生まれと死後の世界についての考察

このQ&Aのポイント
  • 霊魂や死後の世界について、皆さんどう考えますか?こういう問題は考え方もそれこそ百人百様で、一概に言えませんが...
  • 科学的に証明できないので、結局は個人の今までの経験や人生観で決まってくるのでしょうか。ここで考えるのが...
  • 最終的には個々人が信じるか否かの問題だし、それでいいのかもしれません。ただ、全ては死後にははっきりすることで...
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生まれた意味および死後の世界について

霊魂や死後の世界について、皆さんどう考えますか? よくある質問だと思いますが、やはりいつかは必ず死ぬ以上誰しも多かれ少なかれ関心あるテーマかなと思います。 こういう問題は考え方もそれこそ百人百様で、一概に言えませんが大雑把に分ければ、以下のような分類ができるかもしれません。 (1) 霊魂も死後の世界も存在しない。死ねば、完全に無になりおしまい。 (2) 肉体とは別に霊魂があり、この世に生きてる間はこの2つは一緒だが、死ぬと霊魂が抜け出し死  後の世界(霊界)に帰りそちらでしばらく暮らす。その後、必要なら再度別の肉体に宿り現世に生ま  れてくる。 (3) 死後はあるかもしれないし、ないかもしれない。死んでみないとわからない。 科学的に証明できないので、結局は個人の今までの経験や人生観で、決まってくるのでしょうか。ここで考えるのが、そもそもなぜこの世に生まれてきたのだろうという疑問です。 生まれてきたから死もあるわけで、誰も自分の意志でこの世に生まれた人はいないでしょう。(例外でこの世の人類を啓発するため、自らの意志で現世にくる人<キリストや仏陀など>もいるようですが)みんな、ある程度の年齢になり、自我が芽生えて、ふとこの世に存在してる自分に不思議さを感じた経験が多少でもあると思います。私も小学4年ころ、ある朝目覚めたときにこの経験をしました。今、考えても何とも言えない気持ちでした。「なんで、今僕はここにいるのかな?別に自分が望んだわけじゃないのに、どこからかこの世に生まれさせられて、この家のこの親のもとにいるのはなぜだろう。」 これが原点でした。以来、いろんな本を読んだり、テレビで話を聞いたり自分なりに勉強しました。その結果、大学のころには、上記の(2)の考え方に到達しました。それから約30年ですが、今も勉強途上です。人生の目的は霊格の向上で、そのため輪廻転生を繰り返すらしいことも知りました。 今思うと、小学4年の体験は神様が私に示唆してくださったような気もしますが、はっきりはわかりません。今も、酒が好きであまり人様のために生きることをしてない気もしますが、迷惑をかけないようにはしてるつもりです。 実際、死後なにもなくて無になるならそれが一番楽でいいと思います。そうであれば、この世が苦しくて自殺してもなんのおとがめもありませんからね。あるいは、悪の限りを尽くして死んでも償い不要ですもんね。 周りの人に聞くと、やはり意見はいろいろです。臨死体験についても、脳内物質が出され、そういう幻影を見せるという意見もあるようですし。結局、否定論者はなにをいっても理屈をつけるし、肯定論者も科学的に証明しろといわれても無理なので、平行線も仕方ない気がします。 だから、最終的には個々人が信じるか否かの問題だし、それでいいのかもしれません。ただ、全ては死後にははっきりすることで、もしなければそれで終わりですが、やはりあって生前の行為の償いさせられたら、悪行三昧だった人は大後悔するのでしょうか。後の祭りですが。確信犯ならどうしようもありませんが。今のように、犯罪者が増えるとそんな余計な(?)心配してしまいます。 先ほど書きましたように、信ずるか否かの問題なので不毛な論争する気は毛頭ありません。全否定とかは、なしで穏やかに、皆さんのご意見をお聞きしたいです。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#189246
noname#189246
回答No.7

