようにしているのだと 最近このようなことばかり考えてしまいます。 みなさんは死についてどのように思いますか?

noname#171555
noname#171555

みんなの回答

  • e-toshi54
  • ベストアンサー率22% (728/3265)
回答No.11

人間は死が怖いようにできています。それは人間の特性と言っていいでしょう。つまり、死が怖くなかったら人間じゃないということです。 その故に人類は長い間地球上に存在し続けています。もし、死ぬことが怖くなかったら、どんどん死んでしまって、遠うの昔に人類は絶滅してしまっているでしょう。 その怖さを心理的、或いは精神的に慰撫しようと考えられたのが宗教です。もしかしたら宗教を信じると死への怖さが弱くなるのか無くなるのかも知れません。・・・どの宗教の信者でもないので、どの程度軽減されるのかは判りませんが。 取り敢えず、死への恐怖は人間として当然のこととして認識して下さい。その上でその時、その時でやるべきことを一生懸命頑張ってください。一生懸命生きるのも人間の特性の一つですから、その満足感は死への恐怖を凌駕する場合もあります。 個人的には、死後の世界は宗教の考えだしたフィクションだと考えています。ただし、必ずしも悪いこととは思っていません。例えば、映画やドラマはフィクションとわかっていても感動したり、泣いたりしますからね。それによって、気持が安らいだり、元気になったりすれば意味はあると思います。

noname#175120
noname#175120
回答No.10

全ての人は無の状態をすでに経験しているはずです。 そう、生まれる前…死とはあそこへ戻るだけです。

  • nung
  • ベストアンサー率40% (69/169)
回答No.9

「降参のススメ」阿部敏郎、雲 黒斎 著 と言う本が面白いです。 非常に柔軟な風船をイメージしてみましょう。 中には命の おおもと が詰まっています。 内側から指で押したようにすると、一部分が長~く突出します。 そして、突出した先端が、丸くふくらんだとします。 それが、地上の生命体であり、一人の人間です。 生まれたときは、風船の内部と、人は、通路でつながっています。 しかし、成長するにつれて、思考や、怒りが原因で、通路が詰まってしまい、風船とのつながりを忘れてしまいます。 それが自我の目覚めです。 死ぬときは、突出した部分が、風船本体に引き寄せられて、中身のものが、命の おおもと と一体になります。 まれに、生きている間に、通路の詰まりを取り除くことができる人がいます。 それが悟った人です。 阿部敏郎さんは、「いまここ」、雲 黒斎さんは、「あの世にきいた、この世の仕組み」というブログを書いている、人気ブロガーです。 そのお二人がコラボで講演を行い、それを文書化したのが、冒頭の本です。 何冊かお二人の本を読みましたが、「降参のススメ」がお奨めです。 その講演の一部が、YouTubeに載っています。 http://www.youtube.com/watch?v=-tRCxnAYji4 お二人とも、個人として活動されており、宗教団体の一員としては活動していません。 おかしな団体の教祖様でもありません。 話の内容も、単純明快かつ、論理の破綻がありません。 自分の経験した事だけを説明しているからです。 宗教者の方は、難しい顔をして、難しい理屈をこねますが、生命のしくみとは、本来そんな難しいものでは無いと思います。 他人が理解しにくい事を、単純明快に説明できる人が本物だと思います。 自分自身が理解していないことを、他人に説明しようとするから、話が難しくなるのです。 私は、スピリチュアルの関係の本をたくさん読みましたが、「降参のススメ」ほど、わかりやすく、納得させられる本はありませんでした。 ぜひ読んでみることを、お奨めします。

