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人の死後について

僕は小さいころから悩んでいたことなのですが、もし神様がいなくて本当にこの世がビックバンから始まったとしたら人は死後、無となってしまいます。しかし神様がもしいて永遠に生き続けられる天国へ行ったとしたら人生が永遠と終わらないということなのでなんだか不安も感じます。僕は今中2ですが、小1ぐらいまでキリスト教徒のようなものでした。(親が入っていたので)なので神様は存在するとただ純粋に思っていましたが、最近は本当にいるのか不安で仕方ありません。誰か、死後についての僕の不安を取り除いていただけたらいいと思います。お願いします。

みんなの回答

noname#112847
noname#112847
回答No.25

人は生まれる前の事も、死んでからの事も分かりませんね。 この分からない不安を抱えた暗さを無明といいます。 無明を解決して下さるのが宗教です。 宗教は個人の自由なものとされ、現在の学校教育では全く扱われていないのが現状です。 そして数多くの宗教の中から、どの宗教を選び信じるのかも、まったく自由です。 どの宗教も、この教えこそが真実であると説いていますが、互いに比較したり論争も尽きる事がありません。 いったい人は何を信じれば良いのでしょうね。 私も若い時には、死というものに大変不安を感じたものです。 しかし、年をとってくると、沢山の人の死にも立ち会う機会を経験し 死というものに対する感覚が変わってきたように思います。 死を悟る事はできませんが、自分にとっても自然な事のような感じにも思えてきました。 人は生まれて、生きて、年をとって死んでゆく すべて自然で止まる事がない、という感じです。 この自然の働きを、あるがままに受け止めるべきだと思います。 生きる事も死ぬ事も自然です。 確かな自然の働きというものが、自分の中にある貴重さを知ってください。 自分もこの世界も、自然の働きに満ちているという事です。 この目に見えない自然の摂理を、神という人もいれば、仏という人もいます。 死後の世界も、この自然の摂理の中にあるものと思います。 自然の摂理が信じられれば、死後の不安も和らぐでしょう。 死んでからの事は、自然の摂理におまかせして、今現在を精一杯生きていきましょう。 精一杯生きていく若さも自然の働き・摂理でしょう。 さあ、宿題はやったかな? 頑張ってね。 それじゃ。

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.24

 まず最初に以下の参考URLのページに載っている、私の回答を御覧下さい。 【参考URL】  幽霊の証明 (科学的にー   http://okwave.jp/qa/q5422641.html  読んで頂ければ、お分かりのように、霊魂の存在を否定しないと、高次脳機能障害という(現実に存在する事が確認されている)現象を、説明する事が困難になります。  従って、残念ながら霊魂等といった死後の生は存在しないと思われます。

回答No.23

無いものを有るように言ってしまえば、不存在を証明できないという論理学上の真理に守られて、反論できないのが、現実です。 だから、言った者、勝ちです。 宗教は、巧妙に騙せるようになっているから、はびこるのです。 死後や生前の霊魂を想定した場合も、霊魂の不存在を証明できませんから、疑わない人たちは、うっかり騙されてしまいます。 天国や地獄の想定は、人々を不安にさせるところに目的があります。 不安感、恐怖感を煽るのが、宗教の手口で、保険も似たところがあります。 疑わない人々にとって、精神的に支配される道具になっているわけで、 その呪縛から逃れるためには、もう十分だと開き直るしかありません。 たとえば、保険なんかなくてもいいよと言える状況になれるかどうかです。不安の克服ができない人は、精神的に支配され続けるだけです。