『コナンドイルの心霊学』によると、コナンドイルはエジンバラ大学出身の医者にして推理小説『シャーロック・ホームズ』の原作者です。 それによると、ノーベル生理学賞受賞者シャルル・リシェなどや、物理学者ウィリアム・クルックスによるダニエル・ダグラス・ホームという霊媒の実験、などをさんざんやった挙句、否定のために始まったSPR(心霊研究協会)は、霊魂の死後存続に、 「YES」 を突きつけました。 そこから「心霊学」は始まりました。 だから死後の世界は既に科学的に裏付けられている、と言えると思います。 しかし、その後実験の客観性に疑問の声が上がり、心霊学は「超心理学」というへんてこな存在に格下げされてしまいました。 これは不自然な状態です。当時第一級の科学者たちが重ねた結論は、短絡的に破棄されたのです。そこまで執拗な懐疑的視線を投げかけられることがあるでしょうか。 それが不自然な状態であるのは、現世を地獄にとどめておく必要があるからでしょう。そうです、霊性進化のために。 人間がスピリチュアリズムの知識を手にするにはまだ早いという、高級霊界の御沙汰なのではないでしょうか。 まだまだ低次元の社会の中で揉まれなければならない拙い魂がたくさん居るということではないでしょうか。それらが、自分たちの修行場を維持するために、現世を唯物論主流の世界にとどめておきたいのでしょう。 人間の自由意思と、高級霊界の意志は、実はつながっているのではないか、私はそう考えております。 私は、ご質問者様のご回答をいくつか拝見しておりまして、かなり正確な認識をしていらっしゃる感想を持っています。 しかし、一つだけ誤った認識があるとすれば、「証明は出来ない」と言う部分です。 証明は既にされております。ただ、上述のような事情が働いて、唯物論学者が幅を利かせている、ただそれだけのことだと、私は思うのです。 本物の霊媒自体が、稀有の存在ですので、再実験もしづらい、ただそれだけだと思うのです。 そして、唯物論者は、何をどう経験的に実験して見せても、自分たちの修行場を維持するために、頑なに駄々をこねて 「FAKE」 と言うでしょう。そうです、全ては霊性進化のために。 では、何故心霊学は一時隆盛を誇ったのか。唯物論的世界を卒業しなければならない修行段階の魂もたくさん現れたからではないでしょうか。 つまり現代は、選択の自由によって、唯物論者も心霊学受容者も、ごった煮状態になっている過渡期と言えるのではないでしょうか。そして徐々に、唯物論は廃れて行きます。現に日本人の60%は死後の魂の存続を肯定している、という統計も耳にした覚えがあります。 他の先進国では基より、宗教の関係もあって、魂の死後存続はおおむね受け入れられていると思われます。もっとも、正確な心霊学の知識ではなく、かなり宗教の影響が入っている認識と思われますが。例えば、日本では人の年収を尋ねるのはタブーの一つですが、それは物質的価値観です。外国では人の年収を尋ねるのは特に失礼なことではありません。現世の能力、成功が人間の価値を決めるのではないからです。それは宗教に根づいた諸外国の習慣です。唯物論が幅を利かせているのは、もはや極東くらいのものではないでしょうか。 霊性進化はスパイラルを描くように進行して行きます。唯物論が支配する世界は終わりを告げようとしています。一時的に荒廃した世界は、正確性を取り戻そうとしております。いや、宗教の時代よりも、発達した科学的表現によって進化しようとしています。 私たちスピリチュアリストはただ、その自然の摂理に身を任せ、切磋琢磨しておればよい、ただそれだけのことなのではないでしょうか。 人間の自由意思は、実は自然の摂理の一環だったのではないでしょうか。実は神の法則通りに、全ては数学的精密さで進行している、ただそれだけのことなのではないでしょうか。 痛みと苦しみが、やがて感動の歓喜を呼び起こすでしょう。あなたに幸がありますように。

BEACHBOYS1970
質問者

お礼

長文のご回答ありがとうございます。内容から、相当研鑽を積まれた方とお見受けします。 20世紀初頭にヨーロッパで霊の研究が進んだけど、その後否定派が幅を利かすようになったようですね。しかし、特にイギリスでは心霊協会があるくらい、霊的なものへの関心は高いようです。コナンドイルも英国人ですね。彼は作家ですが、心霊への造詣も深かったと聞きます。彼らしい霊が写った写真を見たこともあります。 霊格の低い霊魂が修行の場を失わないように、唯物論が強い社会を継続させているとのご指摘は、新鮮ですがわかる気がします。混沌として、生きにくい場で苦労することが、霊界へ帰ったときにより大きな魂の向上につながるのかもしれないですね。 現在の、決して一般庶民に対してやさしいとはいえない政治が続く状態も広い視野で考えると、神はすべてお見通しだし何らかの理由があって、その状態を放置しているのでしょうか。しかし、どう考えても神が弱肉強食の世を是認するとは思えないですから、過渡期であり、今後は本来あるべき世に神の力で修正されていくと私も考えます。