  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1677)
回答No.8

先ず、一つに人間である以上、生まれればその次に必ず“死”が訪れます。これは、人間だけではないですが、“理(ことわり)”なのです。貴方も既に認識しているでしょう。ですから、このような質問に至るわけです。 『死後の世界は死んで見ないと分らない。』 『科学的次元で言えば、死をもって人間が終わる。』 多くの方のご意見には、上記の様な回答を持つ方もいらっしゃると思います。どちらも道理だと思います。否定するものではありません。 また、スピリチュアル的概念や宗教的概念においては、『霊的説』や貴方が仰るように『魂』などの輪廻を提唱するものも多くあるでしょう。科学の及ばないものも、多く存在している事でしょう。 さて、そういった事柄についても、要は『貴方が何を信じるか。認知するか』なのです。 科学にしても、宗教・スピリチュアリズムにしても、外からの情報を貴方がいったん自分自身で捉え、どう納得し、信じられるかという事なのです。科学だから信用できる、あるいは宗教、哲学、スピリチュアルだから信用できないという事ではありません。証明できようが、出来まいが、何かを持って(何れかの情報を得て)貴方がそれを受け入れるか否かなのです。 前提が長くなりましたが、、、 >みなさんは死についてどのように思いますか? 先ず、私は、宗教団体である『創価学会』に所属していおります。 仏:釈尊が仏教を説いた背景には、人間の持つ大きい4つの苦しみである『生老病死』があります。とりわけ、“死”とは人間が体験する(体験しなければならない)未知なるものです。それを救いゆくために、仏教を説いたといっても良いでしょう。 貴方が仰るように、『人には魂がある』。この魂という言葉も、あいまいな物であり様々な意味合い、表現があると思います。ですので、私は『念心』と捉えています。創価学会では、よく『生命』という言い方をしますが、『生命』という表現だと科学的見地からみれば『Life』の事で、『死んでしまったら終わってしまう』という認識だからです。『心』という表現もありますが、この『心』といった表現も様々な意味合いを持たせてしまうため、誤解も生じますので使用してはおりません。 さて、『念心』についてですが、ここには『業(ごう)』という物が存在し、それを『宿業(しゅくごう)』といいますが、生死もこの宿業に大きく関係してくる事を説いているのです。この時点で、『生まれ変わり』があるのかといえば、『ある』と定義しているようなものです。よく『神の元に平等』とか『法(法律)の元に平等』だとか言われますが、それも概念で本来は『(人間は)皆、過去世の宿業をもって生まれてくる』ということなのです。これは、仏教でいうところの『空論』やスピリチュアリズム的な悪い意味での概念ではなくて、その宿業により現在(瞬間瞬間というプレゼンスの意味)の『念心』の状態があり、そしてその『念心』の状態により、今の貴方の相があり、今の置かれている環境があるという事を言われています。これが“依正不二”という論です。この“依正不二”の中には、当然『念心』の状態がありこれを現すものとして、法華経における“十界”、“十如是”、中国天台大師の現した“一念三千法門”が包括されています。 良くこの質問のサイトでも、死の問題が投稿されていますが、死を考える前に、生を考える事で、死に対する概念が大きく変わってくる物だと思います。 結論から言えば、“業”をもって生まれてきた人間は、“法(仏法=仏の現した法、宇宙法界、森羅万象を司る法)”を持って自己の宿命を転換し、他人をも救うべくして生まれたのです。 そして、その使命を全うして、来世へと旅立つのです。これが、『死』です。そうして、また違う世界(『地球上』、『人間として』という概念ではありません)に生まれ、自己の宿命を転換し、他人を救っていくのです。これを繰り返すのです。仏がそうだったのですから。 ですから、貴方にも大切な使命があるということです。言い換えれば、使命のない人などこの世に存在してはいないのです。 そして、小我を超えて大善へと生きていくことで、自身の使命を全うし、次なる旅路へと向かうのです。 少し難しくなりましたが、参考になればと思います。 ※質問があれば、何なりと質問を立てていただければと思います。

noname#165388
noname#165388
回答No.7

個人的には… 肉体的な痛みがなくなるので(怪我など)、ある意味、重りから解放されたような感じになるのかなと考えます。 死んだら幽霊と言われますが、本当は光になり、人に見せるときはあえて人の形になっていると考えます。(だから脚がなかったり、手だけ見えたりするのでしょう) しかし魂はあるので、怨みや辛さを心に残しておくと、輪廻しづらいと考えます。生まれ変わるには心が綺麗でなければいけません。 なぜ今生があるのか…魂が何度も生まれ変わることにより、綺麗な魂の人間をつくる?ため。 科学的根拠はないのであしからず…

  • shizumo
  • ベストアンサー率12% (159/1285)
回答No.6

宗教家はいろいろ言ってるようですが、全ての宗教で統一されてないため彼らの主張はいい加減であることが、立証できます。宗教が科学と言うなら何らかの実証をすべく実験をせねばなりませんけど その点では霊界通信機を作ろうとしたエジソンの方がはるかにマシです。 クローンのことは勘違いしているので調べてください。クローンはあなたの双子の兄弟と同じです。遺伝子だけが同じ他人。 脳の意識を認識する~これは昔からある脳の仲の小人の話です。魂が認識するならそれを認識する魂の中に何があるのか?無限の入り子になります。 それは死後の世界は神が生きものを放って置いたら争いしか生まない 全能の神なら初めから愛を理解して争いの無い世界にすれば良かっただけのこと。なぜわざわざもう一つ世界を作る必要があるのだろう?いらぬ手間ですね。 死?自分の意識が無い状態。寝てるときと同じ。寝てるときは時間観念も無いから永遠に続いても何もわからない。よく考えてみればわかるが、人間は人生の1/3を寝ています。それだけの時間意識が無い。何十年もです。それが怖い人がいるでしょうか?でも、死ぬのは永遠に意識がなくなるから怖い と言う人もいます。いかに、宗教から論理の破綻した説をプリンティングされていることか。

