この世は仮の宿であり、真の世界は死後にやってくる

このQ&Aのポイント
  • イスラム教では、この世は仮の宿であり、真の世界は死後にやってくると考えられています。
  • イスラム教徒は、真の世界を目指すために昼も夜もアラーの神を拝み続けています。
  • イスラム教では、「人は生きている間は無であり、死後に有になる」と信じられています。
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この世は仮の宿であり、真の世界は死後にやってくる

  あるイスラム教徒のことば。 この世は仮の宿であり、真の世界は我々が死んだ後にやって来るとゆー。 これはアラーの教えであると。 だから我々は真の世界を目指すため昼も夜もアラーの神を拝み続けていると。 ほんとーにそのよーに考えて拝んでいるのか、それともただのパフォーマンスなのかは分らない。 この世が仮の宿であればこの世は無なのであり、死んだ後に真の世界がやって来るのであれば死後の世界だけが有になる。 イスラムにおいては「人は生きている間は無であり、死んだ後に有になる」のである。 ヒンズーにおいてもこの点は同じであるらしい。 それ故イスラムはジハードを尊び、恐れることなく自爆していく。 神の名のもとに死ぬのであれば命など惜しくはないという。 果たしてイスラムの考えるようにこの世は仮の宿であり、真の世界は我々が死んだ後にやって来るのか。  

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回答No.3

そういう考えはイスラムに限らず、日本にもあるし、キリスト教にもあります。 プラトンの「イデア論」にもあります。 日本人は昔から現世は「仮の宿」で、来世に浄土があり、その浄土こそが本当の世界であり、現世はその浄土へ行くためのステップに過ぎない、と考えてきました。 「仮の宿」だから、日本の住宅は紙と竹で作られ、一時的な仮のものに過ぎない。 やっぱり仏教の「無常感」に由来するものだと思います。 形あるものはすべて滅ぶ、時間はたちまち過ぎ去る、とどまっているものは何もない、生命も同じで、朝に生まれ、夕に死ぬ、そうして輪廻転生してゆく、時間は繰り返しで同じものが循環しているだけで、新しいものは何もない。 芭蕉のいう「不易流行」、姿・形は違えども、あるものは一つ。何も変わらない。 「一言芳談」にいわく、「常に一夜の宿りにして、始終のすみかにあらずと存ずるには、障りなく念仏のもうさるるなり」「一生は、ただ生を厭え」と。 つまり、生は一夜の宿りなのだから、速やかに死すのがいちばん、ということ。 古代ギリシャのプラトンは天に永遠の「イデア」があり、それこそが真の世界であり、地上の私たちの世界は「仮のもの」、ニセモノの世界であり、実在ではない、仮象である、と言いました。 このプラトンの「イデア論」を受け継いで、中世キリスト教世界では、天に神がいて天国がある、と言いました。 そして貧しい者は幸いである、天国は彼らのものである、富める者は天国に行けない、と。 天国が本当の世界であり、地上の私たちの世界は「罪深い」「汚れた」世界であり、この地上で生まれた人間はその行ないによって、「煉獄」で試練を受け、誰が天国に行けて、誰が地獄に行くかの審判を受ける、という。 天国に行けない人間は地上の罰として永遠に「労働する」という苦役に処せられる。 宗教の言っていることはみんな同じです。 現世の苦しみから逃れるために、現世の価値を低くして、それを仮象だとか、「仮の宿」と言い、来世に本当の世界、極楽世界があるという。 だから現世に対する執着を捨て、来世に望みを求める。 来世が存在するというなんらの証拠もなく、保証もなく、「空手形」かもしれないのに、信仰でそれを補っている。 マルクスに言わせれば「宗教は民衆のアヘン」です。 約束されてもいない来世をひたすら存在するものと確信し、現世の価値を貶め、人に現世の苦しみの元である為政者の政治の横暴を来世の幸福でバランスしようとする、麻薬のようなものです。 だから同じマルクスは「宗教はため息だ」という。 苦しい、苦しい、そして宗教のいうことは一片の慰め、ため息。 何も解決しない。 イスラムも死んで天国に行けるという。 現世は「仮の宿」だから、喜んで死んであの世に行くべきである、と。 まるで「一言芳談」でいうのと同じ。 英国の詩人、エリオットはいいます「生まれて、セックスして、死ぬ、人生はただそれだけだ」と。 厭世哲学者ショーペンハウワーは言います「生まれないのが一番、生まれたならば早く死ぬのが二番、それも出来なかったら希望なくダラダラと生き延びるほかない」と。 モンテーニュいわく「生の目的は死である」と。 このように、みんないうことは同じ。