その他の回答 (6)

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15359)
回答No.6

 科学が全て解決出来るほど知識は高まっていない。  死後の世界に関しては昔丹波哲郎さんが霊界に関しての著書を多く残されています。各国の宗教観などもありますので、これっというものははっきりしませんが、海外では研究されている方も多いようです。  死後の世界行けば、まず今居る暮らしと変わらない世界があるようです。そこから死について理解している理解出来た段階で次のステップへ行くらしい。それと霊界には階層があります。頂点は神様とかの領域になります。それと、現世での暮らし方、考え方によって霊界での適切な場所に行くそうです。そこはその人が望む世界そのままなので、地獄に見えても、その人にとっては楽園みたいな物らしいです。    転生に関しても、ムーに寄りますと、ある地域の方の体験として、ある飲み物を飲むことで前世の記憶が消されるとのこと。前世の記憶を持ったまま生まれる子供も居ます。特に小さい子供に対して、生まれたときの記憶とか調べた事などもよく紹介されますが、望まないで生まれて着たわけではなく、望んで生まれて着ているらしいと。親を選べないじゃなくて、選んで来ているという事も書かれていました。  前世で学びきれなかったことなど、この人の元に生まれることで学べると感じて居るらしいです。ただ、幸福な人生とは限らず、厳しい世界として選んで居る事にも成ります。このあたりが運命とか言われる部分なのかもしれません。    死に至る準備として、死んだときにはどうなるかという事が宗教にあります。エジプトの死者の書などが有名ですね。死ぬ前に死んだときのことを学習させる意味もあるようです。仏教でもありますね。  昔から人は「死」を理解しました。だから死に対して色々と考え、死におびえるようにもなったと言われて居ます。またどうぶつの転生とかの話しもあります。どうぶつは寿命が短いので、生きている、死んでいるとの感覚が強く残っているようです。前世の記憶が残っていることもあり、それが原因で人と係わりにくいペットも居るようですね。  人は何のために生きているのかとずっと考えてきました。一度、このまま死ぬのではと言う経験もしました。で、目的があって生きていると考えると難しいです。でも、ただ生きているという目的だとかんがえると難しくないのです。だから一生懸命生き抜いて、一生を終えることが大切なのではと。生きている時の意味は生き残っている人達が決めてくれればと思いますね。

BEACHBOYS1970
質問者

お礼

ありがとうございます。 丹波哲郎さんの本はけっこう読みました。大霊界という映画も撮りましたね。友人と見に行った記憶があります。彼もかなり、霊関係を研究していたようですね。 本文では「生まれたくもないのに、気が付いたらこの世に存在してた」と書きました。しかし、実はこの世に生まれる前に、霊界で神や守護霊と相談して、修行のために再度この世に行くことを決めるようですね。そして、今回の修行のテーマに合う環境の親の元に生まれるように決められるといいます。ただ、この記憶が残っていると、現世に来てから修行にとって不都合なので、すべて忘れさせられるようです。 基本的にはカルマの法則で、前世で学び足りなかった部分を勉強させられるようです。ただ、一体何が今回の人生で学ぶべきことなのか、なかなかわからないです。 この世の役割を終えてまた霊界へ帰るときに、後悔が少ない人生を送りたい気がします。

回答No.5

 わからんし、わかるはずもないと思う。ならば生きている間は生きることに全力尽くすのが最適。 「もしも死後の世界がこんなだったら」というなら、「何、おまえ真面目に生きてたの? バカだね~。こっちでは生前やりたい放題してた方がいい思いできるんだよ」という可能性だってあるわけで。

BEACHBOYS1970
質問者

お礼

ありがとうございます。本文でも書きましたが、基本的に「死んでみないとわからない」のは事実でしょう。あとは、個人個人の信じるか否かになります。 死後がある、と仮定した場合、やはり生前の行いに応じてそれ相応の場所に行くような気がします。これも、その時になってみないとわかりませんが。 生きてる間は生きることに全力・・・は同意ですね。