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.5

幸福の科学では、死後の世界について多くの書籍を出版して説明していますよ。「死んでから困らない生き方」(スピリチュアル・ライフのすすめ)という本が読みやすいです。 >>自分が死んで無になるなんてどんな感じなんだろう? 無にはなりません。意識は継続しているので、「俺は死んでいない!」と思う方も多いです。 普通の方は、 ・自分の声が周囲の人々に聞こえないらしい。 ・周囲の生きている人々は、自分の存在を無視して行動している。 ・自分の遺影が飾られて、葬式が行われている。 ・自分の手を胸に差し込むと、手が肉体(霊体)の中に入ってしまう。 ・飲んだり食ったりしなくても、生きている。 などの状況から、死んだとなんとなく理解してゆきます。 でも、死後の世界が無いと主張する、頑固な唯物主義者たちは、 ・周囲の皆が俺を騙そうとしている。 ・医者が幻覚剤みたいな薬を投与したに違いない。今、見ているものは夢で、俺は生きている! などと主張して、自分が死んだこと、死後の世界に居ることを頑強に認めません。 >>今生きている感覚と死んでいるという感覚はどう違うのだろう? >>何も感じられなくなるのか? 肉体は無くなるので、いわゆる肉体感覚は無くなります。ただ、生きている人に憑依すると、美味しい食べもの、お酒などを飲食する感覚が得られたり、異性とのセックスでの快楽が味わえたりします。なので、「悪霊」「憑依霊」として、生きている人に憑依し、それらの快感を得ようとして、周囲の人々を不幸にする方もいます。 まあ、レストラン等で飲食とか、歌舞伎町でセックスってレベルならいいのですが、「殺しの快感を味わいたい」「他人を不幸にする感覚を味わいたい」って霊に憑依されると、憑依された人は犯罪者になったりします。まあ、憑依される人は、そういう傾向性が元々ある人に限られますけど。 >>死後の世界は存在するのか? 存在します。 >>脳が意識を作り出しているのかもしれませんが、その意識を認識しているのは何だ? そう考えた時に魂の存在があるのではないかと思いました。 基本的にそういうことです。コンピュータでいえば、ソフトウエアが魂で、肉体がハードウエアです。ハードウエアが故障すれば、ソフトウエアが正常であっても、コンピュータは正しい動作ができなくなります。別の正常なコンピュータにソフトをインストールすれば、正しく動作します。これが「転生輪廻」といえるでしょうね。 >>だから今の世界で愛を学ばせて、死んだあとに死後の世界で争いを生まないようにしているのだと ちょっと違います。死後の世界は、自分の考え、価値観とほぼ一致する人(霊人)たちごとに区分されて住んでいます。天国側は争いの無い生活をしますが、下側の地獄世界に行った人は、争いなどが好きな人達なので、皆でケンカ、戦争をやったり、殺されたり(死んでも、すぐにターミネータみたいに復活しますが)を続けます。 天国の住民は、働いてもいいけど、働かなくても生き続けることができます。ですが、そういう生活を続けていると怠けものみたいになったりします。また、「もっと成長したい!」と思っても、似たようなレベルの人たちで集まっているので、先生を見つけることが難しい。(時々、上の世界の霊人が先生として降りてきたりしますが・・・) で、地上世界に生まれれば、そこは、天使のような人もいれば、地獄の悪魔のような人も一緒に住んでいます。良い先生を見つければ、魂が、飛躍的に向上する可能性があります。もちろん、逆に、悪魔を先生にして、一気に奥深い地獄レベルへと指導される可能性もあります。 ということで、地上は大きな可能性がある場所であり、そこに生まれる価値があるわけです。もちろん、もっといろんな理由もありますけどね。

  • torevo56
  • ベストアンサー率11% (7/62)
回答No.4

はじめまして、goo質1美男子、ピエリックです! もしあなたが、太古から古代に生まれていたなら、高い確率で社会の教科書に載っているとおもいます。 私の場合は、次は飢餓と戦の国に生まれるらしいので、 今回は存分に楽しませていただくことにしました。

noname#171555
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • jamamono2
  • ベストアンサー率25% (117/463)
回答No.3

ちょっと有名な僧侶に伺えば解るよ!… 死ぬ!だから解らない…。 生命は永遠で、この世で起きて、あの世で寝る感覚では?…。 詳しくは御僧侶に!…

noname#171555
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • rikimatu
  • ベストアンサー率19% (628/3297)
回答No.2

死後の世界は死んでみない事には分かりません。 だから、死んだらそれまででしょう。 それに死にたくないというのは誰にでもあると思いますよ。 怖くないと言ってもいざ、死が近づくと怖いものです。 クローンは自分の意志を持てないでしょう。 クローンはクローンの意志を持っています。 極論、一卵性の双子ですし。 もしかしたら、科学が進歩しすぎたら 体を交換するだけとか、意識を別の体に移植するなんて事が出来るかもしれませんよ。

noname#171555
質問者

お礼

ありがとうございます。

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  • 死後の世界

     最近、死についてよく考えます。  私たちは死んだらどこへ行くのでしょうか?  輪廻(?)といって、別の生き物になってまた生まれ変わる。みたいな話もよく聞きますが、それはないと思います。  きっと、死ぬのが怖い人というが考えた気休めではないでしょうか?  私は死後は何も存在せず、見たり、聞いたり、感じることもできずに、ただ時間だけが過ぎ、それも感じることができないような世界だと思います。  みなさんはどう考えますか?