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人の死後について

qsxdrfvgyhの回答

回答No.21

死後の問題の前に、神の定義と特徴を明示させていただきます。 神は、擬人的な存在ではありません。 神は創造主です。 創造主は、「すべての存在を存在させている存在」なので、 創造主の存在を否定すると自己の存在も否定することになり、 自己の存在観を失うこととなるから、宇宙創生を成した後も この世に絶対的に存在していなければならないと思います。 他の創造主が存在するとすべてを存在させたことにならないので、 創造主の特徴は、「唯一」です。 人が修行して到達する仏の段階でも創造主にはなれません。 創造主の特徴は、「絶対」です。 相対的な価値観の言語を駆使しても、 絶対的な存在を表現したり、理解することはできません。 直感する以外に唯一・絶対なものに気づくことはありません。 さらに、創造主の特徴は、「普遍」です。 創造主は、あらゆるものの中に法則とか原理のような ものを及ぼし続けていると思われます。 あらゆるものを支配しているので、 唯一・絶対な支配を行うものです。 死や消滅とは無縁で、創造主に対立するものはないので、 創造主の特徴は、「完全」なる存在です。 創造主のみが、唯一、完全です。 そして、創造主の特徴は、「公平」です。 人間は、差別をするが、創造主は差別をしないので、 創造主の特徴は、「平等」です。 創造主は、すべてに対して公平かつ平等を冷徹に貫きます。 特別扱いはなく、特権や優遇を許す創造主は、偽者です。 罰したり、才能を与えたり、幸運・不運を操ったりする ようなこととは、一切関係ありません。願望は持ちたいですが。 誰でもどんな聖人でも、必ず死を迎えます。 創造主は、公平と平等の立場を崩しません。 創造主が、この世のすべてを創造したので、 被造物であるすべての存在(宇宙など)は、創造主ではありません。 唯一・絶対・普遍・完全・公平・平等という創造主の特性は、 被造物にはないのです。 被造物の特性は、唯一ではなく、相対的で、個物で、 不完全で、不公平で、差別的です。 輪廻転生する霊魂が存在するかどうかは、分からないけれども、 仮にあったとしても、霊魂という被造物は、 多種多様で、相対的で(二元的性質があり)、 個物で(法則や原理の下にあり)、不完全で(死や消滅があり)、 不公平で(特別扱いがあり)、差別的な特性を持つと思われます。 ただし、空想の産物に過ぎないと思います。 特に、不完全な存在という点から、発生と消滅が想定できます。 永遠の存在ではありません。 霊魂が不滅であるという希望は、残念ながら幻想です。 霊魂は存在しても、有期です。来世がある保証はありません。 次はないかもしれません。 そもそも、記憶が保存され続ける保証もありません。 不公平で差別的な特徴から、前世を思い出せない例も 多々存在しなければなりません。 それでは、経営上困る人たちが多いのでしょう。 騙されないように、深く考えましょう。

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