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.4

死後の世界について、科学を持ち出すのも、宗教を持ち出すの無粋だと思っています。 僕は死後は頑張って生きた人にはボーナスステージ、頑張らなかった人は罰ゲームだと思っています。 なんか天国と地獄みたいな発想ですが、その実態は行ってみてのお楽しみだと思います。 科学が扱う現象に囚われるのも、宗教のように誰かさんが言いだした観念に囚われるのも勘弁です。 どちらに偏ってもつまらないじゃないですか。 より良く生きるための指針であると思っています。

BEACHBOYS1970
質問者

お礼

ありがとうございます。そうですね。科学や宗教と、死後の世界をあまり強く結び付けて考えないほうがいいのかもしれないですね。 数ある宗教に正邪の差があるのかは、わかりません。言えるのは、何かを信ずることでこの世で生きる上での指針がほしいという根源的な欲求がそもそもの宗教の起源かなと思います。 特定の宗教を信心していれば、死後いい世界へ行けるなどは全く関係ないようです。ただ、その宗教が善行を推奨していて実行すれば、結果として良い行いが多かったということで上層へ行くことはあるらしいですが。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.3

そもそも霊視だとか霊聴など心霊現象が科学で検証できないというのが間違い。科学で検証できないのはそれが実体かどうかであって見えたとか聞こえたというのは実に科学的現象なんです。 人間が物を見るとか音を聞く、感じるといった感覚はすべて脳が判断していることです。つまり実際にあるものを見ようが、霊を見ようが、それは脳が反応して認知していること。だから脳を刺激すると花園が見えるから霊現象は脳の誤認という結論にはなりません。実際に花園を見ても夢でも同じように脳が反応しているだけですから。 それに視神経を通す必要もありません。脳に電磁波を与えれば脳は見ていると判断します。現在では全盲のヒトに物を見せる研究も進んでいるんです。もし視神経を通さねば誤認とするなら、全盲のヒトが物を見るシステムは誤認という事になります。問題なのは何が脳に認知させたかでしかないのです。 霊には電磁波に似た作用があるというヒトもいるのですから、そうであれば誤認ではなくなります。それが出来ないという証明も無いのですからね。 ある最高裁判事が生前「死んでしまえばそれまで。だから葬儀もいらなきゃ墓も要らぬ」と言ったそうで、その人は多くの法曹界の尊敬を受けているそうな。でも私はそんな連中に裁いてほしくないですね。そんな連中ばかりだから亡くなった被害者は問題外、生きている犯罪者の方が大事になるんでしょ。亡くなった被害者の命より、生きている犯罪者の命の方が何倍も重いというわけです。死んでしまえばプライバシーも何も無いけど生きている犯罪者のプライバシーは大切なわけです。 ヒトを殺しても諸外国のワイロや脱税より軽い刑にしかならない。たった十年で放免される。日本人の命ってそんだけ軽いんですよ。命の大切さが聞いて呆れます。 人間が生きる目的等ありません。自分で作るんです。もちろん結果として魂に付加がかかります。悪行を行えば重くなり、善行を施せば軽くなる。普通に生きていても徐々に軽くなるわけです。そしてやがて仏(悟りを開く)となる。 私はこう考えます。自分以外のものに情をかけるのは人間以外には無いんです。動物には意図してかける情は無いんです。だから人間であるうちに人間の可能性を極める必要があるんでしょう。 死ねばそれまでという人はなぜ生きているんでしょう。なぜ面倒臭い勉強や仕事をするんでしょう。どうせ生きているうちだけだし、何年生きるかなんて何の確証も無いんだから、なぜ社会生活を送らねばならないんでしょう。我慢しているんでしょう。私には全く理解できませんね。

BEACHBOYS1970
質問者

お礼

ありがとうございます。その裁判官は、やはり死ねば無になるという考えだったんでしょうね。その考えだと、所詮死ねば何もないんだから、生きてる間に好き勝手したほうが得だとなりがちだと思います。 この世に生まれてくる(強制的に)訳は、前世のカルマを清算して霊格を高めることのようなので、そのために他者にやさしくする、できる範囲で困ってる人を助けるなどが重要です。「情けは人のためならず」です。しかし、現在は逆に平気で他人の財産を奪うような輩が増えてます。 カルマの法則(善行も悪行も、自分の行為の結果は自分に返ってくる)を知っていれば、恐ろしくてそんなことは間違ってもできないはずですが。一人でも多くの人にこの法則を知ってもらい、悪い方向へ落ちてしまう人(霊魂)が減ることを望んでます。

