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魂と死後のこと

僕は20歳にもなって死について小学生みたいな心配事をしています。 死にたくない。 自分が死んで無になるなんてどんな感じなんだろう? 今生きている感覚と死んでいるという感覚はどう違うのだろう? 何も感じられなくなるのか? 死後の世界は存在するのか? 色々なことを考えてしまいます。 僕はこうも考えます。 生きものには魂があるのではないかと 科学的に自分と全く同じクローンがいたとしても、そちらのクローンの方で見たり、聞いたり、自分の意識を持つことは出来ないと思います。 脳が意識を作り出しているのかもしれませんが、その意識を認識しているのは何だ? そう考えた時に魂の存在があるのではないかと思いました。 また、こうも考えました。 死後の世界があるとしたらなぜ、今の世界があるのか それは死後の世界は神が生きものを放って置いたら争いしか生まない。 だから今の世界で愛を学ばせて、死んだあとに死後の世界で争いを生まないようにしているのだと 最近このようなことばかり考えてしまいます。 みなさんは死についてどのように思いますか?

noname#171555
noname#171555

みんなの回答

noname#179044
noname#179044
回答No.1

寝る前に昔を思い出すような投稿が… あー。ありましたわー。「死が怖い」まんま貴方が考えてるようなこと、 中学校くらいで考えてました。考えすぎて怖かった、一人になったり寒いのや 太陽を飛行機が横切った影すら怖くなるくらい考えてました。 今になって思うこと「案ずるより産むがやすし」 いつかは死ぬんだから、そんなことばっか考えてもしょうがないなと思いました。 死んで即無になるのなら大丈夫。 死後の世界があるのなら、自分より先に逝った家族や友達、芸能人(笑)たちが そこにいるわけで寂しくはない、もし閻魔様に振り分けられるのなら 閻魔、という理屈ある存在がそこにいてくださるわけでこれまた心強いと。 (自分より悪いことして死んだ人は山ほどいるから少なくともその人たちよりつらくないし) などなど。時間がたったからこういう考えを持てるようになったのかもしれません。 今はできれば大往生したいなあ、ボケずにぽっくり生きたいなあ。 事故死するなら苦しむんじゃなくすっぱり死にたいなあ等、死に方のほうが気になりますw でも実は本当に本当に怖くて仕方がなかった中学生のとき、 洗濯物をたたんでいた母親に問うたことが死への恐怖からの脱却のきっかけでした。 「お母さんは死ぬのが怖くないの?」と聞いたら洗濯物をたたむ手を止めず 「あんたたちが生まれて元気だからもう怖くなくなった」 といわれて それから徐々に怖くなくなっていったように思います。

noname#171555
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