hitonomichi35
質問者

お礼

  ありがとうございました。  

その他の回答 (7)

回答No.8

こんにちは。 > イスラム教徒のことば。 この世は仮の宿であり、真の世界は我々が死んだ後に やって来るとゆー。 これはアラーの教えであると。 < ソー、これが教え。 どの宗教でも、同じ事を言う。 それだけ人間が不完全な証拠、死後に目標を置き 現世で何とか真面目に生きさせようと苦心をした 結果です。 でも人間はそれ以上にはなれない、したがって教えは 続く。

回答No.7

 こんばんは。  ★ だから我々は真の世界を目指すため  ☆ この仮りの宿にあっても 善行を積むべく努力すると言っているわけだと思いますから   ★ この世が仮の宿であればこの世は無なのであり  ☆ とは成らないと知るべきです。仮りではあってもまったくの無であるというものでもない。  そういうオシエが妥当であるかは 保留することとしますが オシエについてはしっかりとマチガイなく受け取り理解しなければいけませんね。  重ねて言うならば 《死後にやってくる真の世界を目指して努力しているということは すでにこの仮りの宿にあっても真の世界が始まっている》ことになりますから。  もしこのオシエがほんとうに人類にとって真理であるとするならば そのいわゆる天国に入るのは 人間の能力と努力によって決まると言ったことになります。つまり 神のチカラ・神への信仰のめぐみは どうでもよいということになります。    つまりは アッラーフは じつは人間が考えてつくった観念の神であった。ことになります。(保留とせずに 述べました)。

  • stmim
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回答No.6

本当はどうなのか?ということより、どうすればハッピーになれるかということがより重要だと多くの人は考えているのではないでしょうか。 常識的に考えると生きている間が全てであり、死んだら無になるということだと思います。 しかし、死んだら無になるというのは、あまり受け入れたくない考えです。 どうせ死ぬのだから、何をやっても同じみたいになりそうです。 もし、死んだ後が本番で永遠に生きることができたらいいですよね。 この世は仮の世界で、いろいろ起きる理不尽なこと、つらいことも、仮の世界の修行だと考えれば気が楽になります。 何が本当かということより、何がハッピーかで考えを選択した結果が、そうした考えではないでしょうか。

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.5

死後の世界を信じれる人は羨ましい。それを一度信じたら悩みはほとんど解決するからです。私はどうしてもそれを信じることができません。あの世を信じることなく、この世を精一杯に生きることが仏陀の本当の教えと思っているからです。

noname#205097
noname#205097
回答No.4

真実は、いつも一つなのでなにが真実かは自分自身が信じられる教えを見極められる能力が必要だと思います。イスラム教の教えは不真実だと私は客観的にみて考えています。

noname#206980
noname#206980
回答No.2

この世は仮の宿=無 死んだあと=有 の理論がおかしい。 仮に言えば全室とスタジオ、リハーサルと本番、 学校と社会のようなものでどっちも有である、ということのはず。 そのイスラム教徒って指導者ムハンマド?

回答No.1

仮の宿だろうが終の棲家だろうが、雨露を防いでくれて、一夜の安眠の場を提供してくれるならそれで十分。 >神の名のもとに死ぬのであれば命など惜しくはないという。 自爆テロの人も、神風特攻隊と同じように、直前まで恐怖と闘いながら自己犠牲を貫徹しているよ。 どのような信念をアポステリオリに体得しようとも、死に対する恐怖は人間のアプリオリだからね。

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