  • zxv-poi
  • ベストアンサー率24% (58/237)
回答No.2

死後の世界について知りたいのなら・・・ 霊能者もしくは霊が見える人に逢い・・・ 霊にあなたが直接死後の世界について尋ねればイイと思います。 私は霊が見える人では無いので残念ですが・・・ もし何かの時に霊が見えたのなら死後の世界について訊いてみたいと思っております。 しかし不思議なのは霊能者と名乗る人がこの世には多々いるのに未だに死後の世界については よくわからない事が多いと言う事です。 幽霊でも霊でも死ぬ前は生前していたのだから話ぐらいは出来ないものかと・・・思います。 生命は肉体と霊魂二つで一つみたいな所があるのかと思いますが・・・どうでしょう? 死とは肉体が使えなくなる事を言い霊魂は存在し続けるのでしょうか・・・? 人は死をどの時点で認識するのでしょう・・・。 私の実体験では・・・呼吸が停止している・・・けど苦しくない。 そして・・・心臓の鼓動が消えていて確実に止まっていると認識している。 また身体の一部を動かそうと一番楽に動かせそうな目玉にトライをするが動かず・・・ この時点でこの身体はもう使えないなと思い・・・ ココで・・・人生の終りが来たと気付きました。 けど・・・意識はハッキリと良好で周りの音も聞こえるから・・・ 今私は・・・肉体から離脱した魂だけになっているのだと感じました。 そして・・・その後・・・私の心臓は外部からのショックで動きだし復活しました。 復活まで一秒も意識を失う事が無かった事が幸いしたのか全てを記憶してました。

BEACHBOYS1970
質問者

お礼

ありがとうございます。臨死体験に近い経験をされてるようですね。 おっしゃるとおり、この世の人間は肉体と霊魂が合体してできているようです。死ぬときに、使い古した肉体から本体である霊魂が抜け出して、しばらくはまだこの世にいるけど、やがてあの世へ帰るということらしいです。 その後はある程度の間、霊界で暮らし、時期が来るとまた現世に生まれさせられてくるようですね。霊界は様々な階層に分かれていて、上の方は素晴らしい世界らしいです。もう、この現世になど戻りたくないくらい良いところとのことですね。 死ぬ時期は一人一人決まっていて、その時がくるまでは死ねないらしいです。臨死体験しても、お花畑の向こうで先に行った親族から「おまえはまだその時期でない」と言われて、こちらに戻されるようです。(自殺は例外ですが、これをやっちゃうと、命令違反でひどい目にあうみたいですね) 回答者さんも、またこちらへ戻ってきたということは、もう少しこの世でやることがあると判断されたということかもしれませんね。私はそういう経験は皆無ですが、いずれにしてもあとの人生の生き方を考えさせられます。

noname#181644
noname#181644
回答No.1

人間は不思議な存在です。 私は、生きる意味とは、哀しみを知ることだと思います。人は、出来るなら微笑んで生きて行きたいし、他の誰もがそうあってほしいと私なんかは願いますが、世の中には死別をはじめ色々な哀しみや苦しみがあります。そんな中で、しかも微笑んで生きると言うのは、人間の自由や尊厳、気位の高さなどを示している様で、私には最も人間らしい生き方だと思われるのです。 死後についてですが、私は、死後は、それぞれの人の望む場所に行けたらいいなとおもっています。天国に行きたい人は天国へ、悔い改めたい人はそれができる場所へ、転生したい人は転生し、と言う風にです。私は、何か全てが一つになった様なところへ行くのかなと思っていると同時に、未来に生まれ変わりたいと思うこともあります。少し文章が散ってしまいましたが、そんな感じです。

BEACHBOYS1970
質問者

お礼

ありがとうございます。おっしゃるように、死後は自分の希望する場所に行けたら一番でしょう。 いろいろ読むと、誰か他者に裁かれて行先を決められるのではなく、自ら生前の行為等に応じてそのレベルの階層の場所を選んで行く、と書かれてるものもあります。回答者さんの考えに近いかもしれませんね。

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