  • puregrape
  • ベストアンサー率25% (12/48)
回答No.22

創世記1:1は「初めに神様が天と地を創造された」と宣布します。聖書では7の数字は完璧の意味を持ちます。ヘブライ聖書では、この文が七つの単語で書かれてあります。偽りが無いとの意味です。あまり、感じが無いかも知れませんね。3番目の単語は神様です。3は神様の数字です。創世記1:2は「地は、形が無く空虚であり、闇が深さの表面にあり、神様の霊は水の表面で歩まれた」。1:1の天と地が大きな災いによって無くなった後が、1:2なのを表してあります。即ち、今の世は1:1ではなく、1:2なのです。ローマ書1:20は「世の創造の時から、その方に属した見えない物が明らかに見せられたのであり、甚だしくは永遠な能力と神格までも、作られた物によって知らせられたので、彼らが弁明することは出来ないです」と言われました。地球は規則正しく動きます。貴方の体も規則正しく動きます。肉眼に見える星は地球の数万倍から数十万倍の大きさです。銀河界一つには、このような星が約1600億個あると言われています。これらの物が、全て規則正しく動いてあります。もし、これらが自分勝手に動くと、全てのものは一たまりも無いのです。進化論によると、全ての物は偶然に出来た物に過ぎません。そう言いながらも、進化を証明する連結ものを一つも提示できないのです。半身半魚、半身半猿の化石を見たことありますか?全てが無から偶然に出来上がったならば、全てのことが意味無いです。人を殺すのも意味ないし、親を殺しても意味ないし、むやみに人を切りつけても意味ないし、。。。進化論が広まった結果、想像が付かないほどの堕落を起こしてあります。今、進化論は全ての人を狂わせている悪魔の宗教なのです。神様は「~卑しく荒唐無稽な無駄口と、偽りで言われている科学の反論を避けなさい。テモテ前6:20」と言われました。  今、人が行ける空は2番目の空までです。聖書には3番目の空まであり、3番目の空が神様がいらっしゃる所であり、パウロが行って来たことがある所であり、救われた人々が行く所です「コリント後12:1~4」。そこに、救われた人は、あっという間に移られることが出来るのです。信じられますか?私は信じますよ。パウロが経験した位の現実感を持って信じますよ。これだけは、この世の中に居る人々の中で、一番よく信じる人だと思っております。パウロは実際に3番目の国に言ったけれども、3番目の国について言うのが許されてなかったが、後でヨハネに許されました「啓示録4章」。貴方も、救われると行けますよ。3番目の国に行ける人は、極小さな罪が一つも無い人だけが行けます。イエスキリストは、私達の罪の身代わりになって、十字架に掛けられ、血を流すことによって、私達の罪を完璧に無くして下さいました。これを信じる人は罪が無いので、3番目の空に行けます。残りの人々は、地獄に行きます。これを信じる人は、神様を喜ばせる人です。「信心によってエノクは、死を見る事が無しに移されたが、神様が彼を移したので、再び見ることは出来ません。彼は、移される前に、神様を喜ばしたと言う証拠を持っていました。ヘブライ11:5」。神様を喜ばす証拠は、十字架に掛けられて流された血が、自分の罪を完璧に無くしたことを信じる信心です。

回答No.21

死後の問題の前に、神の定義と特徴を明示させていただきます。 神は、擬人的な存在ではありません。 神は創造主です。 創造主は、「すべての存在を存在させている存在」なので、 創造主の存在を否定すると自己の存在も否定することになり、 自己の存在観を失うこととなるから、宇宙創生を成した後も この世に絶対的に存在していなければならないと思います。 他の創造主が存在するとすべてを存在させたことにならないので、 創造主の特徴は、「唯一」です。 人が修行して到達する仏の段階でも創造主にはなれません。 創造主の特徴は、「絶対」です。 相対的な価値観の言語を駆使しても、 絶対的な存在を表現したり、理解することはできません。 直感する以外に唯一・絶対なものに気づくことはありません。 さらに、創造主の特徴は、「普遍」です。 創造主は、あらゆるものの中に法則とか原理のような ものを及ぼし続けていると思われます。 あらゆるものを支配しているので、 唯一・絶対な支配を行うものです。 死や消滅とは無縁で、創造主に対立するものはないので、 創造主の特徴は、「完全」なる存在です。 創造主のみが、唯一、完全です。 そして、創造主の特徴は、「公平」です。 人間は、差別をするが、創造主は差別をしないので、 創造主の特徴は、「平等」です。 創造主は、すべてに対して公平かつ平等を冷徹に貫きます。 特別扱いはなく、特権や優遇を許す創造主は、偽者です。 罰したり、才能を与えたり、幸運・不運を操ったりする ようなこととは、一切関係ありません。願望は持ちたいですが。 誰でもどんな聖人でも、必ず死を迎えます。 創造主は、公平と平等の立場を崩しません。 創造主が、この世のすべてを創造したので、 被造物であるすべての存在(宇宙など)は、創造主ではありません。 唯一・絶対・普遍・完全・公平・平等という創造主の特性は、 被造物にはないのです。 被造物の特性は、唯一ではなく、相対的で、個物で、 不完全で、不公平で、差別的です。 輪廻転生する霊魂が存在するかどうかは、分からないけれども、 仮にあったとしても、霊魂という被造物は、 多種多様で、相対的で(二元的性質があり)、 個物で(法則や原理の下にあり)、不完全で(死や消滅があり)、 不公平で(特別扱いがあり)、差別的な特性を持つと思われます。 ただし、空想の産物に過ぎないと思います。 特に、不完全な存在という点から、発生と消滅が想定できます。 永遠の存在ではありません。 霊魂が不滅であるという希望は、残念ながら幻想です。 霊魂は存在しても、有期です。来世がある保証はありません。 次はないかもしれません。 そもそも、記憶が保存され続ける保証もありません。 不公平で差別的な特徴から、前世を思い出せない例も 多々存在しなければなりません。 それでは、経営上困る人たちが多いのでしょう。 騙されないように、深く考えましょう。

  • eien
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.20

「過去世の記憶と永遠の生命」 イエスは言われています「死者に死者を葬らしめよ」この意味は棺を担いでいる人々も過去世の記憶を持っておらず、半分、死んでいるという意味です普通人の90%以上の人々は、自分の過去世の記憶を思い出すことが出来ません。この事は前世においても心と宇宙の意識(叡智、命、神、魂、潜在意識)との分離があって、心だけで生きていたからです。宇宙の意識は本人の過去世からの永続部分で過去世の記憶を保っているのです。 御自分の過去世からの数々の記憶を思い出し永遠の生命を得たいと思うなら心のエゴ(貪欲、利己主義、怒り、支配欲、憎悪等)を取り除き宇宙の意識と融合して宇宙の意識の過去世の記録の部屋のドアーを開けてもらわねば、なりません。そうしなければ前世の記憶を思い出すことは不可能です。永遠の生命を得るには宇宙的な過去世の記憶を培養する事が基本になります。イエスは「私はこの世にいるが、この世から出たものではない」 又、弟子達の事も「彼らもこの世の者ではない」と言われています。彼らは他の惑星からの教化の為の転生者で、あったのです。イエスは御自分の宇宙の意識と心を融合をされていましたので御自分の過去世の記憶を保持されておられたのですし、弟子達の過去世も過去世のの透視で見抜かれていたのです。私達も自己の宇宙の意識(神)に対する強い信頼と確信を持たねば、なりませんし生涯の伴侶として共に暮らさねば、なりません。 心のエゴ(不和、分裂、非難、貪欲、利己主義等)を捨て去り、心の意志を空しくして、御自分の宇宙の意識の意志や指示(直感、映像、警告、閃き、衝動、アイデアー等)に委ねるのです。そして宇宙の意識眼で見る事です。(注意、警戒感を持って見る事)そして心は宇宙の意識の完全な召使になり発達進化して行くのです。そうすれば過去世の記録の書が貴方の脳裡の映像として思い出されるでしょう。ある時は寝室でうつら々している時等に脳裡の映像として蘇るでしょう。 この事はイエスが言われた「自分の生命を失う物は永遠の生命を見出すであろう」の意味です。この事は永遠の生命を得ようとする時や過去世のの記憶を得る時に重要な事柄です。私達は今生で初対面の人と会った時に何故か親密に感じたりする事が、ありますが、これらの印象は過去世の生涯での親しい親族や友人や知人等である場合が多く、又、旅行等で初めて行かれた場所なのに何故か以前から知っているような場所や建物等の記憶は真実の 過去世(宇宙的)の記憶です。それは貴方の魂や潜在意識(宇宙の意識)がその事を記憶しているからです。又、世界の民族音楽や衣装、建物等でも前世の記憶の映像の断片を思い出すことがあります。私は個人的に自分の過去世の生涯を約20回ほど、記憶を思い出しました。

noname#31271
noname#31271
回答No.19

死んだら永遠の無(寝てる状態みたい?)だと思う 脳も当然に無いから思考できないからね 天国なんて無いだろうし・・・・ 天国なんて死んだら怖いっていう恐怖から人間が創りだした産物 神様も死んだら怖いって人間が創った産物 何も考えられないってのが嫌だよね

keiren
質問者

お礼

そうなんですよ!何も考えられないっていうのがなんだか・・・俺っていったい何なんだって言う感じで。せめて幽霊にでもなれたほうがいい気もしますw

回答No.18

死について、死後については私もとても不安と関心を持っています。 私は魂は生まれ変わると信じていますが、信じていない人もたくさんいるでしょう。 死後の世界があってもなくても、私達が死ぬということは確かなことです。 どのみち死ぬのですから、死ぬまで頑張って生きていこうと思っています。 生きているうちは、世のため、人のため、そして自分のために一所懸命に生きていこうと思います。 そのためには、生かされていることに感謝して、周囲に感謝して、他人に優しく、他人のためになること喜んでもらうことを、たとえわずかなことでもしていこうと思います。 よいと思うことはどんなに些細なことでも先ずやってみることだと思います。理屈を言い出すと、機会を失ってできなくなってしまうこともあります。 不安を解消するためには、納得できる理屈と行動だと思います。案外行動する方が、不安を解消する良い方法かもしれません。理屈は後からついてくることもありますから。

keiren
質問者

お礼

そんなものですかねwでもたしかに限りある命だからこうやってがんばって生きているのであって天国に行って永遠に生きていたらだらけてしまうような気が・・・こんなことを考えていると天国なんて仕組み的に存在しないんじゃないかって言う不安が出てくるんですよ。あっ、また理屈いってますねww

noname#177238
noname#177238
回答No.17

福島大学教授飯田史彦先生の 「生きがいの創造・決定版」 「生きがいの創造II」 「ツインソウル」 等ご覧下さい。 ちなみに、来月飯田先生は京都大学で講演を行います。 これまで、スピリチュアルな事象を研究する人間は、大学では潰されました。何故なら、大学人というのは、偏見が強く、知性も偏っている場合が多いからです。しかし、もう偏見、思い込みから離れて、何が真実なのかを研究する時代がやってきました。まだまだ、陰湿な国、日本ですが、若い世代には明るくきらめく知性で、研究が進むのを望みます。

参考URL:
http://homepage2.nifty.com/fumi-rin/
noname#30933
noname#30933
回答No.16

中三。 結局ね~神様がいるか?いないか? 結論として、神様(神に準ずる者)は在ったんですよ。 もちろん、僕の考えですけど。 説明は、面倒なので自分で、真実を切り開いていってください。 死後?? そんなもの、死なないと分からない。んなことは決まっているんですよ。 分からないから、面白いんじゃないですか。この世界は。

keiren
質問者

お礼

そうやってばっさりと割り切れるのっていいですね。

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